競争と闘争
私は競争、つまり他者と競うというのがどうしても好きになれない。他人と競ってばかりいたら心も体も疲弊してしまう。趣味であれ勉学であれ、自分のペースで楽しむのが一番だと思っている。ところが、世の中には競争が大好きな人がいる。何かというと他者と比較して優劣を競おうとするのだ。スポーツでも芸術でも日常生活の様々なことでも。つまり、始終闘っているのであり、競争とは闘争とほぼイコールではないかと思っている。
たとえば、X(Twitter)を見ていると、他人の投稿を引用して批判ばかりしている人がいる。あるいは、自分と意見が異なる人に対してすぐに返信で反論をする人がいる。一回反論するだけならまだしも、延々と議論をふっかける人もいる。ただし、そういう人に限って、自分が間違っていても絶対に認めずに論点を逸らしていく。「ああ、この人は問題解決のための議論をしたいのではなく、相手に勝ちたい人なんだな」と思う。要は、競争心や闘争心が強いのであり、自分が優位に立ちたいだけだ。
だから、攻撃的なリプライや引用ポストに対しては基本的には無視することにしているし、自分から反論・批判のリプライや引用ポストはしないことにしている。議論をふっかける行為は、権力闘争になってしまうからだ。そんなことをしても相手を不快にしたり闘争心を燃え上がらせるだけで、相手と良い関係を築くことはまずできない。
ただ例外はあって、相手が「公人」であったり社会的影響力の強い「みなし公人」の場合は、私も名指しで批判することはある。
日常生活でも、競争や闘争はいたるところにある。家庭内での夫婦喧嘩、親子喧嘩、嫁姑の諍い・・・いずれも権力闘争だ。自分のやり方や考えが正しくて相手は正しくない、そんな押し付け合いをしている。近年は夫婦の3組に1組が離婚すると言われているが、価値観が合わないというだけで破綻してしまう夫婦も少なくないのだろう。もちろん、穏便に済ませるために相手の言いなりになっていればいいというわけではない。価値観が違うのなら解決策を探ればいいのにそれをしようとしない。そんな人が多くなったのではなかろうか。結局、競争心や闘争心が強い人が増えてきたのではないかと私は疑っている。
しかし、なぜこんなに競争心や闘争心が強い人が多いのだろうか。人が自然の中で狩猟採集生活をしていた頃は、人々は集団をつくって協力していかなければ生きていけなかったはずだ。協力して狩りをし、手に入れた食料は皆で平等に分け合う。外敵から身を守るためにも、人々は協力していただろう。得手不得手はあっただろうけれど、おそらく上手く役割分担をして協力的にやっていたのではなかろうか。協力しあわなければ生きてはいけない社会では、競争とか闘争などしている余地はない。
ところが、現代社会は競争で溢れているし、それは幼少期から始まる。例えば習い事の世界なども競争になりかねない。子どものピアノの発表会できらびやかなドレスを着せるのが普通になってきているようだけれど、一人が始めれば皆が同じことをする。そんな風潮も競争だろう。成人式の晴れ着も同じで、ほぼ全員が振袖という光景にどうしても好感を持つことができない。受験ももちろん競争に他ならない。学校での部活も、試合に勝ったりコンクールで優秀な成績をおさめることに拘るのならまさに競争だ。スポーツでも趣味でも勝ち負けに拘らず楽しむことが一番大切だと思うのだが、現実はそうではない。私たちは、常に競争にさらされることで闘争心が強くなっているのではないかと思う。
人は様々な発明をして物質的に豊かな生活を送るようになったのに、いつまで経っても戦争が絶えることがない。誰しも平和で暮らせるに越したことはないと思っているに違いない。しかし、武力による戦争を肯定する人は一定程度いる。そのような人はとりわけ闘争心が強いと言わざるを得ない。協力的な社会が遠のいて競争的・闘争的社会になってしまったことは、人類にとって極めて不幸なことだったと思う。
そして、そうなってしまった最も大きな要因は競争を肯定する資本主義と限りない欲だと思う。資本主義によって生じた貧富の差は当然のことながら人々を分断し、憎しみを生み出す。今でも資本主義や競争を肯定する人が大多数のように見受けられるが、なぜそんなに競争を好むのか? 競争や闘争では平和は決してつくることはできないのに。
競争や闘争を好む人たちが多ければ多いほど、この社会は混沌となり平和から遠のいていくように思う。そのためには、まずは貧富の差を解消していく必要があるだろう。そして一人ひとりが競争や権力闘争から降り、欲はほどほどにし、他者と対等な関係を築き、話し合いで紛争を解決するようにしていくしかない。折り合いがつかないことに関しては、価値観の相違を認めつつ役割分担を決めるとか、第三者が間に入って調整するなどして解決を図ることは可能だと思う。
すでに多くの人々は競争に捉われ、欲に捉われてしまっている。この状態が続くのなら人類は破滅の道を辿ることになるのではないか。ここまで格差が拡大してしまった状態で、果たして、人類は競争や闘争から脱却して平和な世界を構築することができるのだろうか?
最近のコメント