戦争・平和

2023/11/14

競争と闘争

 私は競争、つまり他者と競うというのがどうしても好きになれない。他人と競ってばかりいたら心も体も疲弊してしまう。趣味であれ勉学であれ、自分のペースで楽しむのが一番だと思っている。ところが、世の中には競争が大好きな人がいる。何かというと他者と比較して優劣を競おうとするのだ。スポーツでも芸術でも日常生活の様々なことでも。つまり、始終闘っているのであり、競争とは闘争とほぼイコールではないかと思っている。

 

 たとえば、X(Twitter)を見ていると、他人の投稿を引用して批判ばかりしている人がいる。あるいは、自分と意見が異なる人に対してすぐに返信で反論をする人がいる。一回反論するだけならまだしも、延々と議論をふっかける人もいる。ただし、そういう人に限って、自分が間違っていても絶対に認めずに論点を逸らしていく。「ああ、この人は問題解決のための議論をしたいのではなく、相手に勝ちたい人なんだな」と思う。要は、競争心や闘争心が強いのであり、自分が優位に立ちたいだけだ。

 

 だから、攻撃的なリプライや引用ポストに対しては基本的には無視することにしているし、自分から反論・批判のリプライや引用ポストはしないことにしている。議論をふっかける行為は、権力闘争になってしまうからだ。そんなことをしても相手を不快にしたり闘争心を燃え上がらせるだけで、相手と良い関係を築くことはまずできない。

 

 ただ例外はあって、相手が「公人」であったり社会的影響力の強い「みなし公人」の場合は、私も名指しで批判することはある。

 

 日常生活でも、競争や闘争はいたるところにある。家庭内での夫婦喧嘩、親子喧嘩、嫁姑の諍い・・・いずれも権力闘争だ。自分のやり方や考えが正しくて相手は正しくない、そんな押し付け合いをしている。近年は夫婦の3組に1組が離婚すると言われているが、価値観が合わないというだけで破綻してしまう夫婦も少なくないのだろう。もちろん、穏便に済ませるために相手の言いなりになっていればいいというわけではない。価値観が違うのなら解決策を探ればいいのにそれをしようとしない。そんな人が多くなったのではなかろうか。結局、競争心や闘争心が強い人が増えてきたのではないかと私は疑っている。

 

 しかし、なぜこんなに競争心や闘争心が強い人が多いのだろうか。人が自然の中で狩猟採集生活をしていた頃は、人々は集団をつくって協力していかなければ生きていけなかったはずだ。協力して狩りをし、手に入れた食料は皆で平等に分け合う。外敵から身を守るためにも、人々は協力していただろう。得手不得手はあっただろうけれど、おそらく上手く役割分担をして協力的にやっていたのではなかろうか。協力しあわなければ生きてはいけない社会では、競争とか闘争などしている余地はない。

 

 ところが、現代社会は競争で溢れているし、それは幼少期から始まる。例えば習い事の世界なども競争になりかねない。子どものピアノの発表会できらびやかなドレスを着せるのが普通になってきているようだけれど、一人が始めれば皆が同じことをする。そんな風潮も競争だろう。成人式の晴れ着も同じで、ほぼ全員が振袖という光景にどうしても好感を持つことができない。受験ももちろん競争に他ならない。学校での部活も、試合に勝ったりコンクールで優秀な成績をおさめることに拘るのならまさに競争だ。スポーツでも趣味でも勝ち負けに拘らず楽しむことが一番大切だと思うのだが、現実はそうではない。私たちは、常に競争にさらされることで闘争心が強くなっているのではないかと思う。

 

 人は様々な発明をして物質的に豊かな生活を送るようになったのに、いつまで経っても戦争が絶えることがない。誰しも平和で暮らせるに越したことはないと思っているに違いない。しかし、武力による戦争を肯定する人は一定程度いる。そのような人はとりわけ闘争心が強いと言わざるを得ない。協力的な社会が遠のいて競争的・闘争的社会になってしまったことは、人類にとって極めて不幸なことだったと思う。

 

 そして、そうなってしまった最も大きな要因は競争を肯定する資本主義と限りない欲だと思う。資本主義によって生じた貧富の差は当然のことながら人々を分断し、憎しみを生み出す。今でも資本主義や競争を肯定する人が大多数のように見受けられるが、なぜそんなに競争を好むのか? 競争や闘争では平和は決してつくることはできないのに。

 

 競争や闘争を好む人たちが多ければ多いほど、この社会は混沌となり平和から遠のいていくように思う。そのためには、まずは貧富の差を解消していく必要があるだろう。そして一人ひとりが競争や権力闘争から降り、欲はほどほどにし、他者と対等な関係を築き、話し合いで紛争を解決するようにしていくしかない。折り合いがつかないことに関しては、価値観の相違を認めつつ役割分担を決めるとか、第三者が間に入って調整するなどして解決を図ることは可能だと思う。

 

 すでに多くの人々は競争に捉われ、欲に捉われてしまっている。この状態が続くのなら人類は破滅の道を辿ることになるのではないか。ここまで格差が拡大してしまった状態で、果たして、人類は競争や闘争から脱却して平和な世界を構築することができるのだろうか?

 

2022/04/13

支配欲のあるところに平和はない

【昨日のツイートより】

 ウクライナとロシアとの戦争を見ていると、自国のために兵士となって戦うことのどこに正当性があるのかと不思議でならない。人と人との殺し合いを「国」を理由に容認していいとはとても思えない。太平洋戦争のときも全く同じだった。多くの人が「お国のため」と洗脳されて兵士となり、命を落とした。

 国のために国民が犠牲になるというのは、全体主義そのもの。そういう考えには一切賛同できない。しかし今、日本は「自国のために」という理由を掲げて再び戦争ができる国に突き進もうとしているように見える。太平洋戦争の教訓はいったいどこに行ってしまったのだろう?

 だからといって、国境を取り払えば戦争がなくなるというわけでもないだろう。内紛はいくらでもある。要は、紛争を話し合いで解決しようとしないことが問題なのだ。協力とか分かち合いとか他者の尊重とか譲歩などという精神があれば、武器を持たなくても問題解決は可能だと思う。

 武器で戦えば、必ず憎しみの連鎖になる。そして、個人同士ではなんの諍いもない人達が殺し合いをしてしまう。なんとおぞましいことかと思う。憎しみの連鎖を断ち切るには、「戦う」という反応を止めるしかなかろう。話し合いで解決できないから戦争が絶えないのだという人がいるかもしれない。

 しかし、戦争には必ずといいていいほど相手を支配したいとか、屈服させたいという欲求がある。他者を対等な関係とみなすことができないから、紛争になり、時に戦争にまで発展してしまうのだろう。これは今起きている情報戦や認知戦でも同じだ。その裏には、相手を屈服させたいという強い欲求がある。

 では、世界経済フォーラムが目指しているように、国の枠組みを取り払って世界統一政府をつくり、ごく一部の富裕層が他の人達を監視、コントロールするような全体主義的な世界をつくれば戦争のない平和な社会になるのだろうか? もちろん、そのような支配従属の社会は平和であるわけがない。

 相手を屈服させるために殺し合ったり、認知戦で騙し合って支配従属関係をつくろうとすること自体が愚かなことであり、それは国家の有無とは関係ないだろう。私たちが目ざすべきは、支配従属関係のない協力的な社会だ。人々が協力しあうことで成り立つ社会はそもそも格差のない対等な社会なのだから。

 支配従属関係のない協力的な社会は、競争と格差、そして環境破壊をもたらした資本主義と決別し、限りない経済成長という欲望を止めることでしか実現しないと思う。人が支配欲と競争に執着している限り、決して対等で平和な社会はつくれないと思う。

 

2019/08/15

敗戦の日に

 また敗戦の日が巡ってきた。戦争を体験した人たちが年々少なくなり、あの大惨事は忘れられつつある。私と同世代の安倍首相は、平和憲法改悪が悲願のようだ。何ということなのかと言葉もない。

 私の両親は太平洋戦争のときに青春時代を過ごした。「灰色の青春時代」としか言わなかったが、口には出したくないさまざまな思いがあったに違いない。その父の遺稿集「山の挽歌」から、戦死した友人と思い出を綴った「山旗雲」という随筆をここに再録しておきたい。

 

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山旗雲

 悪魔の黒い爪が槍沢のモレインに伸びる。すでに眼下の谷は黒い影に覆いつくされ、その中に岳樺の梢がささら箒(ほうき)のように浮いていた。
 だが、東鎌はあかあかと輝いている。圏谷(カール)の奥の槍が純白のガウンを右肩に、ペルセウスのように突っ立っていた。
 天狗の池の高みで、英子は彼に見とれている。西岳の上のコバルトブルーに、何気なく浮かんだレンズ雲。……オヤッ、伯爵夫人のお出ましだ……。一瞬いやな予感が走る。しかし私はすぐそれを打ち消した。昨日の上高地は雨だった。たぶん、風に乗り損なった彼女がうろうろしているのに違いない。私が山友Oを思い出したのは、その時だった。
「伯爵夫人といえば、ヤングミセスだとばかり思ってやがる。歯の浮くようなことを言うなっ。あいつはスケスケの白いドレスを着てるが、白髪の婆さんで、おまけに縮れ毛だ」
 彼は私の夢をこっぴどく打ち壊したのだった。あれからもう三十五、六年になる。
 ツバメ岩の根元に回り込む斑な新雪を踏みながら、私は明日の予定をはっきりと決めていた。上高地からの自動車道の混雑にうんざりして、どこか静かな帰り途を、と密かに考えていた矢先である。かつて彼と歩いた一ノ俣谷-常念岳-一の沢のコースならば、英子にとって初めての山だけに賛成してくれるはずだ、と思ったのである。
 翌日、朝寝坊のすえ遡った一ノ俣谷は、どうしてなのだろう?と首をかしげるほど昔のままの静けさだった。七段の滝の岩壁の、ナナカマドの赤が目に沁みた。二組の降りのパーティーに会っただけで登り着いた乗越(のっこし)には、秋の日差しが溢れていた。しかし昼食を済ませて登り始めた常念坊は、西の強風に追いたてられて駆け走る霧の中、ご自慢の岩の衣も見え隠れのご機嫌の悪さだ。山頂の苛立ちの中、凍える指で巻き上げたカメラのレバーがいやに軽い。何回シャッターを切ってもフィルムの表示は三十六枚で止まったきり、明らかにフィルムは空回りしていたのである。
 英子は怒っていた。無理もない。これで一ノ俣の紅葉に映える渓流も、山頂の記念撮影も、今日の写真はすべてパーである。先に立って降路をとばす彼女の肩に、B型血液が躍動している。言い訳でもしようものなら、彼女の全身は増殖炉と化すだろう。冷めるのを待つに如(し)かず、と私はゆっくりと後を追う。思えば、かつてこの山稜でOを怒らせた私である。今もまた、英子を怒らせてしまった因縁に、私は思わず苦笑した。

 あれは七月の半ばのことだった。一歩一歩、松高ルンゼを登っていた彼が、だしぬけに言った。
「セボネがな……」
「セボネ?」
「青学の背骨だよ。彼、元気か?」
「なんだ、あの人か……元気だよ」
「そうか、彼とはここで知り合った」
 セボネとは登攀(とうはん)者S氏のことである。
「あの人はいいな、兵役免除だろう」
「まあな……」
 言葉を切って私は続けた。
「おまえ、まさか、岩をやるんじゃねえんだろうな」
「ねえよ。こいつとアイゼンがあればいいって言ったろ」と言って、彼はピッケルを頭上に振り上げた。
 変な山旅だった。それまで山行の計画は私に任せっぱなしの男が、今回に限って、黙って俺についてきてくれ、と言うのである。私達は奥又白の池から四峰のフェイスの下、奥又白谷をトラバースして、その年の豊富な残雪を踏んで、五、六のコルを涸沢(からさわ)に降った。
 翌日、穂高を尻目に涸沢を駆け降った彼は、横尾の出合から本谷に入った。雪崩の爪跡を残す横尾本谷を遡行(そこう)した私達は、結局、右俣を詰めて天狗原に出たのである。天狗の池の畔でラジュースを吹かせながら、彼は言った。
「明日は常念に行こう。俺はそれから島々に寄って帰る。おまえ、どうする? あまり休みがとれないんだろう」
 その頃、私達は戦時下の世間体を気にして、山靴やアイゼン等を島々の知人宅に預かってもらっていた。だから、山へ行く時はよれよれのニッカーに地下足袋、ピッケルを放り込んだザックを背負った道路工事の現場監督さながらの格好で東京を発ったものである。
 彼のプランどおり、ただし私にとっては旅の終わりの常念乗越で、這松の中に寝ころぶと、少々気抜けして私は言った。
「変な奴だぜ。山のヘソばかり擽(くすぐ)らせやがって、挙句の果てにおまえは島々か」
「悪かったかな」
「いいや、こんなのも偶(たま)にはいいさ」
 どうやら、太平洋に腰を据えたらしい高気圧が東の空を透明な青に染めあげていた。しかし、梓川の谷はガスに埋まり、穂高は島のようだった。
「穂高が見えねえ」とボヤく彼の声も虚ろに、私は幾許かの時間をまどろんでしまったらしい。
 ふと目覚めた私の眼に映ったのは、何だか白い膜だった。ひどく風の音がしていたようだ。
 眼前にヌックと立った常念坊が雄大な雲の旗をたなびかせていた。梓の谷から湧き上がるすべての雲が、この山稜から一転して穂高に向かって吹っ飛んでいた。私は寝呆け眼をこすって言った。
「見ろよ、旗雲だ」
 彼は眠ってはいなかったらしい。「ウン」と感激のない声だ。
「見てるのか、すげえな」
 私はなおも叫んだ。
 どうしてそうなったのか、覚えがない。いつか私達は言い争っていた。彼は「山はた雲」の起こりは山端雲からきたのだと言い、私は巨大な軍勢が旗指物や吹流しを押し立てて進む墨絵への幻想を捨てきれない。「はた雲」はやはり旗からきたのだ、としつこく反発する私に、彼は本気で怒ったようだった。
「俺は旗が嫌いなんだ。軍勢も、軍旗も、日の丸だって、皆嫌いだ……。もうやめろっ」と彼は怒鳴った。
 いつにない彼の剣幕に驚いて、私は沈黙した。
 もう歩く気もなくなった。常念小屋にシケ込んだその晩、彼は素直に私に謝った。
「さっきはゴメン、俺はどうかしてたんだ。おまえの山旗雲が正しいんだ」と、戸惑う私に繰り返した。
 ランプの炎の灯る彼の瞳孔の寂寥(せきりょう)が、なぜか私の胸に悲しみを誘った。
 白けた気分をそのままに、明日の別れにつなげることが彼には耐え難かったのだろうか、と思った私の解釈は間違っていたのだろうか?
 翌朝、彼は私の山靴と二人のアイゼンの納まったザックを背負い、現場監督の姿に戻った私は、彼のベンドと私のシェンクを入れたザックを肩に小屋を出た。仰ぐ常念岳の積み重なった岩塊は、初夏の陽をちかちかと反射させていたが、梓川の谷には依然としてガスが立ち込めていた。
「晴れるといいな」
 肩に浴びせた私の声に、彼の白い歯が微笑んだ」
 私は岩ザレに腰を下ろして、岩塊の間をのろのろと登っていく彼の姿を追っていた。次第に彼は小さくなり、やがて岩塊の中に消えてしまった。それっきり、彼は二度と再び、私の前に現われなかったのである。

 常念乗越の小屋前の広場を、間近に見下ろす黄昏の中に、英子は佇立(ちょりつ)していた。私を待っていたのだろう。一台のヘリコプターが吊り下げた荷を小屋前に降ろすや否や、機体の鮮やかな黄を、薄くなってきた霧にたちまちにじみこませた。おそらく、今日の荷揚げの最終便だったのだろう。対斜面の横通岳に続く這松の斜面が、時として驚くほどの緑を燃えあがらせてはまた紫紺に沈む。あそこだった。彼と旗雲を見た所は……。
 常念小屋の翌朝は、層雲に穂高を載せて明けはじめた。やがて槍も穂高連峰もその全容を惜しみなく現わすだろう。急ぐことはなかった。今はハイヤーが寂れてしまった大助小屋のずっと奥まで入る一の沢である。ご機嫌の直った英子を誘って、横通岳に続く山稜をぶらぶらと登っていった。
 大喰(おおばみ)のカールは、誰かが落としたハンカチーフだ。あの天狗原も、氷河公園の名の方が通りがよくなった。北穂から切れ落ちたキレットの底はまだチャコールグレイのままだったが、前穂の肩にきらりと光るのは、確か奥又白A沢の詰めに違いなかった。
 Oとの山行がまたも思い出されたが、この時になって、私の鈍感な頭にも彼の意図が鮮明に映し出された。あの時あいつはヘソを点検しただけでは飽き足らず、穂高への別れの総仕上げに、この稜線を選んだのだ。しかし山旗雲が彼の願望を空しくしたのだった。
 終戦後の疎開先で彼の戦死を知った私は、彼のベンドを携えて、彼の仏前に供えた。これだけは、と懸命に磨いたブレードの鈍色(にびいろ)が、穂高の色に映えていた。
 S氏も事故で急逝されてもう十数年が過ぎた今、私だけがいまだに山をほっつき歩いている。伴侶の英子は灰色だった時代の青春の埋め合わせをするかのように、山とその自然にひたむきだ。私は彼女に一度だけでも山旗雲を見せたいと思う。

 

2017/08/15

敗戦72年に思う

8月15日。また敗戦の日がめぐってきた。私は「終戦」とか「記念日」という気になれない。広島と長崎に原爆を投下され、310万人もの犠牲者を出してようやく「負け」を認めた。戦争とは凄惨な殺し合いであり、人類の最大の愚行であることを日本人はあの戦争で思い知ったのではなかったのか。

そしてつくづく思う。戦争とは支配であると。相対する者(国)が論理や話し合いではなく力で相手を支配しようとし、そのために権力者が国民を支配して戦争に動員する。国民を戦争に駆り出すためにマスコミが洗脳装置として利用される。戦争とは権力者による支配と騙しでつくられる。

いったいこの世の中に、自分と何の関係もない人を殺したり、あるいは自分が殺されることを望む人がいるだろうか? 毎日、死の恐怖に怯えて戦いたいと望む人がいるだろうか? 殺人を嫌う、命を慈しむ、平穏な暮らしを望むという当たり前の願いに右も左も関係ない。

ところが愚かな人類は、ひとたび自分の利益が絡むと簡単に権力者に服従し、言いなりになってしまう。愚かな人類は、権力者の巧みな言葉に容易に騙される。そして殺戮の世界でしかない戦争へと巻き込まれる。犠牲になるのはいつも騙される人たちだ。

安倍首相は今、改憲という自分の悲願達成のために国民を騙そうとしている。内閣人事局を設置して官僚を支配することで安倍一強体制をつくりだし、政権内に強力な支配体制を確立した。そして、秘密保護法、安保法制、共謀罪と強行採決。マイナンバー法も国民を監視し支配するための法律に他ならない。

こうして、私たちはじわじわと体に綱を巻きつけられている。アベノミクスで目くらましをし、不都合なことは隠蔽し、国民を監視して自由に物を言えない状態にし、マスコミによって情報統制をする。その上で改憲をして戦争をする国につくりかえる。それが安倍首相の考えていることだろう。

加計学園問題や自衛隊日報隠蔽問題への対応で安倍首相の支持率は低迷している。とは言うものの、一度つくりあげた支配体制は簡単には崩壊しない。一度つくられた法律を廃止することも容易ではない。野党第一党の民進党も混乱し、支持率は低迷している。厳しい状態と言わざるを得ない。

果たして、日本人はこの危機的状況から脱して平和を守り続けることができるのだろうか。真の民主主義国家をつくることができるのだろうか。国民ひとりひとりの主体性と精神的自立が問われているように思う。国家に騙されていたなら、戦争は再び繰り返されるし、犠牲になるのは国民だ。

(今日のツイートより)

2016/02/01

戦争は人間の本性か?

 人間の最も愚かな側面は、戦争と環境破壊だと思う。同じヒトという種でありながら、憎み合って殺し合い、しかも大量殺戮を続けている生物種は地球上にはヒト1種しかいないだろう。環境破壊は、生物の生存基盤そのものを壊したり汚染することで自ら首を絞める行為だ。戦争は同種の殺戮と同時に環境破壊ももたらす。ともに理性のある者がとる行動ではなかろう。

 放射能汚染も同じで、お金に目がくらんだ人たちが危険きわまりない原子力の利用を促進してきたことが、人類はもとより地球上の生物の生存を脅かしている。21世紀における人類の選択は、地球上の生物の存続を左右することになるだろう。

 しかし、これだけ科学技術が発達した社会でありながら、ヒトはどうして戦争が止められないのだろうか。「戦争はヒトの本性」とか「戦争があるから人口増加が抑えられる」などといったことを口にする人がいるが、本当にそうなのだろうか? やや古い記事だが、以下からもやはり戦いは人間の本性ではないと考えざるを得ない。

「戦いは人間の本質ではなかった」:研究結果 

 アイヌの人たちはチャランケという弁論よってもめごとの解決を図ったという。アイヌ民族がまったく闘いをしなかったということではないにしても、話し合いで争いごとを解決するというのが彼らの基本的なやり方だったのだろう。

 狩猟採取生活をしている少数民族は、自然の中でひっそりと暮らしていて集団で殺し合いをするという話しはまずきかない。以前、NHKのテレビ番組で、狩猟採取生活をしているある民族にはストレスがないと報じていた。彼らは協力して獲物を捉え、食糧を集団の中で平等に分け与える生活をしているが、こうした集団内の協力や平等意識が武力闘争のない平和な生活を維持しているのだろう。狩りに非協力的な自己中な人は、集団内で生きていけないことになる。

 だいたい、同種同士で殺し合いをする動物はほとんどいない。チンパンジーなどには子殺しもあるが、これとて憎しみによる集団での殺し合いではない。ところが、人類はあるときから殺し合いをするようになってしまった。人間がいつまでたっても戦争という殺戮を止められないのは、欲を制御できないからとしか思えない。富を溜めこむようになった社会には富の分配の偏りという不平等が生じ、より多くの富を得ようとする競争があり、こうした社会では不平等と闘争心によって自ずとストレスが蓄積する。

 富の配分が公平で、支配や競争がない社会であればストレスは生じにくいだろうし、ストレスや競争がなく人と人が協力しあう社会であれば、人が憎み合うことも少ないだろう。ならば、人々が平和な暮らしを続けるために必要なのは、富をできる限り均等に配分して格差をなくし、人々が協力しあう社会を構築することだ。

 そして、地球上の資源は限りがあることを自覚し、自然改変をできる限り慎む努力をしつつ再生可能エネルギーを利用していくしかないのではなかろうか。もちろん、だからといって昔のような生活に戻れというつもりはない。自分たちの生存基盤である自然環境の保全を前提にしなければ、どこかで綻びが生じ持続可能な社会は続かない。戦いが人間の本性ではないのなら、意識と努力次第で平和な社会は築けるはずだ。

 しかし、日本は正反対の方向に向かっている。格差は拡大するばかりだし、福祉は切り捨て。今や働けど働けど搾取される非正規の労働者と、年金だけで生活できない高齢者が溢れている。あれだけ大きな事故を起こし放射能をばら撒きながら、原発をやめる気配がない。これでは人々の間に不満やストレスがたまり、攻撃的になるのも当たり前だろう。安倍首相は人々を攻撃的にしておいて、戦争に駆り出そうというつもりなのだろうか。

 これに気づき、理性を働かせていかないと、ストレスをため感情的、攻撃的になった人間は簡単に騙され誘導されてしまう。はたしてヒトは理性をとりもどし、戦争のない社会を構築することができるのだろうか?

2016/01/03

リテラシーが求められる時代

 新しい年を迎えたが、もうここ何年も新年にあたっての感慨はないし、とても楽しい気分にはなれない。ただ、昨年一年を無事に過ごせたことを感謝するとともに、来る年に自分は何ができるのだろうかと考えてしまう。

 とりわけ福島の原発事故以来ずっと重たい気持ちを引きずっているし、心の奥底にいいようのない不安が貼りついている。何の不安かといえば、戦争への道にすでに片足を踏み出していること、被ばくによる健康被害の顕在化と被ばく隠しが始まるであろうこと、再び大地震や大津波あるいは火山噴火などの自然災害に襲われる懸念(再度の原発事故の可能性も含む)、ますます格差が拡大するであろうこと、いつまで自由な言論ができるかわからないこと・・・などなど。

 以下の獣医さんの記事が、今の危険な状況を端的に指摘している。

 今年ほど右に傾いた年はない(そりゃおかしいぜ第三章)

 獣医さんも記しているが、政府は武器製造や開発、輸出を目指し、国立大学が軍事研究にまで手を出す始末だ。つまり科学者に軍事研究をさせて軍事に動員するということだ。戦争への学者の利用であり、こうしたやり方から間違いなく戦争へと誘導する御用学者が生まれるだろう。きわめて恐ろしい事態だ。

 国は科学者まで利用して軍需産業に力を入れ、強引に戦争法を通して戦争へと邁進している。平和憲法はすでに形骸化してしまったうえに、この夏の参院選で改憲を目論んでいる。再び巨大地震が迫っているという予測をしている人たちがいる中で、国民の声を無視して地震大国、火山大国で原発を再稼働させる様は、もはや狂気としかいいようがない。TPPも公約違反。マイナンバーで国民を管理。もう支離滅裂の状況だ。

 それにも関わらず、多くの人が政治に無関心だ。若者たちの多くはスマホから離れられない生活を送っているが、大半はゲームやSNSにうつつを抜かしているという。この情報化時代に、真実を知るための情報収集をするならわかるが、どうやら政治には関わりたくない若者が大半らしい。

 国が集団的自衛権を行使できるようにしたところで、自分には関係がないとでも思っているのだろうか。あれだけ自民党が公約違反をしておきながら、未だに「長年政権を握ってきた自民党がいちばん安心」などと思っている人も多いように見受けられる。これほど危険な状況なのに危機感が希薄で、保身ばかり考えている人があまりに多いと思わざるをえない。

 今年は原発事故から5年目になるが、チェルノブイリの原発事故の経験からも、子どもの甲状腺がんの多発をはじめとした被ばくによる健康被害がいよいよ明確になってくるだろう。政府が事故の過小評価に必死になり汚染地に住民を戻す政策を展開し、未だに誰も原発事故の責任をとらないという状況からも、これから被ばく隠しが行われるのは目に見えている。

 おそらく被ばく隠しに御用学者が跋扈するだろう。首都圏も汚染されてしまった以上、被ばくによる健康被害は関東圏でも明確に現れるに違いない(実際にはすでに現れているとは思うが)。そんな中で首都圏に住む人たちは正常性バイアスに捉われ、御用学者の振りまく安全説に頼ってしまう可能性がある。否、問題は御用学者だけではない。放射能安全説を振りまいたニセ科学批判の人たちや、それに準ずる発言をしている科学者の言説は汚染地に住む人たちに安心感を与える。こうして汚染地の住民がエートスに取り込まれ、原子力ロビーに牛耳られてしまうことこそ警戒せねばならない。エートスについては以下を参照していただきたい。

 <エトス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか?/その1 
<エートス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか? その2 
<エトス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか? その3 
<エトス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか? その4 

 今の日本の状況は、すでに浸水がはじまっている沈みかかった船だと思う。ともあれ、悲観していたところでどうにもならないのも事実だ。ならば、自分でしっかりと情報の取捨選択をし、できる限り真実に近い信頼できる情報を広め、間違った言説を指摘することが多少なりとも多くの人の幸福に結びつくのではなかろうか。もちろん一人の人間ができるのは微々たることでしかない。しかし、ただ悲観して何もしないのは状況の悪化に加担するだけだと思う。

 ネット上にはいい加減な情報やデタラメな情報、あるいは荒唐無稽な陰謀論や誹謗中傷が溢れているが、地道に真実を追求しようとしている言論もある。一方で、政府に都合の悪い情報の信用を落とそうと操作する人もいる。そんな混沌とした状況の中で、何が虚偽であり何が事実なのか、また何が真実に近いのかを見極めるリテラシーがこれほど求められる時代もないだろう。

2015/11/26

日本国憲法の制定と改憲

 11月24日付けの北海道新聞に、「憲法に平和と民主化の願い」とのタイトルで古関彰一さん(独協大名誉教授)の日本国憲法の誕生についてのインタビュー記事が掲載された。非常に重要なことだと思うので、ここに要点を紹介したい。

・憲法に平和条項を盛り込んだのは日本の議員たちだった。9条がどうしてできたかが分かったのは、1995年に帝国議会の速記録が公開されて判明した。
・知識人らによる民間グループ「憲法研究会」が1945年に統治権は国民にあり、天皇は国家的儀礼をつかさどるとし、自由権を定めた「憲法草案要綱」を発表し、内閣やGHQに提出。
・憲法研究会の案がGHQ草案に盛り込まれ、国民主権や人権条項につながった。
・日本政府は、万世一系の天皇が統治権を有するなど明治憲法とほとんど変わらない「憲法改正要綱」をGHQに提出したが、GHQは一蹴して自分たちの草案を日本に渡した。
・日本政府の「憲法改正要綱」に賛成したのは起草した憲法問題調査委員会委員長の松本蒸治ら一部だけで、昭和天皇すら要綱に疑問を持つ人が出るのではないかと述べた。
・GHQ草案を確定案にするまでGHQは松本らを30時間缶詰めにしたが、同席した外相の吉田茂や法制局の佐藤達夫は押しつけられたとは言っていない。松本の私憤が「押しつけ論」になったのだろう。
・連合国最高司令官のマッカーサーは、日本統治に昭和天皇の存在が不可欠と考えていたため、GHQは天皇に厳しい姿勢で臨むと見られた極東委員会が動きだす前に天皇を象徴的な存在にする民主的憲法案をつくろうと急いだ。つまり、天皇を守るために象徴天皇制と戦争放棄が必要だった。
・戦争放棄により日本本土を非武装化し、その代わりに沖縄に軍事基地をつくるというマッカーサーの政治的、戦略的な発想があった。
 

 ざっと要約するとこんなところだろうか。

 よく言われる米国による押しつけ論に対し、民間グループが提案した案をGHQが採用したということは私も知っていた。あらためて古関氏の解説を読んでも、いわゆる「押しつけ論」は改憲の理由にはならないと思う。

 ところで、これを読んで私が注目するのは「天皇を守るために象徴天皇制と戦争放棄が必要だった」と「戦争放棄により日本本土を非武装化し、その代わりに沖縄に軍事基地をつくるというマッカーサーの政治的、戦略的な発想があった」という2点である。

 GHQは象徴天皇制と戦争放棄によって天皇の戦争責任を免責したことになる。ここで頭に浮かぶのは、辺見庸著「1★9★3★7」に取り上げられている天皇の戦争責任問題である。この中で、辺見氏は天皇の戦争責任について何度も言及するのだが、とりわけ印象に残るのは1975年10月31日の皇居で行われた天皇の記者会見における問答である。1975年といえば、私は大学生だったが、情けないことにこの天皇の発言についてはほとんど記憶にない。この問答について「1★9★3★7」から引用したい。(306ページ)

(問い)また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかかいいたします。
(天皇)そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。

 天皇は当然のことながら自分に戦争責任があるという自覚はあっただろう。いわゆる「皇軍」が「大元帥陛下(天皇)万歳」と唱えて南京で大量殺戮をしたのだ。責任がないわけがない。しかし、この正面からの問いに対し「言葉のアヤ」などといって自らの戦争責任を堂々と誤魔化したのだ。これほど無責任で恥ずべきことはない。こういうことを平然と言えたのは、憲法で戦争責任の免責をしてしまったことが関わっているのだろう。

 私は戦争責任について天皇に土下座させて謝罪させればよかったとは思わない。自己の責任を認めることができない者に無理矢理謝罪をさせたところでどれほど意味があるのかと思う。ただし国民は、とりわけ知識人たる者は、この天皇の発言に対し毅然と異を唱え批判する必要があっただろう。中国での大虐殺という加害ならびに太平洋戦争での被害を突き付け、天皇の戦争責任を国民の前にきっちりと明らかにするべきであった。しかし、それがなされぬまま日本の無責任体質は今に及んでいる。ふたたび戦争をする国へと突き進んでいる今、今後の戦争で生じるであろう加害や被害の責任は誰にあるのか? 平和憲法を持ちながら安倍政権を選んだ私たち国民ではないのか・・・。

 もう一つ、認識を新たにしたのは、「戦争放棄により日本本土を非武装化し、その代わりに沖縄に軍事基地をつくる」という米国の思惑である。戦争放棄の裏にこんな事情があったのかと思うと慄然とする。沖縄を犠牲にしての日本の平和などあり得ない。今の辺野古の闘いは、本土の人間にとって決して無関心でいられるものではない。  

11月22日の琉球新報の社説から一部を引用しよう。

 注意したいのはオバマ氏の言動だ。首相の発言に対し、オバマ氏は「感謝したい。米軍も嘉手納より南の基地返還に取り組む」と述べただけである。「唯一」という発言に同意してはいないのだ。
 事実、日本の安全保障政策に多大な影響力を行使してきたアーミテージ元米国務副長官もナイ元米国防次官補も辺野古新基地に疑問を呈している。モンデール元駐日米国大使も「(普天間代替基地の場所について)われわれは沖縄だとは言っていない」と明言した。「辺野古が唯一」だなどと言っているのは日本政府だけなのである。

 憲法によって沖縄に基地を押し付けた米国ですら、もはや「辺野古が唯一」などとは言っていないのだ。それにも関わらず、今も辺野古で抗議行動をしている人たちに暴力をふるい、県民の反対を押し切って沖縄を米国に差しだそうとしているのは安倍政権にほかならない。こんな安倍自民党政権を選んだのは、私たち国民だ。

 私たち無責任な日本人が選んだ安倍首相は改憲に向けてまっしぐらだ。そして、再び戦争という人殺しをしようとしている。平和憲法の制定に米国の思惑があったとしても、それによって天皇の戦争責任が免責されたとしても、自民党主導の改憲は何としても阻止しなければならない。米国にただただ媚を売り、基本的人権すらなくそうとしている安倍政権にNOを突き付けねばならない。

 もし改憲がなされたなら、日本は一気に戦争へと突入し、基本的人権も表現の自由もなくなるだろう。戦前と同じ状況があっという間にやってきて、国民が互いを監視し合い、ずるずると戦争へと巻き込まれていくだろう。今、戦争反対を唱えている人ですら何も言えなくなり、軍国主義へと染まっていくかもしれない。そうなったとしても責任は私たち国民にある。

 無責任体質が染み込んだ日本人に、改憲阻止ができるかどうかが問われている。

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辺見庸氏の渾身の著作「1★9★3★7」 
辺見庸氏の「1★9★3★7」インタビュードタキャンと日本共産党批判

2015/11/24

辺見庸氏の「1★9★3★7」インタビュードタキャンと日本共産党批判

 以下は11月22日の私のツイート。

①ここ数日、辺見庸氏のブログの日録「私事片々 201511/10~」http://yo-hemmi.net/article/429387467.htmlを毎日読んでいる。辺見氏は以前、日録で国会前のデモを批判していたが、それを一度消した。しかし、最近になってまたそのことを取り上げている。

②11月12日の日録には、安保法制に反対する国会前のデモについて、「安保法制反対をとなえる服従(屈従)的デモのあとにデモ参加者が路上清掃をしたという〝美談〟」をとりあげ、批判している。では、安保法制反対をとなえる服従(屈従)デモとは何をさしているのか?

③11月18日の日録で、共産党機関紙の赤旗が辺見氏の著書「1★9★3★7」についてのインタビューを断った理由についてこう推測する。「ほんとうのわけは、ひところの国会前のデモを、あまりにも「権力迎合的」だとわたしが口汚く非難したからではないですか。」

④辺見氏はさらにこう続ける。「そのことをみとめれば、問わず語りに、あそこには「まっさらの若者たち」だけでなく、共産党や民青の〝別働隊〟が多数入っていた事実を承認することになるので、あなたがたは卑小な沈黙をきめこんでいるのではないですか。」

⑤「まっさらな若者」とはもちろん #SEALDs の若者たちのことだろう。私は現場にいたわけではないし、本当の事情はよくは分からない。しかし、SEALDsの主宰したデモに、共産党や民青のメンバーなどの「別働隊」が入り込んでいたというのはたぶん事実だろう。それだけならまだいい。

⑥辺見氏が批判したのは「別働隊」のとった行動である。21日の日録にこうある。「権力受容体質のニッポンのあんちゃん、ねえちゃんたちは、国会前でやったように、SWATに拍手喝采し、屍体に「帰れ!」コールを浴びせかけ、しかる後に、みんなで血塗られた道路の清掃作業でもやるんだろうか」

⑦ツイッターでも流れてきたが、一部のデモ参加者が警察に逮捕されたとき、デモ参加者の一部がその逮捕を喜び、「帰れ」コースを浴びせたらしい。別働隊が警察にチクったのかどうか私は知らない。しかし、警察による違法逮捕への加担を「権力に迎合」と言わずに何というのだろう。

⑧辺見氏はこの光景に怒っている。安保法制反対を叫ぶ人々が権力に迎合しているのなら、矛盾も甚だしい。共産党別働隊がそれに関わっているからこそ、辺見氏は共産党を「権力迎合的」と批判しているのだ。私も警察によるデモ参加者の逮捕を知ったときには憤りを覚えた。

⑨共産党や別働隊なるものが国会前デモを利用しているというのは、私も感じてはいた。しかし、あえて批判はしなかった。なぜならSEALDsは特定の組織を支持しているわけではないし、来る者は拒まず、去る者も追わないからだ。共産党や過激派が来ていても排除することにはならない。

⑩個人の発言と行動、すなわち個としての主体性を何よりも重視するSEALDsと、上意下達が徹底した日本共産党は、どう考えても根本的なところで歴然と異なっている。相いれないのだ。なのに、共産党がSEALDsの若者たちを評価し国会前デモを大きく報じることにどうしても違和感はあった。

⑪私は徹底して戦争に反対をしてきたという点では日本共産党を評価している。主張にしてもまっとうなことが多い。しかし、共産党という組織内における「支配-服従」の関係だけは嫌悪する。組織に服従してしまう人々が、いったい国家権力に対してどれだけの不服従や抵抗ができるのかと。

⑫そして、はからずもその矛盾が国会前の「逮捕に加担=権力に迎合」という光景で露呈した。いったいこの国の平和運動に個の主体性がどれほどあったのか? それだけにとどまらず、別働隊(だと私は思っているが)のメンバーが個人情報晒しというネットリンチ(暴力)をしでかした。

⑬辺見氏が推測するように、もしインタビューを断った理由が共産党批判なのであれば、やはり共産党に幻滅せざるを得ない。共産党は批判を真摯に受け止める度量がこの危機的状況を目の前にしてもないのかと。なぜ対話ができないのかと。それが身を滅ぼすことにならないのかと。

⑭戦争に片足を踏み入れているときに、反戦平和を唱える共産党の批判をしたくはない。しかし、言っていることとやっていることに矛盾があってはならない。その矛盾を解消し、個の主体性を尊重しないところに未来はないと思う。 

 共産党の志位委員長は、9月22日にツイッターでこんな発言をしている。

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 志位氏は「共産党アレルギー」が国民連合政府共闘の支障になっていると考えているようだが、そうだろうか? たしかに、共産党と聞いただけで嫌悪する人たちはそれなりにいるだろう。しかし、私は、共産党という組織の内部における「支配-従属関係」を嫌っている人がかなりいるのではないかと思っている。それゆえに共産党から離れて行った人も多いのではないか。さらに、党に対する批判を許さない姿勢も賛同できない。なぜ、もっと批判に対して寛容になれないのだろう。自分たちこそ「絶対に正しい」と思っているのであれば、民主主義を標榜する組織とは言いがたい。

 辺見氏が国会前での権力迎合と共産党のインタビュードタキャンに拘る理由はここにあるのだろう。共産党が安倍政権を批判し、民主主義を主張するのなら、共産党のこの姿勢を変えることこそ必要なのではないか? 党の体質を変えないで「アレルギー」のせいにしてしまう限り、国民からの支持は得られない。私にはそう思えてならない。

2015/11/21

辺見庸氏の渾身の著作「1★9★3★7」

 「金曜日」から出版された辺見庸著「1★9★3★7」を読み終えた。本書は、週刊金曜日に連載された「1★9★3★7『時間』はなぜ消されたのか」および「今の記憶の『墓をあばく』ことについて」を加筆修正して書籍化したものだ。

 私は辺見氏の本は全部ではないもののある程度は読んでいる。しかし、本書はこれまで読んだ本の中でももっとも強い衝撃を受けたと同時に、読み進むこと自体に多少なりとも苦痛を伴った。

 本書は、中国人の視線で日中戦争での日本軍による残虐な行為を描いた堀田善衛(ほったよしえ)の「時間」という小説をもとに、戦争における人間の獣性を問い、天皇の戦争責任を問い、今の日本の危機的状況を招いた原因を暴き、日本人の心に巣食う全体主義を批判し、これらのことを痛烈に読者に質す書である。タイトルの「1★9★3★7」は、日中戦争で日本軍が中国人に対して目を伏せたくなるような残虐行為、いわゆる南京大虐殺があった年を指している。

 私とて、南京大虐殺を知らないわけではない。日本兵による中国人捕虜や民間人の虐殺、強姦などの残虐行為については辺見氏の他の著作でも触れられているし、いわゆる「百人斬り」については本田勝一氏も指摘している。しかし、「時間」を基にした辺見氏の大虐殺の情景描写によって、私のこれまでの認識がいかに甘かったのかを思い知らされることになった。本書を読んでいる間中、その残虐きわまりない衝撃的な情景が脳裏に焼きつき、まさに悪夢のように頭にまとわりついた。

 そして、辺見氏自身が何度も本の中で自分自身に問い苦悩するのである。もし自分が日本兵の立場であればどう行動していたのか、上官の命令を拒否することができたのだろうかと。また辺見氏は日中戦争に従軍し、おそらく間違いなく拷問や虐殺などの残虐行為に加わったであろう自身の父親のことを引き合いにだし、自問自答する。自分自身が父親の立場であったらどうしたであろうか、戦争だったから仕方が無いで済ませられるのか・・・否、そうではないと。

 私が「読み進むことに多少なりとも苦痛を伴った」と書いたのは、辺見氏の自問自答は否応なく読者にも突き付けられているからである。本書は、読み進むその場その場で読者に対し「自分が日本兵の立場なら、どんな行動をとったのか」、「この残虐行為を自分はできるのか」と問い質し、答えを求めるのだ。この究極の問いに、何のためらいもなく「自分が殺されても他者を殺さないことを選ぶ」と明言できる人ははたしてどれほどいるであろうか。

 そして、やはり私は唖然とする。私(たち)は、日中戦争における日本人の残虐行為を知ろうとおもえば知ることができたのに知ろうとはせず、天皇の戦争責任も心のどこかに感じながらもなんとなく目をそむけてきたことに。さらに、この国のメディアも知識人の多くもそれを封印し続けてきたことに。否、封印どころか、南京大虐殺はなかったという言説が吹聴され、過去を書き消そうとする勢力が台頭しているのである。

 実際、ネットで「南京大虐殺」「百人斬り」と検索してみて唖然とした。これらが捏造であるとか論争中であると言った言説が渦巻いているのだ。何ということだろう。

 辺見氏は、戦後70年間、この国に民主主義などはなかったと喝破する。日本人は隣国で行った過去の残虐行為を封印し、天皇の戦争責任を問わなかったと。つまり、日本人は自分たちに都合の悪いことは徹底的に隠し、責任をとるということを避けてきたと。たしかに、その通りである。戦争責任もそうだし、福島の原発事故も誰も責任をとっていない。事故原因もうやむやのまま、事故の収束の見通しすらつかないのに、原発の再稼働を始めたのだ。この国では重大な被害をもたらした人為災害の原発事故ですら誰も責任をとらない。「責任をとらない」ことがあらゆるところで常態化し、人々もその状態に麻痺しているかのようだ。

 本書では、最後に日本人のもつ全体主義を2015年にこの国で起きていることへと繋げている。辺見氏は、反戦平和を訴える民衆を否定こそしないが、そこに加害者意識が抜け落ちていることを鋭く突き、被害者意識だけの反戦運動に物申す。日本人は、東京大空襲、沖縄戦、原爆投下の被害者ではあるが、その前の南京大虐殺では加害者である。その戦争加害者意識を置き去りにして被害ばかりを強調することに警告を発している。

 そして、辺見氏は今の日本の情景を以下のように表現する。(348ページ)

1★9★3★7のあらゆる問いは手つかずのままのこされ、数知れない遺体は年々、だたさらされて、しゅびよく風葬されている。敵はあきらかにきれめなく勝ちつづけている。どぶどぶの汚泥そのものの敵権力が、敵―味方の境界を消して、いつまでもさいげんもなく勝ちつづけている。敵はわたし(たち)のなかにこそいるからだ。

 戦争へと突き進む自民党政権がずっと勝ち続け、その勢いが国民にもじわじわと浸透してきていると。その通りだ。特定秘密保護法が通り、戦争法案も強引に通してしまった。そして安倍自民党政権は憲法改正を目論んで邁進している。現政権がずっと勝ち続けているのは何故なのか?

  「敵はわたし(たち)のなかにこそいる」という言葉が頭からこびりついて離れない。わたし(たち)のなかにある敵とは何か? 日本人は、なぜ安倍政権の暴走を止められないのか。ここでもう一度、辺見氏の言葉を引こう。(374ページ)

  ニッポンジンは、はたして敗戦で「始めて自由なる主体となった」か、ニッポン軍国主義にはほんとうに終止符がうたれたのか、超国家主義の全体系の基盤たる「國體」は、かんぜんにあとかたもなく消滅したのか。だとしたら、安倍晋三なるナラズモノは、いったいなにから生まれ、なににささえられ、戦争法案はなぜいともかんたんに可決されたのか。「この驚くべき事態」は、じつは、なんとなくそうなってしまったのではない。ひとびとは歴史(「つぎつぎになりゆくいきほひ」)にずるずると押され、引きずりまわされ、悪政にむりやり組みこまれてしまったかにみえて、じっさいには、その局面局面で、権力や権威に目がくらみ、多数者はつよいものにおりあいをつけ、おべんちゃらをいい、弱いものをおしのけ、あるいは高踏を気どったり、周りを忖度したりして、今、ここで、ぜひにもなすべき行動と発言を控え、知らずにはすませられないはずのものを知らずにすませ、結局、ナラズモノ政治がはびこるこんにちがきてしまったのだが、それはこんにちのようになってしまったのではなく、わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべきではないのか。

 はたしてどれほどの日本人が権力や権威に目をくらませず、強いものに折り合いをつけず、おべんちゃらを言わず、弱いものを押しのけず、高踏を気どらず、周りを忖度しないように努めているのだろうか。はたして、どれだけの人が圧力を恐れずに言うべきことを言い、やるべきことをやっているのか・・・。

 もちろんこれらを実行している人がいないわけではない。しかし、発言しようと思えばできるにも関わらず、理屈をこねまわしては発言を避けている人が大多数ではなかろうか? あるいは「叩かれる」ことを恐れて自ら発言を抑えている人も多いように見受けられる。

 私自身は民主主義がなかったというより、自己保身のために長いものに巻かれ、責任をうやむやにすることで、国民が自ら民主主義を放棄してしまったと思えてならない。その無責任体質と全体主義の結果が、安倍政権の暴走を許してきたのだ。だからここが変わらないかぎり、この国は戦争へと足を踏み入れるだろうし、そしてそうなってしまったら私たちはほとんど無抵抗にそれを受け入れざるを得ない状態になるだろう。もう戦争は目の前に迫っている。

 権力批判、強いものへの批判は怖れる反面、弱い者への暴言や個人情報晒しによる「吊るしあげ」、「ネット死刑」が横行し、加害者と被害者が応報を繰り返す光景も日常茶飯事だ。加害者が、翌日には被害者になって吊るしあげられていることすらある。それを物見遊山に傍観しては嘲笑する人々・・・。おぞましい光景に寒気がする。そこには言葉による残虐性や暴力があるし、その残虐性こそ、過去の戦争での日本兵の残虐行為に通じるのではないか。しかも、そうした事態は平和を訴え戦争反対を唱える人たちの間でも起きているのだ。これこそが、日本人の中に潜む全体主義であり残虐性ではなのではないか。上っ面の反戦平和ではないのか・・・。私は最近、ずっとそんなことを考えている。

 戦争の危機が迫るこの年に出版した本書は、辺見氏の気迫がみなぎった渾身の書である。

 ただし、なにやらあまりに絶望的な書だ。とは言え、辺見氏のそうした見方に大きく反論できないのも事実だ。かといってこの危機的状況に怒りの声をあげ、反戦平和運動を繰り広げる人たちを批判的に眺め絶望にひたることも私はよしとしない。

 安倍政権は戦争へと着々と準備を進めている。戦争へと片足を突っ込んだ今、民衆が騒いだところですでに「時遅し」であるかもしれないし、人々がそう簡単に己の中の全体主義から抜け出せるとも思えない。しかし、ここで黙っているわけにはいかない。諦めるわけにもいかない。絶対にいかないと思う。

2015/05/02

日本人の曖昧さこそが安倍首相の暴走を許しているのではないか

 5月1日付の北海道新聞朝刊に「次世代の憲法 空気読み主流に同調」という記事が掲載されていた。

 就活に失敗しないために周りに合わせて黒のリクルートスーツを着用する若者たち。山田昌弘氏(中央大教授)によると、その背景には同じ会社で一生働き続けたいという若者たちの安定志向があるという。さらに経済的な不安からくる多数派への同調意識が、改憲容認の空気が広がる要因のひとつだと分析している。つまり今の若者たちは、大人たちの主流が改憲容認だと感じ取りそれに同調しているというのだ。

 これが事実なら、若者の親世代の意識が大きく問われることになるだろう。

 私の若い頃も「周りに合わせる」という傾向はたしかにはっきりとあった。みんなと同じにしていれば陰口も言われにくいし安心という風潮があったし、学校でも他の人と違う意見をはっきり言うのが憚られるような雰囲気があった。つまりは自分の意見を主張すれば批判されたりいざこざの原因になるから、周りに合わせて曖昧にしていることこそ賢いといった人たちが多かったと思う。友人と政治の話しをしないというのも今にはじまったことではない。

 そういう世代の人たちが親になり、自分の子ども達にも同じような生き方を求めたことが、今の若者の意識に大きな影響を与えているのではなかろうか?

 私が子育てをしていた頃、大半の親は率先して自分の子どもが他の子どもと違うことがないよう気を遣っていた。たとえば服装ひとつにしても周りの子どもと同じようなものを着せる。自転車などの持ち物も同じで、誰かがマウンテンバイクを買ってもらうと、親が次々とそれに同調してマウンテンバイクを買い与えるのだ。同じにしなければ可哀そうだ、仲間外れにされる、という理由で。「違うことで仲間外れにしてはならない」と教えるのではなく・・・。

 PTAの会合なども同じで、多数派に同調せず自分の意見をはっきり言うとたちまち批判の的になり、陰口が飛び交った。そして批判されないようにと声の大きな人に同調する人たちを目の当たりにした。子ども達の間のいじめと同じことが親の間でもまかり通っていた。むしろ、親世代にこそいじめの根源があるのではないかと思うこともあった。

 今の若者たちが異常なほど周りに同調することに気を遣い「空気を読む」ようになってしまったのは、親世代の意識が大きいと思わざるを得ない。親世代の人たちこそ議論を嫌って多数派に同調し、子どもにもそう仕向けてきたのであり、若者たちが保守化している要因は若者たちだけの問題では決してない。

 戦前・戦中は洗脳されて軍国少年へと突っ走った若者が大勢いたが、今はネットでさまざまな情報が手に入るようになった。若者こそネットを最大限に利用している。それにも関わらず、若者たちのネットはラインでつながることで安心を求めたり、あるいはネットで他者を叩くという歪んだ関わり方が多い。ネット時代の若者が、今の日本の危機的状況を察知できずに保守化に走ってしまうのは本当に恐ろしい。

 安倍首相は米国に自衛隊を差し出そうとしているが、若者達は戦争に行くのは自衛隊員だけだとでも思っているのだろうか? 自衛隊が軍隊となれば自衛官を希望する人も減るだろうし、徴兵も時間の問題だろう。米国を見ていれば分かるが、貧困層こそ戦争に駆り出される確率が高くなる。しかし、若者が今の流れに抵抗しようとせず、ただ自分の安定・安心だけを望むであれば、「自分さえよければ」という発想にほかならない。いじめと同じではないか。

 若者たちは日本が米国に追従するということがどれほど危険なことなのか本当に分かっていないのだろうか? たとえ正社員として安定した生活ができたとしても、自由に物も言えない監視社会になれば平穏な生活などなくなる。米国の戦争に加担すれば日本が攻撃されないとも限らないし、万一原発を攻撃されたらこの国はひとたまりもなく破滅の道を歩む。

 大江健三郎氏は1994年のノーベル賞受賞記念講演で「あいまいな日本の私」というタイトルで講演をした。今から20年前のことだ。

 ノーベル賞受賞記念講演要約 

 今の若者世代そしてその親世代の多くに共通しているのは、「周りに同調することで安心する」という極めて曖昧な日本人特有の思考ではなかろうか。それは未曽有の原発事故を起こした後も、ちっとも変わっていないように見える。あれほどの原発災害を起こし、原子力ムラの欺瞞が晒されてもなお危機感を持てず、「曖昧さ」から脱却できないのだとしたら、行きつくところまで行くしかないのだろう。

 平和とは黙っていて与えられるものでは決してない。常に権力者を監視し、権力者が暴走しないよう注意を払っていなければならない。平和憲法を守るのも放棄するのも国民一人ひとりの意識にかかっている。これほど危険な状況が迫っているというのに、日本人の多くが未だに曖昧であることに胡坐をかいてはいまいか?

 投票に行かない若者たちを批判するだけではどうしようもない。自民党政権を容認し続けてきた大人たちが曖昧さを捨て、本気で危機感を伝えなければ若者も目を覚ますことがないように思う。

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