編み物のすすめ
雪に埋もれる北海道の冬は室内で過ごす時間が多くなるが、そんなときにお勧めなのが編み物だ。お勧めの理由はいくつかあるが、まず挙げたいのは「無心になれる」こと。
このブログで何度も書いているが、私は資本主義の矛盾や弊害に辟易としている。それがコロナ騒動以来より強くなっていて、気が滅入ることが増えた。考えても仕方ない(自分でやれることをやっていくしかない)のだが、それでも、いろいろな雑念が頭に浮かんでしまう。しかし、編み物はそんな雑念を振り払うのにとてもいい。
目の増減がなく、複雑な模様編みもないマフラーのような単調なものはともかくとして、アラン模様や編み込み模様のセーターなどは、余計なことを考えたりちょっとでもボーっとすると途端に間違えてしまい、面倒なことになる。そんな面倒を避けるために編み図とにらめっこし、目の数を数えながら間違えないように気を付けながら編むとなると、必然的に編み物に集中することになり、頭の中から余計な思考が消えてしまう。無心になれる編み物は、雑念を払うのにはぴったりだ。気が滅入るときやネガティブ思考になってしまうときには最適だと思う。
それから編み物は実に奥が深い。本などを購入して編み図通りに編むのも楽しいが、慣れてきたら自分で模様編みを組み合わせてオリジナルの作品をつくることもできる。それに、手と頭を使うのは認知症予防にもなるに違いない。大きな物を編むのは時間がかかるけれど、毎日少しずつ編み進めるのも楽しい。毛糸が余れば、帽子や手袋などの小物を編むのもいい。
こんなことを書くと、男性からは「編み物なんて女性の趣味」と言われてしまいそうだ。でも、そんな考えこそ偏見だろう。手先を使う仕事に性別など関係ないし、「ニットの貴公子」と呼ばれる広瀬光治さんのように、実際に編み物にはまってしまう男性もいる。嶋田俊之さんもそんな一人で、もともと音楽を専攻していた方だがニットも学び、本も多数出している。私は嶋田さんの本でバスケット編みを知ったが、あの編み方は目から鱗だった。
北海道の牧場で3年間過ごした時のことを綴った周はじめさんの「原野の四季」という本には、早朝から晩まで働きながら、夜にはセーターも編んだという若い牧夫の話がでてくる。昭和28年頃の話だが、今のように物が豊富ではない時代、自分たちのセーターは自分で編むというのも当たり前だったのだろう。私の母も若い頃はよく編み物をしており、私も「かせ」で売られている毛糸を玉に巻くのを手伝った。そういえば、若いころ毛糸で靴下を編んでいる男友達がいたし、セーターを編む男性もいる。編み物は決して女性だけのものではない。
今の時代、セーターなど毛糸代よりも安く買うことができる。しかし、そうやって大量生産されたセーターは海外で安い賃金でつくられた物が大半だ。そして、安いがゆえに数年着ただけでまた新たなものに買い替えられていく。果たしてそれが豊かなのだろうか? 「必要なものを自分でつくる」ということこそ本当の豊かさではないか、と思えてならない。手間暇かけてつくった物には愛着もあるし、大事にする。編み物は、資本主義の無駄な消費に対するささやかな抵抗でもある。
先日、革の鞄を作っている職人のつぶやきをXで見かけた。大量生産の鞄が出回るようになって手作りの鞄は売れなくなり、職人さんも激減したという。長く続いてきた伝統的な技術も資本主義に飲み込まれて消えていこうとしている。これは鞄職人に限ったことではないだろう。作っては捨て作っては捨てる消費文化はもういい加減に終止符を打たなければならない。





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