沈黙の春
北海道ではゴールデンウイークが終わる頃には夏鳥たちが勢ぞろいして森は一気に賑やかになる。アカハラ、キビタキ、オオルリ、センダイムシクイ、コルリ、ツツドリ、カッコウ、ジュウイチ、ノビタキ、アオジ、ホオジロ・・・それに留鳥のカラ類やキツツキ類など、森は野鳥のコーラスが響き渡る。しかし、これは「かつて」の話だ。最近は「どうなってしまったのだろう?」と思うほど森が静かになってしまった。
難聴になって野鳥の声が聞きづらくなったことを差し引いても(声の高いヤブサメなどはとっくに聞こえない)、明らかに野鳥が減っている。そう実感する。あれほどうるさかったアカハラの声がときどきしか聞こえない。今年はカッコウの声も聞いていないしセンダイムシクイも聞いていない。コルリの声はもう何年も聞いていない。散歩コースに複数いたキビタキも、わずかになってしまった。以前は何番も繁殖していたハクセキレイもずいぶん減った。アオジもホオジロも・・・。
草原の野鳥であるシマアオジやオオジシギが減ってしまったのはもうだいぶ前からだ。かつては北海道各地の海岸草原にいたシマアオジは、今はサロベツ原野でわずかに見られるにすぎないという。十勝地方の農耕地にはどこにでも生息していたオオジシギも、いつのまにか激減した。以前なら車で農村地帯を走っていると電柱の上に止まっている姿を頻繁に見かけたが、今は滅多に見なくなった。そういえば、夏になると電線にいくらでも止まっていたノビタキですら、以前ほど見かけなくなった気がする。
特定の野鳥が減っているということもあるが、全体に数が減っているのだ。ここ数年は特にそれを強く感じる。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が頭をよぎる。彼女は、農薬などの化学物質が自然環境に悪影響を与えることで、春になっても鳥の囀りが聞かれなくなると著書「沈黙の春(Silent Spring)」で警告した。1962年のことだから、今から64年も前だ。まさに、今、それが訪れているのではなかろうか。農耕地の野鳥であるノビタキやオオジシギの減少は、農薬の使用に関係していると思えてならない。広大な十勝の農業は大型機械に頼っているし、そうした農業では農薬散布は欠かせない。野鳥の餌となる昆虫や小動物が農薬で減ったり、汚染されているのは間違いないだろう。彼女の警告を私たちは真摯に受け止めずに農薬を使い続けてきた。そして、「沈黙の春」が現実となっている。
森林の野鳥の減少は少し状況が違うかもしれない。場所によってはエゾシカが増えて林床の植物が乏しくなってしまったという影響はあるかもしれない。シカの食害で林床の植物が減れば、それを食草とする昆虫も減り、野鳥の餌も減る。しかし、それだけが減少の要因とは思えない。いずれにしても、生物に関心を持っている人なら、野鳥や昆虫などが減ってしまったということを実感していると思う。
野鳥が減った、昆虫が減ったという話はずいぶん前からある。今から50年以上も前のこと、学生時代に大雪山の北部にある愛山渓温泉に泊まったことがある。このあたりはチョウが多いことで知られていたらしいが、その当時ですら「チョウが減った」と採集に来ていた学生さんから聞いた。生物の減少はとっくに始まっていたのだが、少しずつだと私たちは気づきにくい。まして、野鳥や昆虫に興味がない人は何も気づかないかもしれない。しかし、自然はじわじわと蝕まれてきたのだ。
過剰な森林伐採や開発による自然破壊だけではなく、化学物質が野生生物を追い詰めている。農薬と化学肥料に頼った農業は土壌の劣化や環境破壊につながるわけで見直していかなければならないはずなのに、一向にそんな気配はない。
言うまでもなく、人間は自然の一部であり、私たちは多様な生物、自然環境によって生かされている。その生物たちが激減しているということは、間違いなく人間にも影響を与える。しかし、気が付いたときには遅い。壊された生物多様性を元通りにするというのは容易なことではない。汚染されていない豊な自然があってこそ、人の豊かな暮らしがある。
科学技術で豊かさを求めるという方向は、すでに破綻しているとしか私には思えない。環境を破壊し汚染しつづけることは、豊かさを破壊していることなのだから。


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