雑記帳

2026/02/05

結婚で自由がなくなるのか?

 結婚をしない若い人たちが増えている。結婚するかどうかは自由だから、それはそれでいいのだけれど、結婚をしたくないという理由として「自由がなくなる」という人が一定程度いる。私は、このように考える人の「自由」とは何だろうと思うことがある。

 

 たとえば、結婚相手に支配されたくない、ということだろうか? たしかに配偶者を支配したがる人はいる。モラハラ夫などはその典型だろう。しかし、すべての人がモラハラ人間ではないのだから(むしろ一部)、結婚しただけで「相手に支配される」ということにはならない。もちろん、モラハラ人間ではなくても、配偶者にああしてほしい、こうしてほしいと要求する人はいるだろうけれど、それとて必ずしも従う必要はない、強要されている、と思えば従わなければいいだけの話だ。

 

 結婚をすれば、相手に不満を覚えることなど誰にでもあるだろう。ちょっとした生活習慣の違いなども気になってしょうがないし、喧嘩のもとになる。自分が相手に「こうしてほしい」と思うことがあるのなら、相手も自分に「こうしてほしい」と思うことがあって当然だ。それは決して支配ではない。そうした習慣や思考の違いからくる不満は、互いに話し合ったりルールを決めて解決するしかない。

 

 そのような解決策もとらず、「相手に嫌われないようにしよう」と我慢して相手に従ってしまうのなら、たしかに結婚自体が「自由ではない」ことになるのかもしれない。しかし、それは自分が自己主張できず、相手に合わせようとするからに他ならない。結婚したからといって、何でも相手に合わせる必要などないのだから。

 

 結婚したら、友人や知人と今まで通りの交際ができなくなる、と考える人もいるかもしれない。しかし、友人との交際まで制限する配偶者はどれほどいるのだろう? たしかに結婚をすれば友人より配偶者との関係を優先することになるだろう。そのために友人と会う機会も減るかもしれない。しかし、それが嫌だというのであれば、それは友人に依存したいからではなかろうか? というか、それまで友人に依存してきたからではなかろうか? 私にはそう思えてならない。結婚したからといって、友情がなくなるわけではないのだから。

 

 奴隷なら確かに命令に背けないゆえに「自由がない」と言えるだろう。しかし、たとえ奴隷であっても心まで拘束することはできない。まして、奴隷になるわけでもないのに、「結婚したら自由がなくなる」という人が私には理解できない。

 

 以前、知人の既婚男性が「結婚などしないで自由に恋愛して暮らすのが一番だ」と言っていたことがあった。「結婚したら、好きな人ができても自由に恋愛ができなくなる」と考える人もいるのかもしれない。しかし、これはかなり享楽的な思考だと思う。「たとえ何度失恋をしてでも、恋愛の楽しさやワクワク感をずっと続けたい」「結婚することで生じる責任をもちたくない」ということだろう。そこにあるのは、自分の享楽だけを追い求める自己中な姿だ。

 

 そもそも結婚というのはまったく違う生活をしてきた二人が、生活を共にして歩み始めるのだから、享楽だけの世界ではない。それどころか、ぶつかりあいもしばしばあるだろう。しかし、そうやって人は他者のことを理解しようとし、成長し向上する。家族であればこそ、病気のとき、困ったときに助け合う。結婚をせずに「恋愛の楽しさ」だけを求めるのであれば、うすっぺらな人間関係しか築けない。

 

 そして、人は歳をとる。若いときはちやほやされて恋愛相手もそれなりにいたとしても、歳をとればとるほど相手にしてくれる異性は減っていくだろう。年老いたときに、苦楽を共にしてくれる相手もおらず、孤独なまま一生を終えることにもなりかねない。

 

 「結婚したら自由がなくなる」というのは、結局、結婚して二人の生活をスタートさせることに不安をもつ人が、結婚しないことの理由にしているだけではないか。そんな気がしてならない。

 

2026/01/22

寒かった冬の思い出

 1月も下旬にさしかかり、いよいよ一年で一番寒い季節だ。といっても、以前に比べたら何と暖かくなってしまったのかと思う。私が北海道に来た1980年頃の冬の寒さは、なかなかのものだった。そもそもその頃に住んでいた住宅は断熱材なるものが使われていなかったし、窓はアルミサッシどころか隙間風の入りこんでくる木製だったのだから寒くて当たり前なのだけれど。

 

 まず、朝目が覚めたら、意を決して布団から出てストーブのスイッチを入れにいき、それからまた布団にもぐりこむ。何しろ厳冬期はストーブを消したら家の中はどんどん冷えていき、たちまち氷点下になってしまう。たぶん-10度近くになっていたと思う。娘が赤ん坊の頃、布団から出た手が冷えてしもやけになったものだった。

 

 前夜には沸騰していたヤカンの水は、朝はカチコチに凍っている。濡れていた布巾は板のように凍っている。ストーブを点火してヤカンの氷が解けて沸騰するまで起きるわけにはいかない。水道の蛇口が凍って回らないからだ。蛇口にお湯をかけ、止水栓を開いてようやく水道が使えるようになる。だから、寝る前には必ずヤカンに水を入れておかなければならない。

 

 外出をするときも同様で、必ず止水栓で水を落とさないと水道管が破裂して大変なことになる。真冬に数日旅行に出かけたことがあるが、帰ってきたら調味料まで凍りかけ、うっかり水を捨てるのを忘れた花瓶の水が凍って割れていた。真冬は、冷蔵庫は食品を冷やすというより、凍らせないためのものになる。家に居るときですら水道を長時間使わなければ凍らせてしまうこともある。ストーブの周りこそ暖かいが、そこから少し離れた台所は熱が届かないので、水道管の周りが氷点下になってしまうのだ。

 

 我が家では真冬でも夜はストーブを消していたが、夜もつけっぱなしにしている家が多いことを後になって知った。同居人は用心深くてストーブをつけたまま寝るという習慣がなかったのだが、たしかにストーブが原因で火事になる家がたまにあった。

 

 最低気温は-28度位になることもあり、そんな日はたいてい車のエンジンがかからなくなる。-15度程度だと「今日は暖かいね」などと言っていたものだ。それが、昨今は寒い日でも-20度代の前半。-20度にもなれば「今日は冷えたね!」ということになる。冷えた朝は木々に霧氷がついて実に美しい光景になり、ダイヤモンドダストも見られるのが厳寒の地の唯一の特典かもしれない。

 

 今は住宅の気密性も断熱性も高くなり、窓も樹脂サッシのペアガラスになっているのでこんなことはほとんどなくなったとは思うが、あの冬の寒さはなつかしい思い出だ。

 

 地球は温暖化していない、などと言う人をたまに見かけるが、ほんの40年位で冬はずいぶん暖かくなってしまった。かつては真冬に湿雪が降ることはなかったが、今ではしばしばある。北国の冬は間違いなく温暖化している。このまま温暖化が続けば、スキー場や屋外スケートリンクが使える期間はどんどん短くなっていくだろうし、さっぽろ雪祭りなどもできなくなるかもしれない。もはや時間の問題ではないかと思えてくる。

 

 冬が暖かいのは住民にとってはありがたいものの、やはりこの急激な温暖化はさまざまな問題を引き起こすのだろうと思うと喜んではいられない。人類はこれほどまでに急激な温暖化を体験したことはたぶんないと思う。あまりに急激な変化に自然はどこまで対応できるのだろうか? 農作物へも様々な影響が出始めている。漁業などももちろん影響があるだろう。温暖化を引き起こした人類の罪は重い。

 

2026/01/03

年の初めに

 私は初日の出を見に行ったり、初詣に行くという習慣が全くない。私の実家もそのような習慣はなかったし、夫も同じだ。初詣に行って一年の幸福を願うのもいいけれど、それは気持ちの問題であり、別に神社仏閣に行かなくてはならないことだとは思っていない。私にとって、お正月は単なる一年の区切りにすぎない。そして、歳と共にその一区切りに感慨を覚えるようになってきている。昨年もまた無事に一年を過ごせたと。

 

 義父母が生きていた頃は年末年始は夫の実家に行ったが、二人とも亡くなってからは自宅で静かに過ごしている。年末にはささやかなおせち料理を作り、31日はちょっとだけご馳走の夕食を摂り、テレビもないので紅白歌合戦を見ることもなく穏やかな年末を過ごす。そして、お正月は昔ながらにお雑煮やおせち料理を食べながらのんびりと過ごすのが習慣になっている。

 

 今は、おせち料理も食べないとか、できたものを買うという人が増えたようだ。時代とともに習慣も変わるのだからそれは仕方ないとしても、やはり寂しいものを感じる。クリスチャンでもないのにクリスマスを祝ったり、バレンタインデーにプレゼントをするのに、自国のお正月の習慣が廃れていくのは、なんとも不思議な気持ちだ。

 

 今年の元旦と2日は家でのんびりというかだらしなく過ごしてしまったので、今日は少しだけ外を歩いてきた。氷点下の気温でも寒いというほどではなく、ひんやりした空気と澄んだ青空がすがすがしく、ちょっとだけ生き返った気分になった。

 

 自然の中を歩いているときだけは、人の世に起きている紛争や人の心の片隅にある独善性のことを忘れることができる。自然の中にいるだけで心がなごみ落ち着くのは、ヒトが紛れもない地球上の生物の一員であるからだろう。私たちは自然によって生かされているのだと、木々や動物たちが無言で語りかけてくる。けれど、ヒトはその自然の恩恵を考えることもせずに壊し続けている。なんと罪深い生物なのだろう。

 

 お正月だからといってその年の抱負を考えることもなくなったが、だんだん短くなっていく残された人生を悔いなく生きたいとは思う。

 

2025/12/31

「和」と「沈黙」

 学生の頃、友人が「このごろ『和』というものがとても大切だと思うようになった」としみじみと私に語ったことがある。私は、正直いって、とてもその意見に頷くことはできなかった。私にとって、日本人が好む「和」というものは、「同調」とほぼ同義だったからだ。周りの人たちの様子を伺いながら、和を乱さないように皆に合わせるという日本人的行動が私は大嫌いだった。結局、「波風を立てない」「和を乱さない」という大義名分のもとに、主体性を捨てるということが「和」ではないか、そんな風にずっと思っていた。

 

 もちろん、だからといって他者と仲良くすることが嫌いというわけではない。決して人嫌いではないし、できれば仲たがいはしたくはない。それに、皆が協力して何かを成し遂げたり助け合うことはとても大事だとも思っていた。しかし、それは「和を乱したくないから同調する」こととは違う。コミュニティの中での協力とか助け合い、分かち合い、そういったものは人が平等かつ平和に生きていくためにはなくてはならないものだ。それらは「波風を立てないため」とか「和を乱さないため」にやっているわけではない。集団生活をするヒトという種は、協力とか助け合をしなければ生きていくことができなかったに違いない。

 

 そして、日本人の大好きな「同調」とセットになっているのが「沈黙」だ。日本では、集団の中にいると常に無言の同調圧力にさらされる。他者と違う意見を言う少数者は排除されたり無視されたりする。そういう場面では必ずといっていいほど「沈黙」がある。コミュニティ内でのいじめ行為をとってみても、「見て見ぬふり」という沈黙が、同調圧力によってもたらされる。

 

 以前、ある自然保護関係のグループメールに加わっていたことがある。そのグループではコアになる数人のメンバーと、それ以外の関係者がメールでやりとりをしていた。その中の一人が運営に疑問を持ったらしく抜けていったことがあった。私は、それをきっかけにこのグループでは誰がどのように意思決定しているのか気になって尋ねてみた。ところが、このグループメールを仕切っている人は私の質問に直接答えようとはせず、「足を引っ張るようなことはしないように」という主旨の返事がかえってきた。

 

 私はもちろん足を引っ張るようなことをするつもりで質問をしたわけではない。どのような運営体制になっていてどのように合意形成をしているのか知りたかっただけだし、グループに入っている以上はそれを知る権利があると思ったからだ。しかし、そういうことを質問すること自体が「足を引っ張る」つまり「和を乱す」行為だと受け止められてしまったようだ。そして、同じグループの人は誰一人としてこの件について意見を述べなかった。つまり、沈黙を貫いていた。

 

 個々のメンバーは、コアメンバーの決定に従っていればいい、と言わんばかりの対応なのに、誰も何も言わない。私は背筋が寒くなる思いをした。しかし、これと同様のことはいくらでもある。「和を乱すな」という圧力をかけ、周りの人も沈黙によってそれに同調し、少数意見を葬り去る・・・。これは民主主義の否定に他ならない。しかし、残念ながらそんなことが日常的に行われている。

 

 コロナ騒動のときもそうだった。マスクは任意のはずなのに、「誰もがマスクをしなければならない」という同調圧力が生まれ、一般人によるマスク警察まで登場した。「マスクをつけない」ことに勇気がいる時代がくるとは思ってもみなかった。そして、今でも医療機関などに行けば90%以上の人がマスクをつけている。さすがにマスク警察はいなくなったが、同調は今でも続いている。

 

 コロナワクチンも同様で、多くの人が医師や専門家と言われるような「権威」の言うことを信じ、また「皆が打つから自分だけ打たないわけにはいかない」という理由でワクチンを打ってしまった。ここにも強い同調圧力が働いていた。ワクチンに疑問を持ったり危険だと判断して打たなかった人は、非難されたり馬鹿にされたりして排除同然の扱いだった。リベラル左派と言われるような人たちも含め、多くの人がワクチン神話に騙されて権威主義、集団主義になった。

 

 コロナ騒動からほぼ6年が経過し、mRNAコロナワクチンは効果などなく、史上最悪の薬害を招いたことが明確になった。しかし、ワクチンに飛びついた人たちの大半はこの事実に目を向けようとせずに沈黙している。もちろん、今でもワクチンに効果があると信じている人たちもいるのだろうけれど、そのような人たちは未だにコロナ騒動に仕掛けられた認知戦に気づいていないということに他ならない。

 

 もし、悪意のある人が世界の人たちを監視し支配しようとしたなら、日本人のように「和」を重んじて集団に同調し、それに異議を唱える少数派を排除する民族ほど都合のいい集団はないだろう。コロナ騒動の時のように権威などを使って一般の人を騙しさえできれば、あとは同調圧力によって異論を唱える人を自ら排除してくれるのだから。

 

 和を乱さないように同調したり、沈黙によって同調を受け入れることを止めない限り、主体性など持てるわけがない。

 

2025/10/24

断捨離第二弾

 以前、一度は資料などの一部を廃棄した。しかし、まだまだあって何とかしなければならない。重い腰を上げて断捨離の第二弾を開始した。私も同居人も物を捨てられず何でもため込んでしまう性格だ。家が狭ければ適当なところで物を捨てざるを得ないが、広い上に子どもたちが使っていた部屋もあり、物がたまる一方だった。それにしても断捨離をしていると「よくもこんなにため込んだものだ」と自分でも呆れてしまう。もったいないからととっておいたものの大半はほぼ使わず、存在すら忘れているものもある。

 

 親が施設に入所し実家の片づけをしたときにつくづく感じたのだが、何でもため込んでしまうと残された子どもが実家の後始末をしなければならない。もちろん今はお金さえ出せば業者がやってくれるが、それでも残された物の中から貴重品や思い出の品などを選びださなければならないし、個人情報が含まれているものもできるだけ自分で処分しておきたい。そうすると、なかなか大変な作業を子どもにさせることになる。やはり、自分が動けなくなる前に、できるだけ物を減らしてすっきりさせておかなければならないと思う。

 

 私が住んでいるのは北海道の僻地ともいえる場所で、車は生活必需品だ。食料品などは生協で配達してもらえるが、車がないと医者に行くことができない。地元の町には内科のクリニックや歯科はあるものの、それ以外の診療科は車で一時間以上かけて通院しなければならない。医療機関にはなるべく行かないようにと思うが、そういうわけにいかないないこともある。たまにならともかく、遠方の医療機関に頻繁に通わなければならないようなことになれば、体力的にきつくなる。運転免許を返上したら移住するしかない。

 

 さらに、冬の除雪も歳とともにきつくなってきている。もし、夫婦のどちらかが要介護や入院ということになれば、今のところに住み続けるのは困難だ。そして、高齢者になれば、いつどのような病気や体調不良に襲われるか分からない。そんなわけで、そう遠くない将来に移住を考えているのだが、そのためには荷物を大幅に減らさざるを得ない。遅かれ早かれ断捨離をしなければならないのだ。そして、歳をとればとるほど体力が低下して断捨離や引っ越し自体が大変になってくる。

 

 断捨離をしていて思うのだが、物を捨てるというのはかなりエネルギーがいる作業だ。実家の片づけなら思い入れなどもあまりないが、自分のものだとそうはいかない。衣類や日用品はともかく、本や資料類となると一つひとつに思い出があるし、「これはとっておく」「これは処分」と、決断を下すだけでも気力がいる。

 

 特に、私の場合、長年自然保護に関わってきたので、その関連の資料などが大量にあった。それらを片づけていると、過去に自然保護団体の機関紙や雑誌などに書いた文章などが出てきたりする。書いたことすらすっかり忘れているものも多い。ごく一部だけは保存して、大多数は処分しているが、なんだか自分の過去の活動を消し去るようでちょっと寂しい。かといって、とっておいてもほぼ読み返すことはないのだけれど。

 

 自然保護関係の資料類の断捨離は大方終わったものの、まだまだ雑多なものが沢山あるし、一番大変なのは大量の本だ。これはもう、どうしても残しておきたいものだけ選び、あとは処分するしかないだろう。しかし、私にとって「本を捨てる」というのはかなり思い切りと気力がいる。

 

 そんなわけで、無理のない範囲で少しずつ進めている。断捨離が大方終われば、身も心もかなり軽くなりそうだ。

 

2025/08/31

式根島とヤマトウシオグモの思い出

 2001年8月末、私は母と伊豆諸島の式根島へ向かった。この年の8月は私はあちこちに出歩いていた。中旬にサハリンに出かけ、下旬には母が人で暮らす東京の実家に寄ってから沖縄で開かれた蜘蛛学会の大会に参加。そして再び実家にもどってきてから式根島に行こうということになった。式根島に行ってみたい、というのは母のたっての願いだった。急いで宿と船を予約し、29日の夜、竹芝桟橋初から船に乗った。夜行2泊の旅である。

 

 なぜ式根島なのかといえば、それは父が若き日にその島で何日間かを過ごし、「トベラの島」という随想を残していたからだった。大島に旅に出た父はそこでSさんという女性に出会い、彼女の実家のある式根島を訪れることになった。その旅をつづったのが「トベラの島」だ。

 

 船ではほとんど眠れないまま、30日の朝に式根島に降り立った。8月末といえばもう夏休みも終わり観光客もあまりいない。船を降りた人たちはマリンスポーツを楽しむ若者などが大半で、高齢の母と40代半ばの私はちょっと風変わりな旅行者だった。

 

 式根島は面積がおよそ3,7平方キロメートル、周囲が12キロメートルという小さな島だ。島の形はちょっと北海道に似ている。島は岩礁に囲まれており、北東に野伏港と小浜港という二つの船着場がある。台地状の島の中央から東側が市街地になっている。西側は何か所か展望台があるあだけで自然のままになっている。南北が2キロメールほどしかないので、どこでも歩いていける。

 

 朝、野伏港に降り立った私たちは、宿に荷物を置くとまずは島の南端にある地鉈温泉に向かった。「トベラの島」では「地獄」として登場する海中温泉だ。父が行った頃はこの温泉に降りる階段は岩に刻まれた狭くて急な道だったというが、今はすっかり整備されて手すりつきの階段になっていた。しかし自然の岩に囲まれた湯舟はおそらく昔とさほど変わってはいないのだろう。地熱で暖かいのか、岩の上には無数のフナムシがうごめいている。私たちは海風に吹かれながらしばしの時間をこの温泉で過ごした。父とSさんは夕暮れ時にランタンを手にこの温泉にきたというが、夜なら確かに地獄というのも頷ける。

 

 地鉈温泉を後にして入り口の道路に戻り、足付温泉への道をたどった。トベラやツバキなどの常緑樹の中の道は人通りもなく、そこここにジョロウグモが網を張って道をふさいでいる。私は、母とのんびりと歩きながら、道沿いのクモにも目を凝らしていた。照葉樹林の島には、北海道では見られないクモが多くて楽しい。レストランで昼食をとってから石白川海岸に出て、その後は東要寺という島に一つだけあるお寺に寄った。このお寺も「トベラの島」に登場するが、お墓には花を絶やさないというのが島の習慣だという。その習慣だけは保ちたかったのだろうか、今はお墓に供えられた花はすべて色鮮やかな造花になっていた。

 

 二日目は神引展望台に向かった。できれば西側(北海道の地図に見立てると渡島半島部分)をめぐる遊歩道を歩いてみたかったが、70代後半という高齢の母のことを考えて神引展望台だけに絞った。ここは島で一番標高が高いところだという。つまり、この島には山らしい山はない。展望台への歩道をゆっくりと登っていくと、眼下に岩礁海岸の素晴らしい光景が広がってくる。観光シーズンも過ぎて展望台には誰もいない。静かなひとときを楽しんでから、海岸沿いの遊歩道をたどって中の浦海水浴場、大浦湾海水浴場を回った。この二つの海水浴場は、岩礁に囲まれた天然の入江で、湾奥は美しく弧を描いた白い砂浜がある。8月末ともなると海水浴客もまばらで、私たちは静かな海辺で小休止した。

 

 私は岩礁に海岸特融のクモがいるのではないかと気になり、母を砂浜に残して海岸縁をうろついた。岩礁にはイソハエトリがいた。そろそろ帰ろうかと思ったとき、砂浜の汀線付近を歩いている一頭の雄クモが目に入った。海岸のクモに疎い私はイソタナグモだろうか?と思ったが、上顎が長くて違う感じがする。他にも同じクモがいないかと母を砂浜に待たせたまましばらく歩き回ったが(歩き回るといっても小さな海水浴場なので行ったり来たりしただけだが)、結局その一頭しか見つけることはできなかった。

 

 家に帰ってから、それがヤマトウシオグモであることを知り驚いた。ヤマトウシオグモは日本固有種で、満潮時には水没してしまう海岸の潮間帯に生息するという変わったクモだ。しかも個体数は多くない。満潮時は岩のくぼみや干潟の石の下などに住居をつくって潜んでおり、干潮時に餌を求めて徘徊するという。それまでは和歌山県の白浜が北限とされていたが、式根島での発見で伊豆諸島が北限かつ東限になった。式根島に生息しているのだから、伊豆諸島の他の島に生息していてもおかしくはない。きっと、誰にも気づかれることなくひっそりと暮らしているのだろう。

 

 そんなこともあって、式根島は思い出深い場所となった。式根島を訪ねてから13年後の2014年に母は亡くなったが、まだ母が十分に元気だったあのときに行っておいて本当に良かったと思う。母も願いが叶い、よい思い出を胸に旅立てただろうと思っている。

 

 この式根島への旅のことは、父の遺稿集「山の挽歌」のあとがきで少しだけ触れている。

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ヤマトウシオグモ色鉛筆画

 

2025/08/23

羅臼岳でのヒグマ人身事故について思うこと

 8月14日に羅臼岳の登山道で登山者がヒグマに襲われ死亡するという痛ましい事故が起きた。その事故について知床財団が調査速報を公表した。これによって、マスコミ報道ではよく分からなかったことも知ることができた。以下が調査速報。

 

2025年羅臼岳登山道におけるヒグマ人身事故に関する調査速報

 

 この報告書から、被害にあった場所はヒグの好物であるアリが多産する場所であったこと、見通しの悪い場所であったこと、被害者は走って下山していたらしいこと、被害者は熊撃退スプレーを所持していなかった可能性が高いこと、同行者は「クマよけスプレー」と謳っている商品を所持していたがヒグマに対応した製品ではなく、かつ再利用品で、事故発生時に使用を試みたが噴射はできなかった、ということが分かる。

 

 被害者を襲った親子グマは多数の人に目撃されていたが、今までは人身事故には至っていなかった。ということは、人慣れしていたものの通常ならクマの方から人を襲う危険性は低かったのではなかろうか。今回はたまたま悪条件が重なってしまい、走ってきた被害者と鉢合わせになって襲ってしまった可能性が高い。何ともお気の毒としか言いようがない。

 

 もし、現場がクマの採餌場であることを登山者が知っていれば、つまり登山道の前後に警告の立て札などがあれば登山者も警戒して音を出しながら歩いたりクマ撃退スプレーを構えて歩くなどして、被害を避けることができたのではなかろうか。かつては、「クマは人間の気配を感じるとクマの方が避ける」と言われていた。クマ鈴などで人の存在を知らせるのはそのためだ。仮に遭遇してしまっても、ヒグマに対応した撃退スプレーを所持していれば、命を奪われることはなかったかもしれない。いざとなればナタやナイフで戦うという手もあるが、そのあたりは個人の判断に任せたい。

 

 クマ撃退スプレーについてはどれほど有効なのかという議論もあるだろうし、必ず撃退できるという保証はないものの、私自身はクマの被害を防ぐためにかなり有効ではないかと思っている。もちろん専用ホルダーなどを利用してすぐに噴射できるようにして持ち歩かなければならないし、至近距離で顔に向けて噴射しなければならないので、上手くいかない場合もあるだろう。しかし、なにもないよりははるかに助かる可能性が高い。もちろん、北海道であればヒグマに対応した製品でなければならない。ただ、高価(1~2万円)である上に、飛行機で運ぶことができない。本州から北海道に登山にくる人にとってはハードルが高い。

 

 近年はレンタルも増えているようなので、今後はさらにレンタルしやすくする工夫は必要だと思う。登山口の山小屋や登山口に近い宿泊施設や公共施設、レンタカー会社などでも扱うようにすれば、持ち歩く人も増えるのではなかろうか。

 

 ところで、気になるのはクマ撃退スプレーの有効期限だ。多くの人はクマ撃退スプレーを購入しても使わないうちに期限が切れてしまう。私も若い頃は登山をしたのでクマ撃退スプレーは持っているが、使用期限はとっくに過ぎてしまった。いつまで使えるのだろうかと思っていたら、期限切れスプレーで実験をした人がいた。

 

実験!期限切れ熊よけスプレーは使えるのか?

 

 結論から言うと、期限が数年切れたくらいであれば、噴射距離がやや縮まることはあるものの効果はさほど落ちないようだ。ただ、あまり古いものはやはり買い替えたほうがよさそうだ。クマ撃退スプレーはかなり強力な唐辛子エキスなので、これを顔面(とくに目)に向けて噴射されれば、大型のヒグマといえど怯むだろう。

 

 先日ホームセンターに行ったら、入口に「クマ撃退スプレーあります」という張り紙があった。以前は登山用品店でなければ購入できなかったが、街中でもクマが出没する昨今は需要も増えているのだろう。

 

 クマと人の共生とは言っても、やはりまずは人がクマを近づけない工夫が必要だ。ただ、人慣れして人を襲うようになったクマは放置するわけにはいかない。クマの被害が発生してクマを射殺するたびに、地元自治体に苦情の電話やメールが殺到すると聞くが、クレームを入れたところで被害がなくなるわけではない。

 

2025/08/08

非科学とデマ

 私はデマという言葉があまり好きではなく、安易に使わないようにしている。なぜなら、ある情報がデマであるかどうかという判断は非常に難しいからだ。とりわけ非科学とかスピリチュアルと言われているものはデマだと言われやすいが、本当にそうだろうか?

 

 先日、船瀬俊介氏の『奇跡を起こす「波動医学」“量子力学”が切り開く未来医療革命』(共栄書房)を読んだ。波動とは、すべての物質がもつ固有の振動のことを指し、エネルギーが空間を伝わっていく現象のことで、量子力学の分野になる。電磁波や音波も波動を波動だし、脳波なども波動だ。この波動が人の健康と大いに関係があるという。つまり、波動医学では体調不良は振動数が乱れている状態で、これを正常に戻すことで体調不良や病気が改善するという考えだ。

 

 本書では、波動を発する機械による治療や気功など、波動を利用したさまざまな療法の事例などが解説されている。おそらスピリチュアルが大嫌いな人や西洋医学を信じている人には受け入れがたい内容だろうし、「ニセ科学批判」をしている人たちなどはデマのオンパレードだと思うに違いない。

 

 私も、にわかに信じられないことも書かれており、半信半疑のところもある。しかし、安易に否定してはいけないと考えている。波動を利用した治療によってさまざまな疾患が改善するのは事実だと思うし、本書で取り上げられている事例も事実だろう。気功についても以前からかなりの効果があると考えていたが、遠隔治療についてはなんとも不思議で理解を超えていた。しかし、本書ではその理由も説明されている。

 

 「Oリングテスト」なども以前はあまり信じていなかったが、この本を読んで、そうでもないと思うようになった。また、感謝の気持ち、愛、祈り、笑い、他者貢献などといった感情や心理も人体の波動を整えること、逆に、怒りや憎しみ、ネガティブな言葉は波動を乱し、悪影響を与えるということにも言及している。このようなことは心理学に関する多くの本でも言われているし、私もその通りだと思うが、波動が関係しているとまでは考えていなかった。

 

 本書に書かれているような波動を利用した治療法が本当に効果があるのなら、医薬業界から叩かれ潰されるというのも十分頷ける。実際に波動を利用した治療で病気や体調が改善した人は波動の持つ力を信じるだろうが、そのような経験のない大多数の人はそう簡単には受け入れられないに違いない。しかし、波動治療によって病が改善するということは多くの事例から事実であり、これを非科学あるいはデマの一言で片づけてしまうべきではない。量子力学もれっきとした科学だ。

 

 昨今は、非科学とみなされる情報を「デマ」とか「誤情報」とみなして排除しようとする動きがある。しかし、今は非科学と思われていることも、将来は解明されるかもしれない。あるいは、事実であるのにそれを知られたら都合が悪い人たちが、「〇〇はデマ」だと意図的に流布している可能性すらある。自分が信じられない、現代の科学では説明できない、という理由だけでデマだと言ってしまうことこそ慎まなければならない。

 

2025/06/12

マダニ対処法

 東京に住んでいた頃はときどき登山などもしたが、マダニに噛まれたことは一度もなかった。ところが北海道は実にマダニが多い。登山はもちろんのこと、林道や森林の中の遊歩道を歩いただけでマダニに噛まれることがある。道民にとってマダニはヒグマやスズメバチと同じくらい注意が必要な動物だ。

 

 本州から自然好き、生物好き、登山好きの知人などがくると、たいていの人が「ヒグマが怖い」という。北海道に住んで45年ほど経つが、ヒグマを見たのは4回だけ。そのうちの3回は車の中からだった。注意は必要だし熊撃退スプレーなども持ち歩いた方がいいけれど、出会う確率はそれほど高くない。

 

 私はヒグマ以上にマダニやスズメバチに注意するように言う。北海道に住むようになってから、マダニは何回噛まれたかわからない。マダニは重症熱性血小板減少症候群(SFTS)、日本紅斑熱、ライム病など複数の感染症を媒介し、重症化すると死亡することもあるので侮れないのだ。スズメバチは2回刺され、アナフィラキシー症状は出なかったのでハチ毒アレルギーではないことは分かったが、アレルギーの人はやはり命に関わる。

 

 最近は登山もほとんどしなくなったが、自宅近くの遊歩道を散歩しただけで昨年は1回、今年はすでに2回、マダニに噛まれている。4月下旬、少し笹薮を歩いただけで、ズボンに何匹ものマダニが付いていたこともある。いずれもまだ成体になっていない小さなダニだった。

 

 マダニは卵からかえると幼ダニ、若ダニ、成ダニの順に脱皮し、そのステージごとに吸血する。1~2ミリほどの小さなダニでもしっかり皮膚に取り付いて吸血する。この小さいダニは気づきにくいのでなかなか厄介だ。なお、「マダニ」というのはマダニ目に属する吸血性のダニの総称で、シュルツェマダニ、ヤマトマダニ、フタトゲチマダニなど日本では数十種が知られている。

 

 マダニには日頃から注意しているので、噛まれてもたいてい数時間後には気づいて除去するが、皮膚に取り付くときに全く痛みを感じない。だから普段からあまり注意をしていない人は、何日も気づかないことがあると思う。

 

 長袖、長ズボン、帽子着用で注意をしていても、やはりマダニが多いところに行けばどうしても付かれてしまう。マダニはササや草本、樹木の枝先などで動物が近くを通るのをじっと待っていて、近づいた動物や人にとび移る。そして、しばらく服の上を歩き回ったあとに、襟やズボンの裾などから服の下に潜り込み、柔らかそうな皮膚に口器を差し込んで吸血する。だから、まずは登山や散歩から帰ったらすぐに服や体にマダニが付いていないかどうかチェックするのが肝要だ。

 

 もし、噛まれてしまったときは、ダニ取り用の釘抜き状の道具かダニ取り用ピンセットで取り除く。マダニに噛まれて間もないときはこれで簡単に除去できる。ただ、気づかずに何日も放置してしまうと取れにくくなり、無理に引っ張ると口器が皮膚に残ってしまう。マダニの口器は下向きの棘が生えていて、簡単に抜けないようになっている。しかも、時間が経つと唾液によって固められますます抜けづらくなることもあるので、早めに除去するのが一番だ。噛まれてから時間が経ってしまった場合は、医療機関で取ってもらったほうが無難だ。

 

 2ミリにも満たない小さなダニに噛まれ、すぐに気が付いて除去しても、噛まれたところは赤くなって何日も痒い。そこで、つい先日噛まれたときは、除去した後にインセクトポイズンリムーバーで毒を吸入してみた。インセクトポイズンリムーバーというのは注射器のような形状をしたプラスチック製の器具で、ハチや毒虫に刺されたときに刺し口に当てて毒を吸引する。これを使ったところ、痒くならずに済んでいるのでお勧めだ。

 

 いずれにしても、ダニに噛まれたあとに発熱や倦怠感などの症状が出た場合は速やかに医療機関に行く必要がある。

 

 近年、散歩しただけでマダニに噛まれるようになったのは、エゾシカが増えていることと関係しているのだろう。ちょっと山間部に行けば、エゾシカはあちこちに群れている。以前、交通事故で死んだエゾシカに、血を吸って豆粒のように膨れ上がったマダニがいくつもついているのを見たことがある。マダニは十分に吸血すると自ら離脱する。エゾシカがよく見られるところではエゾシカから離脱したマダニが産卵し、幼ダニや若ダニが大量にいそうだ。

 

2025/06/04

再読の楽しみ

 最近はあまり本を買わなくなった。そろそろ断捨離をして蔵書を減らさなければならなくなっていることが大きい。しかし、本を読まなくなったわけではない。私は、学校や職場に行くときも、必ず本を持ち歩いていた。電車の中とか、ちょっと時間ができたときに本を読めるように。旅行のときも文庫本をもっていくことが多い。高齢になった今も、全く本を読まない生活は考えられない。

 

 本を増やしたくない(減らしたい)し、図書館も遠い。そこで最近は家にある本を再読している。正確には、家族が買った本などで読んでいなかった本も含めて読んでいる。そうやって再読をしていると、人は実に忘れやすい生き物だということを実感する。読んだはずなのに、覚えていないことばかりなのだ。本というのは、やはり2度、3度読まないと記憶に残らない。

 

 最近読んだ本は、例えば夏目漱石の作品を何点か。かなり前に読んだものは、すっかり忘れていて一部を朧気にしか覚えていない。漱石の作品を続けて読んでみると、以前はあまり考えていなかった彼の思想などが浮かび上がってきて興味深い。漱石の作品の登場人物の大半は漱石自身を強く反映している。そして、彼は実業家が大嫌いだ。つまり、お金儲けばかり考えているような人物を嫌悪していた。資本主義のなれの果てのような今の社会を目の当たりにしたら、どんな風に思うのだろう・・・。

 

 自伝と言われている「道草」を読むと、妻の鏡子さんとはずいぶんすれ違いがあったようだ。明治時代が男尊女卑が当たり前の社会であったとしても、女性の私としては、鏡子さんの肩を持ちたくなる。「門」の主人公「宗助」夫妻の貧しくも助け合って暮らす様は、漱石の望む夫婦像だったのだろうか。漱石は神経衰弱だとか胃潰瘍を患っていたが、おそらく彼はHSPという敏感体質だったのだろう。登場人物の心情の描写などもそれを感じさせる。明治時代の作品とはいえ、今読んでも味わい深い。

 

 サル学者の河合雅雄氏の本も好きで、少年時代のことを書いた「少年動物誌」や「小さな博物誌」などはそれぞれ2回は読んでいるが、また読んだ。何度読んでも描かれている光景が瞼の裏に浮かぶ。今はほとんど失われてしまった自然の中での体験がどれほど人の成長に大きな影響を与えているのかと思うと、そんな遊びがなくなってしまった現状に心を痛める。

 

 河合氏は動物学者の中でも特段に文章が上手い。彼の研究対象のサルに関する本もいくつか読んだが、やはりだいぶ忘れていた。動物学などは研究が進んでどんどん新しい知見が増えてくるが、それでも過去の本の価値がなくなった訳ではなく、楽しく再読した。

 

 文章が上手いといえば、福岡伸一氏もそうだ。科学の専門的なことも巧な文章でつづられるとぐんぐん引き込まれていき、ミステリー小説を読んでいるかのようだ。「生物と無生物のあいだ」は、野口英世のことや、すい臓の細胞で作られた消化液が細胞の外である消化管に出ていくシステムのことなどは覚えていたが、忘れてしまったこともいろいろあった。

 

 たとえばPCR検査。コロナ騒動ですっかりおなじみになったが、本書にはPCR検査のしくみや、開発したキャリー・マリスに関する逸話も書かれている。ところが、コロナ騒動のときには、すっかり忘れていた。コロナでPCR検査が始まったときに読み返していたら、ずっと理解が早かっただろうと悔やまれた。

 

 今はチンパンジーの研究者であるジェーン・グドールさんの本を読み返している。彼女の自伝である「チンパンジーの森へ」では、甘やかされて育ったチンパンジーの子どもが、妹が生まれても母親から離れることができず、母親が死んでも自立できずに後を追うように死んでしまったという話が書かれている。まるで自立できずに親に依存しつづける人間の子どもと変わらない。

 

 まだまだ再読したい本は山のようにある。いったい、どれだけ読めるのだろうか? そんなことを考えながら少しずつ読み進めている。

 

 昨今は読書離れが著しいと聞く。多忙で本を読む時間がないのならなんとも寂しいが、そもそも本を読みたいと思わない人が増えているなら嘆かわしい。本は「心の糧」に他ならないのだから。

 

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