恒久欠乏時代をどう生きるか
斎藤幸平氏の新刊『人新世の「黙示録」』(集英社)を読んだ。歯止めが効かなくなった気候崩壊によって恒久欠乏が生じ、現在のテクノ資本主義(レント経済)が格差を拡大させて選民思想が広がっていく。この危機的状況は避けようがないが、少しでも被害を小さくし危機的状況を生き抜くためには民主的な計画経済へと社会システムを変えていくしかないというのが本書の主旨だ。
私は「経済成長というディストピア」という記事で、温暖化も止められず、デジタル、IT、AIなどに邁進する今の状態について「資本主義の、あるいは経済成長の最後のあがき」「この先に待ち受けるのは際限のない格差の拡大であり、破滅の道ではないか?」と書いた。斎藤氏も現在のテクノ資本主義は資本主義の最終段階だと指摘しており、認識はほぼ同じだ。もはや、前作の『人新世の「資本論」』で提示した「脱成長コミュズム」などと言っていられない危機的状況が迫っている。
米国によるイランへの軍事作戦でホルムズ海峡が封鎖され、世界中で石油が不足し、社会に大きな影響を及ぼし始めている。エネルギー源だけではなく、プラスチック製品も繊維製品も肥料も石油から作られており、石油が数か月手に入らなくなっただけで世界は立ち行かなくなることが露わになった。未だに大半の国が石油に依存しており、石油が手に入らなくなるだけで人類は危機的状況に直面してしまうということを、今や多くの人が実感した。
気候崩壊により、クーラーがないと命に関わるような暑さが当たりまえとなり、その気候崩壊をもたらした石油がなければ生活自体が成り立たない。これを続けていけば事態は悪化の一途をたどるのは自明だ。今の人類はそういう局面に立たされている。しかし、これほどの危機的状況を目の当たりにしても、資本主義や経済成長の幻想から目覚めない人たちが多数というのが世界の情勢だろう。原発回帰も、資本主義や経済成長を諦められない人たちの発想だ。
人々が資本主義にしがみついてしまう大きな原因は、ハイエク主義にあると斎藤氏は言う。オーストリア出身の経済学者フリードリヒ・ハイエクは、社会主義の計画経済が全体主義を導くと主張した。実際まわりを見まわしても、旧ソ連などの社会主義国が全体主義になっていったのを目の当たりにし、「社会主義はダメだ」という思考に凝り固まっている人が大半だ。しかし、気候崩壊による恒久欠乏状態を目前にしたら、ハイエク主義などと言っている余裕など全くないし、経済の計画化がどうしても必要になるというのが斎藤氏の主張だ。
これについても私は同感なのだが、この思い込みを解くのはとても難しいように思う。多くの人は一度思い込んでしまうと、それを撤回することがなかなかできない。人は自己正当化する生物だからだ。そもそも社会主義というのは「資本主義・市場経済の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想・運動・体制」のことを指すのであり、社会主義=全体主義ではない。平等で公正な社会を目指すことに異論がある人は少ないだろう。それを独裁ではなく、民主的に実現できれば全体主義にはならないはずだ。本書では、そのような道を探り具体的に提案している。
違和感があるのは、斎藤氏が新型コロナウイルスによるパンデミックも、近年多発している山火事なども気候変動のせいだとしていることだ。彼は、コロナウイルスの人工起源説などは全く知らないのだろうか? コロナ騒動やワクチンの情報を集めている人にとって、もはや新型コロナウイルスが人工であったことは確定といっていい状況だし、mRNAコロナワクチンが史上最悪の薬害をもたらしたのも明らかだが、そのような情報はまったく入手していないらしい。入手していないというより、「陰謀論」だと信じて無視しているのかもしれない。頻発する不自然な山火事も同様に、何ら疑いを持っていないようだ。左派の人たちの多くが未だにこのような認識のようだが、認知戦の恐ろしさを改めて痛感する。
今の世界の情勢を俯瞰的に見るなら、いわゆる超国家勢力が動いていることを無視できない。テクノ資本主義ももちろんその一環だ。そして世界中で認知戦が仕掛けられている。資本主義と気候崩壊が欠乏経済を招くというのはその通りだが、実際にはそれだけではなく、資本主義で成り上がった超国家勢力が意図して「選民ファシズム」を加速させている。コロナ騒動から5年以上が経過しているのに、そのような点についての言及がまったくないのは不満が残るが、いずれにしても恒久欠乏時代がくるという認識は私と共通しているし、被害を最小限に食い止めるためには資本主義から社会主義への移行しかないという主張もその通りだと思う。
私は、人類の未来について楽観はしていない。恐らく、これから私たちはかなり厳しい状況に追い込まれるだろう。エネルギー不足、食料不足、貧困の拡大、移民問題・・・。どこまで行くのか分からないけれど、実際に危機的状況に直面しないと人々は本気で動き出さないのではなかろうか。そのとき、多くの人が「自分だけは生き残りたい」という選民思考になるに違いない。
多くの霊長類が群れをつくって生活しているように、ヒトという種も集団を形成して暮らしてきた。それが生物としてのヒトの生き方だし、そうしたコミュニティでは平等で富の偏在はない。つまり、社会主義こそがヒト本来のシステムだ。資本主義によって生じた富の偏在は上下関係、支配従属関係をつくり、共有財産であるコモンを破壊していく。ヒトの本来の社会システムを壊してきた張本人だ。資本主義の終焉のときに、果たしてヒトは本来の平等な社会システムに戻ることができるのだろうか?
この困難な状況を変えるのは普通の人たちの草の根運動でしかない。本書はそのための指針になるだろう。
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