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2026/01/03

年の初めに

 私は初日の出を見に行ったり、初詣に行くという習慣が全くない。私の実家もそのような習慣はなかったし、夫も同じだ。初詣に行って一年の幸福を願うのもいいけれど、それは気持ちの問題であり、別に神社仏閣に行かなくてはならないことだとは思っていない。私にとって、お正月は単なる一年の区切りにすぎない。そして、歳と共にその一区切りに感慨を覚えるようになってきている。昨年もまた無事に一年を過ごせたと。

 

 義父母が生きていた頃は年末年始は夫の実家に行ったが、二人とも亡くなってからは自宅で静かに過ごしている。年末にはささやかなおせち料理を作り、31日はちょっとだけご馳走の夕食を摂り、テレビもないので紅白歌合戦を見ることもなく穏やかな年末を過ごす。そして、お正月は昔ながらにお雑煮やおせち料理を食べながらのんびりと過ごすのが習慣になっている。

 

 今は、おせち料理も食べないとか、できたものを買うという人が増えたようだ。時代とともに習慣も変わるのだからそれは仕方ないとしても、やはり寂しいものを感じる。クリスチャンでもないのにクリスマスを祝ったり、バレンタインデーにプレゼントをするのに、自国のお正月の習慣が廃れていくのは、なんとも不思議な気持ちだ。

 

 今年の元旦と2日は家でのんびりというかだらしなく過ごしてしまったので、今日は少しだけ外を歩いてきた。氷点下の気温でも寒いというほどではなく、ひんやりした空気と澄んだ青空がすがすがしく、ちょっとだけ生き返った気分になった。

 

 自然の中を歩いているときだけは、人の世に起きている紛争や人の心の片隅にある独善性のことを忘れることができる。自然の中にいるだけで心がなごみ落ち着くのは、ヒトが紛れもない地球上の生物の一員であるからだろう。私たちは自然によって生かされているのだと、木々や動物たちが無言で語りかけてくる。けれど、ヒトはその自然の恩恵を考えることもせずに壊し続けている。なんと罪深い生物なのだろう。

 

 お正月だからといってその年の抱負を考えることもなくなったが、だんだん短くなっていく残された人生を悔いなく生きたいとは思う。

 

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