外国人労働者や移民について
北海道新聞では日本に住む外国人への差別や排外主義について連載で取り上げている。北海道新聞の論調は、もっぱら外国人差別や排外主義への批判だ。もちろん私も、SNSなどで外国人に対する虚偽の情報を流して貶めたり、差別するような言動には怒りを覚えるし、同じ日本人として恥ずかしい。
2019年の秋に信州に旅行したが、宿泊した松本のホテルではアジア系の若い女性がフロントで働いていたし、別のホテルでは中年の外国人女性が厨房で働いていた。また、上高地へのバスでは、やはりアジア系の外国人女性が日本語と英語で観光ガイドを務めていた。たとえ日本語がぎこちなく聞き取りづらくても、旅行者として彼女たちに嫌な感情は抱かないし、むしろ母国を離れ日本語を学んでまじめに働いていることに感心さえする。
今や、外国人労働者は日本にとって重要な働き手だ。しかし、だからといって、外国人労働者や移民をどんどん増やすという政策に対しては賛同できない。日本が移民を受け入れようとするのは、少子高齢化で労働者人口が減っているからだ。少子高齢化社会になることなど、以前から分かっていたのにそのための対策はろくにしてこなかった。そして、実際に労働者不足になれば政策の失敗は棚に上げ、外国人に働いてもらって何とかしようという。こういう発想はあまりに虫がいいし、危機管理に対する意識が欠如している。
日本は食料自給率がカロリーベースで40%にも満たない。化石燃料も輸入に頼っている。もし、これらの輸入が途絶えるようなことになれば、日本人はたちまち飢え、エネルギー不足で世の中が回らなくなるだろう。これだけとっても危機管理が全くできていない国だと言わざるを得ない。さらに、労働者まで外国人に頼った場合、自然災害や原発事故など何等かの事情で彼らが母国に戻ってしまえばたちまち労働者不足に陥る。食料もエネルギーも労働力も外国頼みとは、何というだらしのない国なのかと思うし、危機管理ゼロではないか。
外国人に頼る前に、まずはできるだけ自国で何とかする道を考えるべきだろう。外国人労働者が必要だという理由に、経済成長を続けなければならないという前提がある。人口が減少しているのだから経済規模が縮小するのは当たり前なのに、それを受け入れることができずに経済成長し続けることが必要だという。大多数の人がこうした経済成長神話に縛られて発想の転換ができない。労働者が少ないのなら、それに見合った経済規模にするという発想も必要ではないか。そもそも資本主義はもう限界にきている。
それから、元気な高齢者もそれなりにいるのではなかろうか。リタイアして家でやることがなく、テレビを見てだらだら過ごしているような人はそれなりにいそうだ。若い頃と同じように働くのは無理でも、時短とか週に2,3日くらい働くのなら、家でゴロゴロしているより生き生きとした生活ができるだろう。高齢になり旅行や趣味を楽しんでのんびりと暮らすのもいいが、元気なうちは適度に働くという選択も、人生を充実させることに役立つはずだ。
参政党のように、日本人ファーストを掲げて移民政策に反対する人たちがいる一方で、移民反対は排外主義だとか差別だという人たちがいて両者が対立している。前者の人たちは、外国人が増えることによる治安の悪化も懸念している。そのあたりのことは何ともはっきりとは分からないが、どんどん増やしていけば、習慣や文化の違いで軋轢が生じることもあるかもしれない。特に、今のように外国人差別をする人が一定程度いることを考えると、トラブルも増えそうだ。かといって、後者の人たちのように、日本の都合で外国人労働者をどんどん増やし続けることには賛成しかねる。
外国人差別はあってはならないが、かといって外国人を増やし続けるのも賛成しがたい。ただ、そういう意見があまり聞こえてこないのが不思議だ。




















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