信頼という罠
ケビン・マッカーナン氏によって、mRNAコロナワクチンが大量のDNAで汚染されていることが分かったが、その後、多くの研究者が汚染を確認している。この汚染問題はmRNAワクチンの致命的欠陥であることは明らかで、健康被害を考える上で無視できない大問題だ。詳しくは荒川央博士のnoteをお読みいただきたい。
ところが、mRNAコロナワクチンに反対している人たちの中に、ワクチンのDNA汚染やレプリコンの危険性について矮小化する人たちがいる。主としてmRNAの研究や開発に関わる研究者と、その取り巻きの人たちだ。研究者の場合は自分の生活がかかっているから、mRNA製剤の開発に支障がでるような発言はできないだろう。だから、彼らが混入しているDNAの量や影響を矮小化するのは理解できる(もちろん賛同はしないが)。
しかし、研究とは関係がない一般人や言論人の中に、過小評価している研究者と同じことを言っている人たちが一定程度いる。X(ツイッター)での彼ら、彼女らの発言を見ていると、矮小化する研究者を擁護し、彼らの主張をそのまま受け入れているように見受けられる。つまり、科学的真実からこの問題を見ているのではなく、自分の信頼する研究者の主張をそのまま信じて同調しているとしか思えない。それだけならまだしも、最近は「mRNAワクチンの中止を求める国民連合」という組織への攻撃的発言をする人もいる。mRNAコロナワクチンは反対だと言いながら、致命的欠陥をもつmRNA製剤の研究・開発に反対しないばかりか、中止を求めて活動している団体の足を引っ張っているのだ。実に矛盾した言動だ。
彼ら、彼女らはなぜ科学的事実を見ようとしないで、mRNA推進(あるいは容認)の研究者を擁護してしまうのだろう? 私は、これは推進派による心理作戦ではないかと疑っている。
振り込め詐欺や悪質商法を思い出してほしい。人を騙そうとする人は、まずは近づいて信頼させようとする。そして、不信感を持たないうちにお金を振り込ませたり契約させようとする。信頼させることで、巧みに詐欺に誘導していく。
人は一度親しくなり信頼関係を築いた人とは良好な関係を保ちたいという心理が働く。世話になったりしたら尚更だろう。人を騙したり利用しようとする人たちがその信頼関係をうまく利用して、さらに親密な関係をつくり自分たちの意見を吹聴したら、たちまち教祖と信者のような関係になってもおかしくない。要は洗脳だ。私には、矮小化している人たちはほとんど洗脳状態にあるのではないかと思えてならない。
mRNAを推進したい人たちやその信者が、mRNAに反対している人たちの組織に入り込んでもっともらしく自分たちの意見を主張したなら、その組織を事実上乗っ取ってしまうことも可能だろう。そういう現象が実際に起きているように思えてならない。
洗脳なので、一度はまってしまうとそこから抜け出るのは容易ではない。結局、特定の人に支配されないためには、最初から本当に自分たちの仲間なのか見分けることができる勘や判断力が必要だろう。そのためには、たとえ親しい付き合いがあり信頼している人の意見であっても、安易に賛同したり擁護しないということだと思う。自分とは考えが違うなら「私はあなたの意見には賛同しない」とはっきりと伝え、すぐに判断できないことは保留にしておく、ということが大事なのではなかろうか。それで関係が悪化するようなら、はじめから信頼すべき人ではなかったということだろう。
人を信頼できないというのは悲しいことではあるが、自分の利益のために他人を騙し利用しようという人がいる限り、利用されたり支配されないよう警戒を怠ってはならないと思う。特に、認知戦の現代においては、洗脳されずに何が真実であるかを見抜く力が試されている。
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