変人?それとも不審者?
東京に住んでいた若い頃、よく多摩川に野鳥を見にでかけた。長靴を履き、首から双眼鏡をぶら下げ三脚につけた望遠鏡をかついで河川敷を歩いていると、いつも河原に鎮座しているのが釣り師。話しかけられると面倒なのでなるべく近寄らずに通り過ぎるのだけれど、たまに声をかけられることがあった。
釣り師 「写真を撮っているの?」
私 「いいえ、野鳥を見ています」
釣り師 「えっ? 見るだけ?」
私 「はい。見るだけです」
釣り師 「見るだけで何が楽しいのかね・・・」
たいていこんな会話になる。彼らからすれば、野鳥を見るだけの趣味など理解できないらしい。きっと「変人」だと思っているのだろう。しかし、私からしたら、下水も流れ込んでいる汚い多摩川で釣った魚などとても食べられないし、そんな魚を釣って何が楽しいのだろう?と思う。しかも、釣り師は多少天気が悪くてもいつもいる。私から見たらかなりの変人だ。まあ、お互いに「変人」だという認識なので、近寄らずにそれぞれの趣味を楽しむのが一番いい。
学生の頃はキャンパスにいろいろな野鳥がいて、私は必ず双眼鏡を持ち歩いていた。ある日、建物の前の植え込みに入り込んだ野鳥を双眼鏡で見ていたら守衛さんに呼び止められた。嫌な予感がよぎる。守衛さんは「何見てるんですか?」と尋問してくる。「野鳥を観察してるんです」と説明しても、不審な眼を向けてくる。どうやら建物の中を双眼鏡でのぞき込んでいると勘違いしたらしい。いやはや、野鳥観察も守衛に見つからないようにしなければならないとうんざりした。
今はバードウォッチングもポピュラーな趣味になったし、双眼鏡や望遠鏡や望遠レンズのついたカメラを持って歩いていても何とも思われないのだろうけれど、4、50年前はこんな感じだった。
最近は野鳥を見るよりも昆虫やクモを探して写真を撮ることが増えた。虫の観察は絶対に一人がいい。連れがいるとペースが全く合わない。写真を撮りはじめるとしばらくそこから動かないこともあるからだ。それになるべく通行人が少ないに越したことはない。道端にしゃがみ込んだり、建物の壁に向かってカメラを向けていたり、公衆トイレの周りをうろうろしたり・・・恐らく知らない人が見たら、不審者にしか見えないだろうと自分でも思う。声をかけられると面倒なので、なるべく人には近づかないようにしている。
捕虫網を持っているなら昆虫愛好家か昆虫研究者だとすぐ分かるだろう。しかし、網も持たず、小型のデジカメしか持っていなければ、虫嫌いの人にとっては変人か不審者でしかない。
なら、捕虫網を持っていればいいかと言うとそうでもない。たまにスウィーピングでもしようかと捕虫網を持って歩いていると、通りがかった人から奇異な目を向けられる。そりゃあそうだろう。何しろ、子どもの虫捕りではないし、昆虫マニアっぽくもないし、研究者風でもない高齢のおばさんなのだから。奇異な目で見られるだけで声をかけられなければまだいいのだが、たまに声をかけてくる人がいる。
通行人 「何を捕っているんですか?」
私 「クモです」
通行人 「へえ、クモを捕っている人なんで初めて見ました。珍しいクモとかいるんですか?」
挙句の果て、あたりを見回して「ここにクモがいますよ」と親切に教えてくれる人までいる。大抵はどこにでもいる普通種なのだけれど、「ああ、どうも。これは〇〇グモです」と教えてあげることになる。ペースが乱されて実に面倒くさい。
世の中にはごく一握りの虫好きの人がいるけれど、それ以外の人はたいてい虫は嫌いか興味がないかのどちらか。虫を探して写真を撮っているというだけで、きっと変わり者だという認識に違いない。
そんなわけで、散歩はできるだけ人が少ないところをマイペースで歩くのがベスト。人目は気にしないようにしているけれど、こちらが気にしなくても、相手はきっと変人だと思っているだろうし、場合によっては不審者だと思われているのかもしれない。まあ、そんなことを気にしていたらこの趣味は楽しめない。
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