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2024/05/15

人として大事なこと

 今までの人生を振り返ってみて、またコロナ騒動を振り返ってみて、人として大事なことは何なのかと考えることが増えた。もちろん人として大事なことはいろいろあるし、いろいろな人が言っているけれど、とりわけ私が重要だと感じていることを書き留めておきたい。

 

・主体性を持つということ

 コロナ騒動でもっとも欠けていたのがこれ。多くの人が、マスコミ報道に翻弄されてコロナを怖がりワクチンに飛びついてしまった。私もコロナが流行り始めた頃にかなり恐怖を感じたのは事実。しかし、「PCR陽性=感染者」は違うし、「亡くなったときに陽性の人はすべてコロナ死」で、明らかにおかしいと思った。また、亡くなった人の大半は寿命に近い高齢者で致死率は高くはなかったことから、この騒ぎに次第に違和感を持った。ワクチン接種が始まった頃には、これは打ってはいけないと確信した。

 

 ところが多くの国民は何の疑問もたず、政府や専門家、あるいは医師などの勧めで打ってしまった。しかし、「ワクチンを打ったほうがいい」というのは、あくまでも他人の意見。政府、感染症の専門家、医師、免疫学者、ウイルス学者、製薬会社等の内部告発者、ジャーナリストなどのさまざまな立場の人の意見を知った上で、本当に打つべきか否かを最終的に判断するのは自分自身でしかない。そして、その選択責任は自分で負う。それが「主体性がある」ということだと痛感した。

 

 コロナワクチンに関しては、海外の人たちの多くは、2回あるいは3回くらいでおかしさに気づき接種を止めた。7回まで打ったなどというのは日本しかない。日本人がいかに主体性がないのかが露呈してしまった。当たり前だが、他人からの評価を気にしていたり(陰謀論者と言われることを恐れたり)、周りに合わせてばかりいたら主体性を持つことはできない。

 

・自分の良心に誠実であること

 人生というのは選択の連続だ。その選択をする際に何を基準に決めるのか? 私はやはり「自分の良心に誠実であること」が最も大切ではないかと思う。もし、医師が「自分の利益になること」を基準にしていたら、「ワクチンで一儲けしよう」と考え、薬害のリスクに目をつむり自分の利益を優先するのではないか。「保身」を基準にしていたなら、ワクチン推進という自分の判断が間違っていたと悟っても、その間違いを認められずに責任回避しようとするだろう。自分の良心に誠実に生きている医師ならば、ワクチン後に超過死亡が激増し、薬害で苦しむ人を見て、ワクチンが失敗であったことを認めざるを得ないだろう。そして、薬害で苦しむ人たちの診察をし、ワクチンを中止させるための活動に参加するのではなかろうか。ワクチンで、医師の良心を覗き見た気がした。

 

 ワクチンのことに限らず、自分の良心に従うことよりも保身や利益ばかりを判断基準にする人は、結局は自己中から抜け出ることができないし、心のどこかにずっとうしろめたさを感じて幸福感を得ることができないように思う。

 

・課題の分離ができること

 ある課題が、自分の課題なのか他者の課題なのかを明確にし、他人の課題には踏み込まないということ。他人に振り回されず、また他人を振り回さない(支配しない)ということでもある。これが日頃からできていれば、モラハラもなければ毒親もない。お節介な人もいなくなる。人間関係のトラブルは激減するだろう。しかし、現実はこれがきちんとできていない人が大半だと思うし、私もときどきお節介をしてしまったと自省することがある。

 

 コロナ騒動でも課題の分離ができない人をずいぶん見てきた。本来任意であるはずのマスクやワクチンを他人に強要する人、自分の意見こそ正しいと言わんばかりに、異なる意見の人に噛みつく人。SNSでは見慣れた光景だ。他人は変えることができないのだから、他人の意見を変えようと説教したり非難すれば、人間関係はますます険悪になる。それでも他者への介入を止められない人は多い。良好な人間関係をつくりたいのであれば、他人の課題に土足で踏み込んではならない。

 

・ネガティブ思考を止める

 怒り、恨みや憎しみ、イライラ、不平不満、人や物事に対する嫌悪、あるいは過度の不安や恐怖。これらはすべてネガティブな思考だ。また、歪んだ競争心も嫉妬などのネガティブ思考を生み出す。私も若い頃は、人に怒りを覚えたり不平不満を持つことがしばしばあった。怒りを感じても感情を抑え込み、間もなく怒りが収まるようならさほど問題はない。しかし、怒りを相手にぶつけると相手も不快になり険悪な関係になる。お互いに相手を理解しようという気持ちにはならず、問題は何一つ解決しない。そう気づいてからは怒るということ自体を止めた。

 

 他のネガティブ思考も同じで、ネガティブ思考が頭にこびりついて離れなくなるとろくなことはない。ネットで悪口を言われたり非難されたことで鬱になってしまう人もいる。ネガティブな思考に捉われてしまうと、結局「あの人が悪い」「育った環境が悪い」などという他責思考になってしまう。そして、そこから抜け出さない限り精神的安定感は得られない。過度の「不安」や「恐怖」も同じで、どうなるか分からない未来のことで不安を抱えていたら、神経がすり減ってしまう。アンガーマネージメントという言葉があるが、怒りに限らず、ネガティブな感情はコントロールするというより「やめる決断をする」方がすっきりするのではないかと思っている。日頃から不平不満を言わずに機嫌よくしている人というのは、これができているのだろう。

 

 ネガティブ思考に陥らないためには、思考の転換も必要だ。「○○が嫌」と忌避するのではなく、「○○を楽しもう」とか「大変だけど何とか乗り越えよう」と思考を切り替えてみる(もちろんモラハラやDVなどの場合は相手から離れる決断も必要)。そして、できれば小さなことにも感謝する。朝、目が覚めたら今日も無事に生きていることに感謝する。食事のときには飢えずにいることに感謝する。家族や友人など必要なときに支えてくれる周りの人に感謝する。そんな風に感謝することができれば、それだけでネガティブな思考が消えていき穏やかな気持ちになれる。

 

 人の幸福とは、決して偉業を成し遂げたり、金持ちになったり、名声を得たり、人に評価されることではない。日々の何気ない生活の中に、楽しみや喜びを感じることができることこそ幸せなのではなかろうか。ささやかなことであっても、他人に貢献できれば自分の喜びともなる。家事でも趣味でもボランティアでも仕事でも社会活動でも、自分の良心に誠実に、感謝を忘れずにいれば、それが自ずと幸福感につながっていくのではないかと思っている。

 

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