生命の動的平衡とワクチン
福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」を読み返した。読んだのはだいぶ前なので忘れてしまっていることも多かったが、PCR検査の仕組みも説明されていて、コロナで大騒ぎの今、参考になることが多い。福岡氏は、生命は「動的な平衡」状態にあるという。本書の最後の部分から引用しよう。
「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
これを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したからにすぎない。そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。
生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙であるという意味からは、介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。私たちは自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。 以下略」(引用ここまで)
ごく短期間の治験のみで正式認可されていないコロナワクチンが世界中で打たれるようになってから半年以上が経過した今、感染予防効果も重症化予防効果もほとんどないような結果になりつつある。それだけではない。接種による有害事象はとんでもない数にのぼっている。明らかに異常な事態だ。
コロナワクチン接種は、人の生命の動的な平衡を乱す操作的な介入のように思えてならない。人体に注入されたmRNAが作るスパイクタンパク質によって体内の何かが変形され、何かが損なわれていることはないのか? 杞憂であればいいのだが、接種後の重篤な副反応や死者の多さは尋常ではない。
医薬品やワクチンを否定するつもりは全くない。しかし感染症の流行に対して、人の体は免疫を発達させてきた。まずはその免疫を最大限に生かすことこそが最初にやるべき感染対策ではなかろうか。いわゆるファクターXも人の免疫に由来するとしか考えられないわけで、その解明こそ先にやるべきだった。
医薬品やワクチンによる介入は長期的な安全性や効果を見極めて慎重にしなければ、動的平衡を乱しかねない。後々の影響が分からない急造ワクチンを世界中で打ちまくること自体が狂気だが、もしワクチンが人の動的な平衡を損ねるものであるのなら、取り返しのつかないダメージを与えるだろう。
PCR検査も、流行初期に感染の広がりを把握したりウイルスの性質を知るために広く用いることは意味があるだろう。しかし、検査で無症状の陽性者まであぶりだして隔離し感染を抑制するなどというのは、自然を無視した人の思い上がりだとしか思えない。検査は有症状者だけで十分だろう。
人類は科学技術を過信して検査頼り、ワクチン頼りになりすぎ、その結果ワクチン禍へと舵をきってしまったのではないか? 福岡氏の言う通り「私たちは自然の流れの前に跪く」以外に、即ち免疫力をつけてコロナと共生する以外に道はなかろう。
以上、今日の連続ツイートより。
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