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2019年8月

2019/08/18

消費税減税・廃止論への疑問

 今年の4月に山本太郎氏が「れいわ新選組」(そもそこの名称自体を書いたり言葉にすること自体に抵抗があるので、以下「れ新」とする)を立ち上げて以降、ツイッターのタイムラインには彼の主張に賛同して消費税減税・廃止を主張する意見が溢れるようになった。れ新は公的住宅の拡充、奨学金チャラ、最低賃金1500円、公務員の増加、コンクリート型公共事業の推進などMMTを基にしたバラマキ政策を掲げているが、中でも目玉として譲れない政策は消費税減税・廃止ということのようだ。

 彼が消費税減税・廃止論を主張する理由を箇条書きにしてみよう。

1消費税が増税される一方で法人税や所得税が減税されてきた。つまり消費税は法人税・所得税減税の穴埋めに使われただけだから不要。

2消費税は社会保障のために使われるとのことだったが、増税分のうち社会保障に使われているのは20%弱で、それ以外は借金返済に充てられた。社会保障のために使うというのは嘘だった。

3消費税は逆進性のために低所得者の負担が大きい。税金は持てるものから取るべき。

4消費税を廃止することによって国民の消費が増大し景気がよくなる。

 以上のような理由により、所得税は悪税であり廃止するべきだというのが山本氏の主張だと私は理解している。しかし、これらの主張は本当に正しいのだろうか? そして消費税増税こそが今困っている低所得者への最も適切な対策なのだろうか? 以下が私の見解だ。

1について
 消費税が導入され増税される一方で法人税や所得税が減税されてきたという事実はある。しかし、それならまずやるべきことは法人税や所得税の増税だ。これについては共産党や立憲民主党も同様の主張をしているし、山本氏も法人税や所得税の累進制を主張している。ただし、例えば所得税の累進強化では消費税代替財源としては全く足りないという見解もある。以下参照。

所得税の累進課税強化では財源確保できない

 また、青山雅幸氏の試算でも、所得税の増税効果は2兆円、法人税は4兆円(30%→40%)で合計で6兆円の増税効果しかないとしている。法人税の税率をもっと上げることもできるだろうが、あまり上げると海外に資産を移してしまうだけではなく、価格に転嫁したり人件費の削減も招きかねない。単純に税額を上げればいいというわけではない。

「消費税は悪」の洗脳から離れ、未熟な民主政治を脱しよう。

 仮に消費税を全廃してしまうと今の消費税分17.5兆の税収がなくなることになる。所得税と法人税の累進制を強化したとしても、これだけで消費税廃止分を賄えるとはとても思えない。山本太郎事務所は独自に試算して賄えるとしているようだが、その計算根拠もはっきりしない。仮に賄えたとしても社会保障費は現状維持に留まりさらなる拡充は望めない。現状で困っている人が沢山いるのだから、現状維持では弱者救済にはならない。

2について
 消費税増税分のうち社会保障に充てられているのは20%弱という指摘は、それ自体が意味がない。一般会計の財布は一つでありお金に色がついていないのだから、消費税収の内訳を質すこと自体がそもそも無意味なのだ。同じように、法人税が何に使われたなどというのも無意味。2018年度の場合、消費税収は17.5兆円で社会保障費は33兆円なのだから、消費税分がすべて社会保障に使われたと言う見方もできる。

 また、座間宮ガレイ氏がツイッターの連ツイで以下のような指摘をしている。

https://twitter.com/zamamiyagarei/status/1158685522660753408

 消費税は社会保障制度の拡充と安定化のために使われると決められており、20%弱というのは拡充分、残りの8割は安定化に使われているという指摘だ。これまで借金で賄ってきた社会保障費を消費税で返済することで安定化に充てられているというわけだ。山本氏は社会保障に使われていないから詐欺だと主張しているが、そんなことはない。

 もちろん「社会保障制度の拡充と安定化」という国の説明自体が誤魔化しだという意見もあるし、そういう見方もできるかもしれない。しかしお金に色がついておらず消費税が何に使われたなどという議論自体が意味をなさないのだから、それとこれは分けて考える必要がある。もし消費税を全額社会保障に充てることを確約させたいのなら、社会保障費は特別会計にでもするしかないだろう。ただし、前述したように消費税収より社会保障費の方がはるかに多いのだから、消費税をさらに上げるか、別の財源ももってこなければならない。

3について
 消費税は低所得者ほど負担が大きくなるという指摘だ。この指摘は間違ってはいない。しかし、給付付き税額控除など逆進性の対策は可能だ。10月に予定されている8%から10%への増税では食品に軽減税率を適用するとのことだが、軽減税率も欠点が指摘されている。給付付き税額控除のような逆進性対策をとれば低所得者への負担を軽減した上で消費税収を社会保障のために利用することができる。しかし、なぜか山本氏はこうした逆進性対策については言及しないようだ。

消費増税の逆進性対策には給付付き税額控除を! 

4について
 消費税を増税すると消費が減ってしまうというのは確かにそうだろう。5%から8%に増税した際にも消費の冷え込みはあった。しかし、それは一時的なものでしかない。アベノミクスによって実質賃金が低下したのは円安で物価が上昇したにも関わらず賃金が上がらなかったことが大きい。そのことを何ら指摘せずに、増税による消費の冷え込みだけを主張するのは片手落ちだろう。

 資本主義は成熟期となりかつてのような高度経済成長などはとても見込めない。戦後の高度経済成長は安い化石燃料と人口増によってもたらされた。化石燃料の生産量は減っていくしかなく価格も高騰していくだろう。資源が限られている以上、生産性もそうそう高められないし今後は人口も減る。そんな社会でさらなる経済成長を望むのは無謀というほかない。

 今後は多少の経済成長はあり得ても、大きな経済成長などはじめから期待してはならないと思うし、そう遠くない将来にはほぼ定常状態になるかもしれない。消費税廃止によって消費が増えることは一時的にはあり得るが、ずっと続くなどということにはならないだろう。人は物質的にある程度満ち足りてしまえば、消費はおのずと減っていく。

 地球上の資源は有限であり、耕作面積も有限であり、住むことができる人の数も限界がある。地球温暖化による脅威も年々増すばかりだ。持続可能な社会と経済成長は共存できない。そして持続可能な社会を選ばない限り人類に未来はない。経済成長にこだわり続けることは、人が自ら首を絞めるようなものだ。

 れ新は人口問題についてほとんど触れていないがこれは大きな疑問だ。日本は先進国の中では一番先に著しい少子高齢化に向かっている。高齢者が増えて社会保障がかさむ一方で、労働人口は減っていくのだ。現実に社会保障費は増え続けている。社会保障費の推移のグラフを見ればこれから社会保障費が増え続けるのは一目瞭然だ。

社会保障について(財務省)

 年金も医療費も保険料収入だけでは足りなくて税金でカバーしているが、かといって国民年金や健康保険の納付額を上げてしまえば低所得者はさらに苦しくなるから安易にそれはできない。社会保障費が増え続ける中で消費税をなくしてしまったら、いったいどうやって社会保障を維持・拡充していくのだろう。

 こういうとMMTを基にした財政論を主張する人が出てくる。財源は国債で賄えばよいというわけだ。しかし、MMTではインフレになる懸念がありその場合は財政出動を止めることになる。れ新は新規国債発行を止めた場合は法人税や富裕層への課税強化で賄うと言うが、前述の通りそれらを消費税廃止の財源に充ててしまえば財源がなくなってしまう。バラマキ政策を一気に中止したなら、恩恵に預かった人たちとそうではない人たちが対立し大混乱になるのではなかろうか。他にもMMTには様々な疑問が投げかけられている。

 そして多くの人が語らないのだが、消費税には「横の配分」すなわち「分かち合い」とか「支え合い」という大事な役割がある。格差社会においては「持てる者」から「持たざる者」へという縦の再配分が大事であることは言うまでもない。しかし、再配分とはそのような縦の配分だけではない。例えば国民皆保険(国民健康保険)について考えてみよう。納付額は収入によって異なるものの皆が納付するシステムだ。所得に関わらず、健康でほとんど医療機関にかからない人は医療費よりも納付する額の方が多くなる。それに対し頻繁に医療機関にかかる人は逆のことが言える。このように私たちは所得に関わらず皆が納めて必要な人に配分することで助け合いをしているのだ。

 もともと人類は共同体をつくって支え合って生きてきた生物だ。私たちが平等な社会で平和に暮らしていくためにはこのような支え合いは欠かせない。現代の社会は共同体での支え合いが希薄になった分、社会保障や公共サービスの充実によって支え合っている。消費税は「皆でお金を出し合い必要な人に配分する」という横の支え合いに大きく貢献するし、このような「助け合い」は私たち人類の生き方に合致する。また、支え合いというのは共同体のメンバーに仲間意識と信頼があるからこそ成り立つ。もし縦の配分だけに頼れば、私たちは格差や競争を是認することになるだろうし、それでは人々が互いを仲間として信頼し協力し合うという発想が育たず、不満や不信感が蔓延するギスギスとした社会になるだろう。

 低負担高福祉などということはあり得ない。北欧のように高負担高福祉の社会を選ぶのか、それとも自己責任社会の米国のように低負担低福祉を選ぶのか。れ新にかぎったことではないが、野党各党はこの方向性をより明確にする必要があると思う。少なくとも前者のような国は幸福度が高いことが知られている。社会保障制度で支え合い信頼される社会は精神的にも肉体的にも負担が少なく生きやすい社会と言えそうだし、私もそのような社会を選択すべきだと思っている。

 山本氏は今困っている低所得者のために消費税減税・廃止こそ必要だと主張する。しかし彼の主張をひとつひとつ検討してみれば、逆進性に関しては給付付き税額控除などで対処できるし、減税・廃止によって社会保障がさらに低下する可能性はかなり高いと思わざるを得ない。しかも、彼は野党共闘の条件として消費税5%への減税を主張しており、減税にこだわることが野党共闘の足かせになっている。なぜここまでこだわるのか理解に苦しむ。

 私は、彼が新党を立ち上げるにあたり消費税減税・廃止を旗印にしてしまったこと自体が誤りだったのではないかと思っている。つまり「はじめに消費税減税・廃止ありき」で新党を立ち上げてしまったゆえに、消費税が悪税だと印象づける必要が生じてしまったのだろう。しかし、冷静に考えてみれば決して悪税だと決めつけることはできないし、増え続ける社会保障費を考えるなら消費税は大きな財源だ。どんな税でも利点と欠点があるのだから、欠点を改善しながらベストな組み合わせになるようにしていくしかない。消費税減税・廃止にこだわり消費税そのものを悪者にしてしまったことが、今後のこの党の行方を大きく左右することになるのではないかと懸念している。

 政権交代をするためには小選挙区制の衆院選で野党が共闘するしかない。れ新が消費税減税に執着して野党共闘に乗らず選挙区で独自候補を立てたなら、まず政権交代はあり得ないし、支持者の一部は離れていくだろう。

 私たちの税金が武器の爆買いや辺野古の埋め立てなどに使われていると思うともちろん腹が立つが、その一方で社会保障にも使われていることは間違いない。私は、消費税減税や廃止で社会保障が低下してしまうより、給付付き税額控除などの低所得者対策をした上で消費税を維持し社会保障を充実させたほうがずっといいと思っている。

 消費税減税・廃止論について、私たちは一人の政党代表の主張を鵜呑みにすることなく、冷静に検証して判断しなければならないと思う。

【関連記事】
消費税減税・廃止は新自由主義と親和的

 

 

2019/08/15

敗戦の日に

 また敗戦の日が巡ってきた。戦争を体験した人たちが年々少なくなり、あの大惨事は忘れられつつある。私と同世代の安倍首相は、平和憲法改悪が悲願のようだ。何ということなのかと言葉もない。

 私の両親は太平洋戦争のときに青春時代を過ごした。「灰色の青春時代」としか言わなかったが、口には出したくないさまざまな思いがあったに違いない。その父の遺稿集「山の挽歌」から、戦死した友人と思い出を綴った「山旗雲」という随筆をここに再録しておきたい。

 

********************

 

山旗雲

 悪魔の黒い爪が槍沢のモレインに伸びる。すでに眼下の谷は黒い影に覆いつくされ、その中に岳樺の梢がささら箒(ほうき)のように浮いていた。
 だが、東鎌はあかあかと輝いている。圏谷(カール)の奥の槍が純白のガウンを右肩に、ペルセウスのように突っ立っていた。
 天狗の池の高みで、英子は彼に見とれている。西岳の上のコバルトブルーに、何気なく浮かんだレンズ雲。……オヤッ、伯爵夫人のお出ましだ……。一瞬いやな予感が走る。しかし私はすぐそれを打ち消した。昨日の上高地は雨だった。たぶん、風に乗り損なった彼女がうろうろしているのに違いない。私が山友Oを思い出したのは、その時だった。
「伯爵夫人といえば、ヤングミセスだとばかり思ってやがる。歯の浮くようなことを言うなっ。あいつはスケスケの白いドレスを着てるが、白髪の婆さんで、おまけに縮れ毛だ」
 彼は私の夢をこっぴどく打ち壊したのだった。あれからもう三十五、六年になる。
 ツバメ岩の根元に回り込む斑な新雪を踏みながら、私は明日の予定をはっきりと決めていた。上高地からの自動車道の混雑にうんざりして、どこか静かな帰り途を、と密かに考えていた矢先である。かつて彼と歩いた一ノ俣谷-常念岳-一の沢のコースならば、英子にとって初めての山だけに賛成してくれるはずだ、と思ったのである。
 翌日、朝寝坊のすえ遡った一ノ俣谷は、どうしてなのだろう?と首をかしげるほど昔のままの静けさだった。七段の滝の岩壁の、ナナカマドの赤が目に沁みた。二組の降りのパーティーに会っただけで登り着いた乗越(のっこし)には、秋の日差しが溢れていた。しかし昼食を済ませて登り始めた常念坊は、西の強風に追いたてられて駆け走る霧の中、ご自慢の岩の衣も見え隠れのご機嫌の悪さだ。山頂の苛立ちの中、凍える指で巻き上げたカメラのレバーがいやに軽い。何回シャッターを切ってもフィルムの表示は三十六枚で止まったきり、明らかにフィルムは空回りしていたのである。
 英子は怒っていた。無理もない。これで一ノ俣の紅葉に映える渓流も、山頂の記念撮影も、今日の写真はすべてパーである。先に立って降路をとばす彼女の肩に、B型血液が躍動している。言い訳でもしようものなら、彼女の全身は増殖炉と化すだろう。冷めるのを待つに如(し)かず、と私はゆっくりと後を追う。思えば、かつてこの山稜でOを怒らせた私である。今もまた、英子を怒らせてしまった因縁に、私は思わず苦笑した。

 あれは七月の半ばのことだった。一歩一歩、松高ルンゼを登っていた彼が、だしぬけに言った。
「セボネがな……」
「セボネ?」
「青学の背骨だよ。彼、元気か?」
「なんだ、あの人か……元気だよ」
「そうか、彼とはここで知り合った」
 セボネとは登攀(とうはん)者S氏のことである。
「あの人はいいな、兵役免除だろう」
「まあな……」
 言葉を切って私は続けた。
「おまえ、まさか、岩をやるんじゃねえんだろうな」
「ねえよ。こいつとアイゼンがあればいいって言ったろ」と言って、彼はピッケルを頭上に振り上げた。
 変な山旅だった。それまで山行の計画は私に任せっぱなしの男が、今回に限って、黙って俺についてきてくれ、と言うのである。私達は奥又白の池から四峰のフェイスの下、奥又白谷をトラバースして、その年の豊富な残雪を踏んで、五、六のコルを涸沢(からさわ)に降った。
 翌日、穂高を尻目に涸沢を駆け降った彼は、横尾の出合から本谷に入った。雪崩の爪跡を残す横尾本谷を遡行(そこう)した私達は、結局、右俣を詰めて天狗原に出たのである。天狗の池の畔でラジュースを吹かせながら、彼は言った。
「明日は常念に行こう。俺はそれから島々に寄って帰る。おまえ、どうする? あまり休みがとれないんだろう」
 その頃、私達は戦時下の世間体を気にして、山靴やアイゼン等を島々の知人宅に預かってもらっていた。だから、山へ行く時はよれよれのニッカーに地下足袋、ピッケルを放り込んだザックを背負った道路工事の現場監督さながらの格好で東京を発ったものである。
 彼のプランどおり、ただし私にとっては旅の終わりの常念乗越で、這松の中に寝ころぶと、少々気抜けして私は言った。
「変な奴だぜ。山のヘソばかり擽(くすぐ)らせやがって、挙句の果てにおまえは島々か」
「悪かったかな」
「いいや、こんなのも偶(たま)にはいいさ」
 どうやら、太平洋に腰を据えたらしい高気圧が東の空を透明な青に染めあげていた。しかし、梓川の谷はガスに埋まり、穂高は島のようだった。
「穂高が見えねえ」とボヤく彼の声も虚ろに、私は幾許かの時間をまどろんでしまったらしい。
 ふと目覚めた私の眼に映ったのは、何だか白い膜だった。ひどく風の音がしていたようだ。
 眼前にヌックと立った常念坊が雄大な雲の旗をたなびかせていた。梓の谷から湧き上がるすべての雲が、この山稜から一転して穂高に向かって吹っ飛んでいた。私は寝呆け眼をこすって言った。
「見ろよ、旗雲だ」
 彼は眠ってはいなかったらしい。「ウン」と感激のない声だ。
「見てるのか、すげえな」
 私はなおも叫んだ。
 どうしてそうなったのか、覚えがない。いつか私達は言い争っていた。彼は「山はた雲」の起こりは山端雲からきたのだと言い、私は巨大な軍勢が旗指物や吹流しを押し立てて進む墨絵への幻想を捨てきれない。「はた雲」はやはり旗からきたのだ、としつこく反発する私に、彼は本気で怒ったようだった。
「俺は旗が嫌いなんだ。軍勢も、軍旗も、日の丸だって、皆嫌いだ……。もうやめろっ」と彼は怒鳴った。
 いつにない彼の剣幕に驚いて、私は沈黙した。
 もう歩く気もなくなった。常念小屋にシケ込んだその晩、彼は素直に私に謝った。
「さっきはゴメン、俺はどうかしてたんだ。おまえの山旗雲が正しいんだ」と、戸惑う私に繰り返した。
 ランプの炎の灯る彼の瞳孔の寂寥(せきりょう)が、なぜか私の胸に悲しみを誘った。
 白けた気分をそのままに、明日の別れにつなげることが彼には耐え難かったのだろうか、と思った私の解釈は間違っていたのだろうか?
 翌朝、彼は私の山靴と二人のアイゼンの納まったザックを背負い、現場監督の姿に戻った私は、彼のベンドと私のシェンクを入れたザックを肩に小屋を出た。仰ぐ常念岳の積み重なった岩塊は、初夏の陽をちかちかと反射させていたが、梓川の谷には依然としてガスが立ち込めていた。
「晴れるといいな」
 肩に浴びせた私の声に、彼の白い歯が微笑んだ」
 私は岩ザレに腰を下ろして、岩塊の間をのろのろと登っていく彼の姿を追っていた。次第に彼は小さくなり、やがて岩塊の中に消えてしまった。それっきり、彼は二度と再び、私の前に現われなかったのである。

 常念乗越の小屋前の広場を、間近に見下ろす黄昏の中に、英子は佇立(ちょりつ)していた。私を待っていたのだろう。一台のヘリコプターが吊り下げた荷を小屋前に降ろすや否や、機体の鮮やかな黄を、薄くなってきた霧にたちまちにじみこませた。おそらく、今日の荷揚げの最終便だったのだろう。対斜面の横通岳に続く這松の斜面が、時として驚くほどの緑を燃えあがらせてはまた紫紺に沈む。あそこだった。彼と旗雲を見た所は……。
 常念小屋の翌朝は、層雲に穂高を載せて明けはじめた。やがて槍も穂高連峰もその全容を惜しみなく現わすだろう。急ぐことはなかった。今はハイヤーが寂れてしまった大助小屋のずっと奥まで入る一の沢である。ご機嫌の直った英子を誘って、横通岳に続く山稜をぶらぶらと登っていった。
 大喰(おおばみ)のカールは、誰かが落としたハンカチーフだ。あの天狗原も、氷河公園の名の方が通りがよくなった。北穂から切れ落ちたキレットの底はまだチャコールグレイのままだったが、前穂の肩にきらりと光るのは、確か奥又白A沢の詰めに違いなかった。
 Oとの山行がまたも思い出されたが、この時になって、私の鈍感な頭にも彼の意図が鮮明に映し出された。あの時あいつはヘソを点検しただけでは飽き足らず、穂高への別れの総仕上げに、この稜線を選んだのだ。しかし山旗雲が彼の願望を空しくしたのだった。
 終戦後の疎開先で彼の戦死を知った私は、彼のベンドを携えて、彼の仏前に供えた。これだけは、と懸命に磨いたブレードの鈍色(にびいろ)が、穂高の色に映えていた。
 S氏も事故で急逝されてもう十数年が過ぎた今、私だけがいまだに山をほっつき歩いている。伴侶の英子は灰色だった時代の青春の埋め合わせをするかのように、山とその自然にひたむきだ。私は彼女に一度だけでも山旗雲を見せたいと思う。

 

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