川崎市での殺傷事件について思うこと
5月28日の朝に川崎市でスクールバスを待つ子どもたちを狙った殺傷事件が起きた。以下はこの事件に関する私のツイート。
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先日の川崎の事件で、大阪の池田小学校での事件を思い浮かべた人も多いと思う。ともに裕福と思われる私立学校の子どもを狙った凶悪な犯行。そこには裕福で幸せそうな人たちに対する強い憎しみが感じられる。おそらく加害者は自分を受け入れてくれない社会に対して強い復讐心を抱いていたのではないか。
アドラー心理学では、人の問題行動の目的を1称賛の欲求、2注意喚起、3権力争い、4復讐、5無能の証明の5段階に分けている。段階が進むにつれて重症度が増す。復讐や無能の証明にまで進んでしまうと、専門家の介入がなければ解決は困難になる。https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/
池田小学校の事件も川崎の事件も、加害者はこの復讐や無能の証明にまで進んでしまっており、殺人事件を起こすことで社会に対する復讐をしようとしたように見えるし、そうした事件を起こすことで注目を浴びようとしたとも受け取れる。どこにも居場所を持てず他者と信頼関係が持てない加害者像が浮かぶ。
こういう凄惨な事件が起きるたびに強い加害者批判が繰り広げられる。もちろん何の罪もない人たちが犠牲になるようなことはあってはならないし、批判されるべき凶悪事件であることは間違いない。しかし、加害者を強い言葉で責め立てたところでこのような問題の再発防止にはつながらない。
実際に殺人や自殺にまで及んでいないにしても、社会から孤立して同じような心理状態になっている人は恐らく大勢いるだろう。そういう人たちに対して必要なのは加害者への強い怒りの言葉ではないし、希死念慮を抱いている人には「勝手に一人で死ね」という言葉は自殺を誘発することになりかねない。
私はこのような心理状態になってしまっている人であっても、他者が手を差しのべることが必要だと思っている。もちろん素人には無理なので、経験のあるカウンセラーなどの介入がどうしても必要になる。更生はとても難しいし時間がかかるとは思うけれど、不可能だと言い切ることはできない。
藤田孝典さんのこの記事に対し、ネットでは「自分が被害者遺族だったらこんなことが言えるのか」という批判の言葉が溢れている。しかし藤田さんは被害者のことがどうでもいいと言っているわけではない。第三者として同様の事件を増やさないためのお願いをしているだけだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190529-00127888/
被害者や被害者遺族に心を寄せ支援をするのはもちろん大事だけれど、私たちに求められるのはそれだけではない。こうした犯罪をなくしていくために私たちが注意を向けるべきことは加害者の心理であり、同様の事件や自殺者を生み出さないためにどうすべきか考え安易な発言を自重することではなかろうか。
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