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2018/08/09

メサイアコンプレックスという歪んだ心理

 先日、ある方がメサイアコンプレックスと思われるご婦人のことをブログで話題にしていた。メサイアコンプレックス(メサコン)とは、簡潔に言うなら、自分を肯定したり満たすために他者を助けようとする人のことだ。人は他者から感謝されれば気持ちがいいものだが、メサコンの人は、その気持ちよさに浸ることで自分の精神の安定を図ろうとする。

 困っている人を助けることはもちろん悪いことではない。しかし、その目的が自分の価値を見いだすためであれば、歪んだ心理というほかない。メサコンにとっては「他者を助ける」という行為はあくまでも自分の承認欲求を満たすための手段でしかない。これでは真の援助とは到底言えないし、それどころか相手は望んでもいないことを押しつけられたあげく利用されるのだから、人間関係は間違いなく悪化する。

 メサイアコンプレックスですぐに頭に浮かぶのは、「暴力をふるう男性と結婚した挙句に破綻して離婚」を繰り返してしまうような女性だ。このような女性は「この人には私が必要」と勝手に思い込んでかいがいしく世話をやくのだが、真の目的は世話をやくことで自分の価値を見いだそうとすることにある。ところが、いくら世話をやいたとしても他人を変えることなどできないし、それが相手にとって迷惑なら敬遠されるだけだ。男性が暴力的な人であればいくら尽くしても感謝されないし暴力は止まらない。そして結果的に破綻してしまう。

 相手の男性が暴力的ではなく女性の世話を受け入れた場合は、男性を自分に依存させることになる。相手の欠点を指摘して「私がいないとダメ」といっては、自分に依存させる。そして、自分が満足感を得るために相手を利用しつづけることになる。いわゆる共依存だ。しかし、この状態が続くと、男性は次第に煩わしくなって嫌気がさしてしまうだろう。結局、うまくいかない。もちろん男性がメサコンという場合もある。

 一度失敗をしたならその経験から学びそうなものだが、メサコンの人は再び同じような人と結婚をしてしまうことが多い。なぜなら、自分に問題があるとは全く考えないからだ。他者を助ける行為は善意であり思いやりだと思い込んでいる。相手にとっては迷惑でしかないことも、メサコンの人には理解できない。

 もうひとつメサコン・共依存で思い浮かべるのは、子どものことにすぐに口出しをして子どもを支配しようとする親だ。子どもが自分ですべきことでも親が代わりにやってしまうことで自分の存在意義を感じようとする過干渉な親。子どもの欠点をあげつらって「お前はダメだ」と思い込ませ支配しようとする親。そうやって自分の精神の安定のために子どもを利用してしまう親は意外と多いのかもしれない。

 メサコンの人の最も厄介なところは、「自覚がない」ということだ。本人は「自分は親切で善いことをしている」としか思っていない。単刀直入に、「あなたがやっていることは親切の押し売りであり迷惑」だとはっきり伝えても、まったく理解しようとしない。それどころか「迷惑だという相手がおかしい」などといって相手を悪者にしてしまう。こうなると何を言っても通じない。結局信頼を損ね、人が離れていくことになる。

 友人などに「苦しい」「辛い」と訴え、「自分が苦しいのは○○のせい」と嘆く人はメサコンである可能性が高い。「かわいそうな私」と「悪いあの人」をアピールすることで、励ましてもらったり応援してもらいたいのだ。そういう人を見かけるとつい同情して援助しようとする人がいるが、その結果どうなるか・・・。「苦しい」と訴える人は依存できる相手を探しているのだから、援助をしようとする人が精神的に自立していないと取り憑かれてしまう。そして、承認欲求を満たすために徹底的に利用される。

 その結果、精神的にボロボロにされて離れざるを得なくなる。ところが攻撃性が強い人だと離れようとする相手を非難したりストーカーのようにつきまとったりしてコントロールしようとする。これがメサコンの恐ろしいところだ。

 メサコンの人は、他者に依存して満足感を得れば幸福になれるのかといえば、そんなことはない。もちろん他者から認めてもらったり感謝されたら、その時は安心感や優越感が得られるだろう。しかし、その安心感や優越感を得つづけるために永遠に依存する相手を探し求めることになる。他者に依存しようとすればトラブルになってしまうことは前述した。つまり、対人関係のトラブルを繰り返してストレスを溜めることになる。メサコンは誰も幸福にしないどころか自分も不幸にする。

 メサコンの人は劣等感が強いと言われているが、精神的に安定するためには自分がメサコンであることに気づき、自分自身を変えていくしか根本的解決はない。ところが、不幸なことに大半の人は自覚ができない。つまり不幸から抜け出すことができない。お気の毒というしかない。

 もし自分が、他人から認めてもらわないと安心できない(承認欲求が強い)タイプ、あるいは日頃から不平不満を言ってはそれを他人のせいにするタイプだと思うなら、メサコンかもしれないと疑って自分自身を見つめ直すことをお勧めしたい。自分で気づいて改善しようと努力しない限り、メサコンの人が幸福になる道はないと私は思っている。

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コメント

まゆみ様、こんばんわ。

このメサイアコンプレックスですが、
初めて知りました。

ミュンヒハウゼン症候群というのと、
チョッと似てると思いました。

メサコンですか~・・・

なるほど・・・・

この症状、妙に納得してしまいました。

昔の映画ですが、
キャリーという映画を思い出しました。

主人公、キャリーの母親にソックリです。

自分の娘を罵り複縦させるところなどが。

メサコンは異常で歪んだ性格ですね。

Vivaさん

私がメサコンのことを知ったのは2016年に出版された「幸せになる勇気」という本です。この本ではメサコンのことが以下のように説明されていました。

『他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に「メサイア・コンプレックス」と呼ばれています。メサイア、すなわち他者の救世主たらんとする、心的な倒錯です。』

知り合いで共依存状態に陥っている人がいたのですが、この部分を読んでなるほどと思いました。その方は以前から承認欲求が強い人だとは思っていたのですが、メサコンだと考えるととても納得がいきます。残念ながら他者のアドバイスは受け入れません。

メサコンの人は自分自身では分からないのでしょうけれど、第三者が見たら歪んだ心理としかいいようがありません。人の援助ができる人というのはまず自分自身が満たされている自立した人でしょう。自分が幸福ではないのに他者を援助しようとする人がいたら、メサコンだと思います。本人が自覚して自分自身を変えようとしない限り、改善されません。

歪んだ?
歪んでるかな…「世間」で言う「善人」の定義そのまんまなので心が美しく素直でまっすぐ育ったら寧ろそういう人間になると思います。
「自分の身を顧みず他人の為に自らを投げ打つ」を否定したら骨髄バンクのドナー登録とか無理です、まぁ私の場合は出来ない上に出来てもやらないけどな!
線引きとして「自分が幸福では無いのに他者を援助」というのは正しいと思います。
自分も相手も楽しいから人助けをするというのが最も正常な形であり殆どの人がそうですが、これ「鈍い」人だと相手が嫌がってるのが判らない場合が有って、遠慮しているだけと思い込んだり嫌よ嫌よも好きのうちとか脳内変換する人が居ます。
仮に「歪んだメサイアコンプレックス」というのになるとしたら、重篤化するまで誰も「余計なお節介」を誰も本気で拒絶してくれなかったのが原因と考えられます。「最後に想いは必ず届くから」とかおかしな事を考えてると思います。

marsさん

純粋に人を助けようとする行為は見返りなど求めないものでしょう。骨髄バンクのドナーとか献血なども別に見返りを求めているわけではないですよね。ならば、それは健全な人助けだと思います。ところがメサコンというのは、自分が満たされるために他人を助けようとするのですから、見返りを求めているわけです。これは倒錯であり歪んでいると私は思います。

メサコンの人は、自分のやっていることが絶対に正しいと思っているのですから、余計なお節介だと拒絶されたらその相手に取り憑くのは諦めて新たなターゲットを探します。自覚できないというところが最も不幸なことだと思います。

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