敗戦72年に思う
8月15日。また敗戦の日がめぐってきた。私は「終戦」とか「記念日」という気になれない。広島と長崎に原爆を投下され、310万人もの犠牲者を出してようやく「負け」を認めた。戦争とは凄惨な殺し合いであり、人類の最大の愚行であることを日本人はあの戦争で思い知ったのではなかったのか。
そしてつくづく思う。戦争とは支配であると。相対する者(国)が論理や話し合いではなく力で相手を支配しようとし、そのために権力者が国民を支配して戦争に動員する。国民を戦争に駆り出すためにマスコミが洗脳装置として利用される。戦争とは権力者による支配と騙しでつくられる。
いったいこの世の中に、自分と何の関係もない人を殺したり、あるいは自分が殺されることを望む人がいるだろうか? 毎日、死の恐怖に怯えて戦いたいと望む人がいるだろうか? 殺人を嫌う、命を慈しむ、平穏な暮らしを望むという当たり前の願いに右も左も関係ない。
ところが愚かな人類は、ひとたび自分の利益が絡むと簡単に権力者に服従し、言いなりになってしまう。愚かな人類は、権力者の巧みな言葉に容易に騙される。そして殺戮の世界でしかない戦争へと巻き込まれる。犠牲になるのはいつも騙される人たちだ。
安倍首相は今、改憲という自分の悲願達成のために国民を騙そうとしている。内閣人事局を設置して官僚を支配することで安倍一強体制をつくりだし、政権内に強力な支配体制を確立した。そして、秘密保護法、安保法制、共謀罪と強行採決。マイナンバー法も国民を監視し支配するための法律に他ならない。
こうして、私たちはじわじわと体に綱を巻きつけられている。アベノミクスで目くらましをし、不都合なことは隠蔽し、国民を監視して自由に物を言えない状態にし、マスコミによって情報統制をする。その上で改憲をして戦争をする国につくりかえる。それが安倍首相の考えていることだろう。
加計学園問題や自衛隊日報隠蔽問題への対応で安倍首相の支持率は低迷している。とは言うものの、一度つくりあげた支配体制は簡単には崩壊しない。一度つくられた法律を廃止することも容易ではない。野党第一党の民進党も混乱し、支持率は低迷している。厳しい状態と言わざるを得ない。
果たして、日本人はこの危機的状況から脱して平和を守り続けることができるのだろうか。真の民主主義国家をつくることができるのだろうか。国民ひとりひとりの主体性と精神的自立が問われているように思う。国家に騙されていたなら、戦争は再び繰り返されるし、犠牲になるのは国民だ。
(今日のツイートより)
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