原野の水仙
以前はゴールデンウィークの頃に道内のあちこちに野鳥などの調査ででかけた。この時期はクモの採集には早いが、キタコブシやエゾヤマザクラの花が咲き始めるし、芽吹き前の落葉広葉樹林の林床にはスプリング・エフェメラルと言われる早春の花々が可憐な花を咲かせている。民家の庭先には水仙やムスカリ、玉咲きサクラソウなどが咲き誇る。風はまだ冷たいものの、生き物たちの躍動を感じる季節だ。
生物の調査が目的だから、行くところは人里からやや離れた山間地だったりする。そして、もはや原野としか言えないような荒地でしばしば目にするのが、目の覚めるような鮮やかな黄色い水仙の花だ。
北海道の平野部には広大な耕作地が広がっている。そして、かつては「こんな所にも人が住んでいたのか?」と思うような山間地も開墾され畑や牧草地になっていた。たいていは川に沿って山間地へと耕作地が伸びている。人里離れた山間地にも、人々の生活があり、学校があった。人が住みつけば庭先に花を植える。学校を建てれば桜の木を植える。
しかし、山間地ほど離農が進み、かつての耕作地はササや樹木に覆われて自然に戻りつつある。黄色い水仙は、かつてそこに人が住んで暮らしていたことの証だ。建物が撤去されても朽ち果てても、それらの植物は生き続けて毎年花を咲かせる。
チューリップやムスカリはエゾシカの大好物だから、庭先に植えられていても食べられてしまう。しかし水仙は有毒植物だからエゾシカは食べない。かくして、人々が去ってからもしばらくの間、原野に黄色い水仙が生き続けることになる。ササや樹木にすっぽりと覆われでもしない限り、逞しく花をつける。
40年ほど前の学生時代、探鳥旅行で北海道に何度かでかけた。当時の北海道は市街地から離れた辺鄙な場所でも、人が住んでいれば小さなお店(よろずや)と小学校や小中学校があった。否、辺鄙な場所だからこそ商店や学校があったのだ。バスに乗って景色を眺めていると、農耕地の中にぽつんと佇む小学校をよく見かけ何かほのぼのとしたものを感じた。しかし、今では過疎化が進んで小規模小学校は次々と姿を消し、農村地帯に住む子ども達はスクールバスで街の学校に通うようになってきている。
廃校となった学校跡地は次第に草木に覆われ、古びた門柱と桜や水仙だけがかつての面影を偲ばせている。時代の流れとはいえ、寂しいものを感じずにはいられない。
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コメント
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ムスカリやちゅうりっぷが蝦夷鹿の好物だったのですか絵。はじめて解りした。南三陸で3.11まで暮らして居たのですが今は新しい土地で草一本からのはじまりす。私は欲深いのか雑草さえ財産です。楽しい、雑草を肥料にしてます。
投稿: 農婦 | 2017/05/19 20:27
あのー,わたしの様な,無学無知,孤独な67歳の悲鳴とも言えないけれど,知識がある方々のブログを拝読させて頂いただけでもありがたいです
投稿: 農婦 | 2017/05/19 20:35
宮城県でもその水仙いっぱい咲いてます
今住んでる所にもいっぱいさいてます。さいてましたw。
投稿: 農婦 | 2017/05/19 20:38
農婦さん、コメントありがとうございます。
エゾシカはいろいろな植物を食べますが、特にユリ科の植物は好物のようで、チューリップ、ムスカリ、ヒヤシンスなど真っ先に食べてしまいます。キキヨウやクロッカスなども好物のようです。
私も畑や花壇の雑草は積んで堆肥にしています。雑草は天然の肥料ですね。
投稿: 松田まゆみ | 2017/05/19 21:59