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2017/02/05

サハリン紀行(1)

*この随筆は、サハリンツアー(2001年8月8日から14日)に参加したときの記録で、関西クモ研究会の会誌に投稿したものに修正を加えています。
*なお、参加者のお一人が「
サハリンの地質と化石見学」としてツアーの報告をされていますので、興味のある方はご参照ください。

 北海道でクモを見ていると、サハリンは一度は行ってみたいと思うところだ。氷期に大陸と北海道を結んだというこの島は、北海道に多数の北方系の生物を運ぶ陸橋となった。大雪山の高山帯に細々と息づいている「氷河時代の生き残り」のクモたちも、この島を縦断してきたのだと思うと感慨も深い。

 宗谷岬から目と鼻の先にある島でありながら、サハリンの自然を訪れるツアーは意外とない。聞くところによると、トラブルなしにツアーを行うのは難しいお国柄のようだ。そんな中で「地質見学ツアー」なるものを見つけた。地質見学? 8月じゃクモには遅い! と躊躇したのだが、思いきって締め切り間際に申し込んだ。予定表を見ると、宿泊するホテルはガイドブックには出ておらず、名前はなんとGeologist(地質学者)。しかも、シャワーは水しか出ないらしい。そんなわけで、覚悟を決めて出発することになった。

 企画した旅行会社のT氏とコーディネーターのG氏以外の一般参加者は6名というこぢんまりとしたツアーであるが、自然を見てまわるにはちょうどいい人数だ。男性5人、女性3人の総勢8名は、8月8日の10時に稚内港からコルサコフ行きの「アインス宗谷」に乗り込んだ。

 目と鼻の先のサハリンも、稚内港からコルサコフ港となると5時間30分もかかる。男性たちは免税とやらで1本100円の自販機のビールをさっそく買い込んでいる。船に弱い私はそれを横目で見ながら、ひたすら船の揺れから解放されるのを待つのみだ。サハリン旅行はまず船酔いから幕を開けた。

 コルサコフ港に近づくと、褶曲した地層があらわな露頭が目に飛び込んでくる。港は何もかもが古びて錆色をし、数十年前の港に迷い込んだような錯覚に陥る。船から降り、オンボロバス(日本の中古の観光バス)に揺られて入国手続きの人の列に並んだ。特大のスーツケースを同行のM氏に持たせた私は、代わりにカメラを一手に引き受けて手に持っていた。しかし、これは失敗だった。カメラはX線検査機に通された上(当時はまだデジカメは普及しておらず、フイルムのカメラを持っていた)、税関申込書に記入しろと言う(ロシア語なので、そう言っているらしいとしか分からない)。種出入品(一時的な)に当たるらしい。コンパクトカメラまで記入させられたが、なぜか首にぶら下げていたツァイスの双眼鏡には見向きもしない。こちらのほうが数倍も高いのに! 世話人らしき日本人のおじさんがぶつぶつ言いながら、記入の仕方を教えてくれたが、無愛想な態度に辟易とした。

 なんとか申込書を書き終えて税関を通過したが、隣りでは巨大なおみやげ(自動車のタイヤ!)を持っていたG氏が入国審査で引っかかり、係員と揉めている。気の毒だが、私にはなす術がない。税関を抜け出すと、今回のツアーの世話をしてくれるロシアエネルギー省の地質研究者のジャロフ氏とお手伝いで日本語を勉強中の青年セルゲイ氏、それに運転手が出迎えてくれた。しばらくしてから、何とか税関を通過したG氏がやってきて無事に全員がそろった。

 これから私たちの足となってくれる車はエネルギー省の調査用のものなのだが、トラックの荷台を人が乗れるように改造したような車で、タイヤはダンプカーのそれより巨大だ。これをジャロフ氏はバスと呼んでいたが、舗装道路を砂利道だと勘違いする乗り心地だった。現に、コルサコフからホテルのあるユジノサハリンスクに向かっているときは、砂利道だとばかり思っていたのだが、あとで舗装道路だと知って驚いた。これから5日間この車に乗って走り回ると思うと、ちょっと先が思いやられた。

 サハリンは主要道路は舗装されているものの、わき道はほとんど砂利道だ。それも相当にデコボコしている。日本人であればすぐに道を良くしようという発想になるが、ロシア人はそうではないらしい。彼らは車の方をデコボコ道に合わせ、どこでも走れるような頑丈な車に乗るのだという。エネルギー省の車はサハリンの悪路という悪路もものともしない車だ。おかげでかなりすごい山道も進むことができるし、ちょっとした川も渡ることができる。

 ホテルに到着したのは日本時間の17時半、現地時間の19時だった。ホテルは古い建物ではあるが、予想していたより印象は良く(かなりすごいところだろうと予想していた)、昨晩泊まった稚内の旅館よりきれいだった(というか、こちらは今どきなかなか遭遇しないような古くて雑然とした旅館だった)。そして、嬉しいことにシャワーからはちゃんとお湯が出た。これで、一週間風呂なしという惨事にはならなくて済む。このホテルを基点としてサハリン南部の各地に出向くのだ。

 このホテルは、どうやらロシア人専用らしい。フロントの女性は英語が全く通じない。部屋の鍵をもらうのも、紙に数字を書いたものを見せないと分からない。レストランもなく皆素泊まりらしいが、私たちは棟続きの韓国人の経営しているレストランで食事を摂ることになっている。レストランの入口あたりからキムチの匂いが漂ってくる。

 毎日のスケジュールは、朝食後にホテル前に集合して例の車に乗り込み、日中10時間から12時間がフィールドワークとなる。帰るとすぐ夕食となり、ワインやウオッカを飲みながらの団欒だ。部屋にもどりシャワーを浴びると疲れて何もする気になれない。クモの標本ビンにラベルを放りこんでバタンキューだ。予定していた朝の散歩は、結局2回しか実行できなかった。

 サハリンの街は何もかもが古び、建物はあちこちひびが入ったり壊れたりしているし、路傍にはゴミも目につく。しかし、街を歩く若い女性は美人揃いの上に、皆抜群のスタイルで、しかも体にフィットしたセンスの良い服をまとっている。Tシャツにジーンズが定番といういでたちの日本人とは全く雰囲気が違う。この光景を見て、「掃き溜めに鶴」と言った人もいるとか・・・。あとで聞いたのだが、自分で服を縫う女性が多いらしい。

 そして、日本では渡りの時期を除くと高山の岩場でしか見られないアマツバメが、この古いビル街の上空で群舞している。その見事な飛翔にしばし見とれてしまう。どうやら、建物の屋根などの隙間に営巣しているらしい。

 さて、地質見学など学生のとき実習で行ったくらいで全くピンとこなかったのだが、初日の行動でだいたい様子がつかめた。要するに、見学地点となる場所までただひたすらに車で移動し、現地に着いたら説明を聞き、見学やら採取をするのだ。そして、その見学地点の多くは道端の露頭なのだ。つまり、大半の時間は車の中で、クモ採集はもっぱら道端ということになる。「あそこの林を歩いてみたい」「あの湿地でスイーピングをしたら面白いのが採れるのではないか」と思っても、車はどんどん通りすぎていく。クモ採集は半ばあきらめ、車窓から植物や景観を観察することにした。

 サハリンの景観は基本的には北海道とほとんど変わらない。違うのは落葉針葉樹のグイマツがあるくらいだ。トドマツとグイマツの森林が多く、落葉広葉樹はヤナギ類かカンバ類が目につく。ちょうど北海道の標高800メートルから1000メートルくらいにある針葉樹林帯によく似ている。海岸ちかくにある湿地も、北海道の湿地の景観とそっくりだ。ただし、平地の湿原にハイマツがあるのはさすがにサハリンだ。そして、濃いピンクのヤナギランの群落と藤色のキク科植物の群落が単調な湿地にひときわ華やかな色を添えている。8月中旬ともなると、草原はもはや初秋の漂いがある。そして多くのクモもすでに繁殖期を終え、初秋のクモの季節だった。ここではクモのシーズンは瞬く間に過ぎてしまうのだろう。

 最初に捕えたクモは、朝の散歩で見つけたシロタマヒメグモだった。ちょうど産卵期で、葉をまるめて産室をつくっているのがいくつもあった。北海道で見るシロタマヒメグモは、見るからに「シロタマ」という名がふさわしいクリーム色の腹部をしているが、サハリンのものは黄色かったり、褐色の斑紋が入っていたりするものが多くて、まるで別種のように見える。海峡をひとつ渡っただけでこれほど色彩が違うのは、なんとも不思議な気がする。

 朝食を済ませると、いよいよ例の車に乗り込み見学に出発だ。コルサコフの最初の見学地でまず採ったのは、黒色型のオニグモだ。北海道では見たことがない黒色型だったので、サハリンで見られるとは思ってもいなかった。オニグモは軒先にときどき網を張っているが、あまり多くはない。分布の北限に近いのだろうか。

 コルサコフの東、アニワ湾の一角にある岩壁では、岩のくぼみにオオツリガネヒメグモが多数造網していた。北海道でもそうだが、一般に岩に生息するオオツリガネは体色が黒っぽい。岩の色に合わせた隠蔽色なのだろうか。ユウレイグモ科の雄も1頭採集した。

 サハリンの南東部は湖が多く、湿地も点々としているが、そういうところは地質見学の対象地ではなくどんどん走り抜ける。しかし、このあたりはほとんど自然のままに保たれていて、マスが川に遡上する光景も見ることができた。トゥナイチャ湖岸でようやくナカムラオニグモやアシナガグモなどを少し採集したが、初日はひたすら車に揺られ、ユジノサハリンスクにたどりついたときにはもう薄暗くなっていた。なかなかすごいツアーだ。

続く

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