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2016年12月

2016/12/31

年の暮れに

 今日で今年も終わり。子どもの頃は一年がものすごく長く感じたのに、歳とともに短くなり、昨今では飛び去るように過ぎてしまう。なんだか追い立てられているようだ。

 「別れ」が増えてくるのも歳をとった証だろう。今年は喪中葉書がいつになく多く15枚もあった。自分より年上の方の訃報が多いとはいえ、友人や知人の訃報を耳にするたびに寂しさがこみ上げてくる。かつて共に語らい心を通わせた人たちが、一人、また一人と亡くなっていくのは、なんともやるせない。

 今年は植物学者で京大名誉教授の河野昭一先生と、昆虫学者で帯広畜産大学名誉教授の西島浩先生の訃報が届いた。

 私が河野昭一先生を知ったのは、学生時代に大学の図書館で手にした「植物の進化生物学 種の分化と適応」だった。進化や種分化に興味を持ちはじめていた頃だったからこそ、この本と著者の名前は脳裏に深く刻まれた。そして、日本にもこんな優れた研究者がいるのだと知った。

 その後、河野先生は自然保護運動に積極的に関わっていることを知って、私は大いに認識を新たにした。日本では自然保護などの草の根の社会運動に積極的に関わる研究者はとても少ない。単に研究に忙しいということだけではなく、たぶんいろいろなしがらみの中で圧力のようなものがあるのだろう。しかし河野先生は、大規模林道問題全国ネットワークの代表を務め、全国各地で自然保護のための調査にも関わって大活躍されていた。国際自然保護連合の生態系管理委員会東アジア地区副委員長も務めるという希少な研究者だった。

 そんな河野先生と行動を共にすることになったのは、2005年の上ノ国町ブナ林伐採現場への視察だった。それ以来、十勝東部の国有林の伐採現場、上士幌町の幌加・タウシュベツの皆伐現場、上川町の石狩川源流部の違法伐採現場など、道内各地の伐採現場での視察や調査で行動を共にした。

 かつては雲の上の存在だった河野先生と、自然保護の現場でともに行動することになるとは夢にも思っていなかった。70歳を超えてもとてもお元気で全国を飛び歩き、誰とでも気さくに話しをされる河野先生に、私などはいつも元気づけられていた。今となっては、それも懐かしい思い出だ。

 河野先生亡きあと、先生に代わって自然保護のために行動する研究者が果たしてどれほどいるのだろうか?と思わざるをえない。それほど、自然保護、とりわけ森林保護に尽力された類い稀な研究者であられた。

 西島浩先生は深い付き合いがある訳ではなかったたが、大学時代の恩師(昆虫学)とは親友の中だったそうで、お二人で尋ねてこられたことがあった。根っからの昆虫好きで、虫好きが高じて研究者となり、一生を虫とともに暮らしたといっても過言ではないだろう。

 何年か前に千歳のご自宅に2回ほど伺ったことがある。ご高齢でありながら一人暮らしをされており、居間のテーブルには昆虫の本が積まれ、一日中、昆虫の本や資料に囲まれて過ごされているようだった。そして、私の顔を見ると「このあたりにもオニグモがたくさんいて夏になるとオニグモヤドリキモグリバエを見かけるのだが、最近はオニグモもあまり見られなくなった」と嘆いていらした。

 オニグモヤドリキモグリバエは産卵前のオニグモの腹部に卵を産みつける小さな黄色い寄生バエで、幼虫はオニグモの卵を食べて育つ。昆虫愛好家として、クモも寄生バエも興味深い対象として観察されていたのだろう。長生きされたのは、昆虫というかけがえのない趣味を生涯に渡って心から楽しんでいたからに違いない。いくつになっても好きなことに没頭できるというのは素晴らしいことだと思う。

 お二人のご冥福を心よりお祈りしたい。

 さて、私もあと何年生きられるのか分からないが、今年も大きな病にもかからず、事故にも遭わず、平穏に過ごせたことに感謝したい。この国が平和でいられるのも、あるいは自由に物を言えるのも、今のうちかもしれない。一度しかない人生なのだから、言いたいことも言わず、やりたいことを我慢するつもりはない。せめて残された人生を自分に正直に生きたいと思う。

2016/12/13

ブログ記事の削除要請を受けたらどうすべきか

 先日「植田忠司弁護士からの削除要請は正当か?」という記事で、ブログ運営会社への回答書を公開したが、これに対しさぽろぐ運営事務局から以下の返事があった。

現時点で、名誉棄損にあたるという判断ができませんので、
弊社としましても記事の削除には応じない考えです。
改めて依頼人側からの連絡があった場合は、
必要に応じて、またご連絡させて頂きます。

 私の回答書を受け、さぽろぐ運営事務局(ジェイ・ライン株式会社)は名誉毀損に当たらないという判断をしたということだ。至極まっとうな判断だと思う。この判断を受け、依頼人がジェイ・ライン株式会社に理由を示した上で「発信者情報(氏名、住所その他の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるもの)を開示せよ」と求めた場合、ジェイ・ライン株式会社は「開示するかどうか」について私に意見を聴かなければならない(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律 第四条)。

 かつては名誉毀損、プライバシー侵害、肖像権侵害、著作権侵害などといった権利侵害は書籍や雑誌、新聞などのメディアの世界でのことであり、一般の人にはほとんど関係のない話しだった。ところがインターネットの普及によって、誰もがこのような権利侵害の被害者、あるいは加害者になりうる時代になった。だから、ブログや掲示板などで発信する場合は常に権利侵害のことを頭に入れておく必要があるし、「知らなかった」では済まされない。

 もし、ブログ運営会社等から権利侵害の通告を受けたなら、まず、それが正当なものであるかどうか十分に検討する必要がある。正当なものであれば記事の修正や削除に応じるべきで、突っ張って放置したなら強制削除とか民事訴訟になりかねないし、場合によっては刑事告訴されることもあり得る。

 プライバシー侵害、肖像権侵害、著作権侵害については分かりやすいが、名誉毀損は判断が難しい場合も少なくない。誹謗中傷などをしておらず事実を書いただけであっても、その事実が特定の人の社会的評価を低下させるものであれば、名誉毀損になり得る。

 ただし、名誉毀損の場合は免責要件というのがある。簡単に説明すると、1事実の公共性(公共の利害に関する事実であること)、2目的の公益性(事実を適示した目的が主に公益をはかるためであること)、3真実性・真実相当性(適示した事実が真実であると証明できる、または真実であると信じた相当の理由があること)、の三つだ。この三つが満たされている場合は名誉毀損の不法行為は成立しない。したがって、これについて十分な検討が必要になる。

 プロバイダ責任制限法による削除要請の場合、ブログ運営会社から連絡を受けて7日以内に削除に応じるか否かについて回答をしないと、強制削除される可能性が高い。ただし、削除要請をする人の中には名誉毀損に該当しないのに「名誉毀損だ」と主張する人もいるので注意が必要だ。恐怖にかられて安易に自分から削除してしまえば、表現の自由の権利を自ら放棄してしまうことにもなりかねない。

 削除要請を受けた人に、前回と今回の記事が参考になれば幸いである。

2016/12/09

植田忠司弁護士からの削除要請は正当か?

 12月2日、「さぽろぐ運営事務局」(ジェイ・ライン株式会社)から「女性弁護士に暴力をふるった植田忠司弁護士とは・・・」という記事の削除要請があったとの通知がきた。削除要請の依頼人は植田忠司弁護士で、依頼人代理人は野澤健次弁護士である。それにしても、4年以上も前に書いた記事に「何で今ごろ?」と思う。

 インターネットが庶民の生活に深く浸透した現在、ネット上では誹謗中傷やプライバシー侵害、著作権侵害などの権利侵害が溢れている。ゆえに、プロバイダ責任制限法特定電気通信役務提供者損害賠償責任制限及び発信者情報開示 に関する法律)によって、権利侵害があった場合にプロバイダやサーバの管理・運営者が記事の削除ができることになっている。今回の削除要請はこれに基づいている。

 私が本当に権利を侵害しているのなら、記事の修正や削除をしなければならない。ところが、送られてきた「侵害情報の通知書兼送信防止措置に関する照会書」を読んでも、どのような記述が名誉毀損なのか書いておらず、何が問題なのかさっぱりわからない。「あずかり知らぬ情報を記載」したと書かれているが、私が記事に書いたことはすべて公開されている。「あずかり知らぬ情報」とは意味不明だ。

 記事全体が名誉毀損になるとは到底考えられないので、修正で対応したいとさぽろぐ運営事務局に伝えたのだが、記事全体が削除要請の対象だという。まったく訳がわからない。

 権利侵害が誰の目からみても明らかな場合は、プロバイダ責任制限法で記事が削除されても文句は言えない。しかし、権利侵害であるか否かの判断が難しい場合もあるだろう。中には、権利侵害などないにも関わらず、都合の悪い記事を削除させることを目的にこの法律を利用して削除要請する人もいる。そして、権利侵害という言葉に驚いて、あまり深く考えもせずに自ら記事を削除してしまう人もいるかもしれない。

 しかし、もし不当な削除要請であるにも関わらず記事の削除が実行されるようなことになれば言論の自由の侵害になりかねず、由々しきことだ。

 だから、削除要請がきた場合は、正当な削除要請であるかどうかを十分検討する必要があるし、不当な削除要請であれば削除に同意することにはならない。

 今回の削除要請については、さぽろぐ運営事務局に疑問点を問い合わせた上で検討したが、権利侵害があるとは考えられないものだった。私は、不当な削除要請ではないかと考えている。私は過去にも数回削除要請を受けたことがあるが、正当な削除要請だったためしがない。

 以下が、私がジェイ・ライン株式会社に送信した回答書である。

        ********************

                    回答書

                                       2016年12月9日

ジェイ・ライン株式会社 代表取締役 野上尚繁 様

                                       松田まゆみ

 貴社から照会のあった次の侵害情報の取り扱いについて、下記の通り回答します。

【侵害情報の表示】
掲載されている場所 「女性弁護士に暴力をふるった植田忠司弁護士とは…」の記事全文 
http://onigumo.sapolog.com/e340026.html 

掲載されている情報 女性弁護士に暴力をふるった植田忠司弁護士とは…との表題にて、あずかり知らぬ情報を記載した。

侵害されたとする権利 依頼人の社会的評価を低下させる事実を公然と発信(名誉毀損)し、依頼人の業務を妨害した。

【回答内容】
記事を書く動機になった「弁護士自治を考える会」の記事「植田忠司弁護士【埼玉】懲戒処分の要旨」 http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/33374421.html
 が削除されれば、送信防止措置(記事の削除)に同意する考えです。

【回答の理由】
1.弁護士の懲戒処分の公表について

 弁護士の懲戒処分は日弁連広報誌「自由と正義」に公告として掲載されているものであり、国民に広く知らしめる公益性の高い情報です。依頼人の暴力や業務停止の処分については現在もマスコミを含めた複数のサイトで公表されております。
 発信人が記事中でリンクさせているサイトの管理人である「弁護士自治を考える会」は、公益目的に活動をしている任意団体で、公告として公表されている弁護士の懲戒処分を継続して公開しています。公告の掲載が名誉毀損に当たるのであればこのサイトに掲載することはできません。しかし、このサイトは2007年に開設され、継続して懲戒処分の情報を掲載しています。したがって、「弁護士自治を考える会」の記事をリンクさせて懲戒処分の事実を記載したことは名誉毀損には該当しないと考えます。
 なお、「弁護士自治を考える会」には現時点では植田弁護士からの削除要請はきておらず、削除要請があっても業務停止の場合は応じないとのことでした。リンク元である「弁護士自治を考える会」のオリジナル記事において名誉毀損云々の問題がなんら生じていない現況で、二次的著作物である発信人の記事を名誉毀損と判断し削除することは本末転倒かつ不当です。

2.依頼人が文芸社から本を出版している事実について
 文芸社は新聞広告などで一般の人たちに自費出版(依頼人が本を出版した頃は共同出資を謳った協力出版)を呼び掛け、悪質な勧誘・商法を行っていた出版社です。このような出版社から弁護士が悪質商法に注意喚起し被害から抜け出すことを謳った本を出版しているという事実は、悪質出版社の信用性を高めるだけではなく、事情を知らない一般の人たちを悪質出版社に誘導することに繋がりかねません。弁護士や著名人の本の刊行は著作者が認識していなくても悪質自費出版社の広告塔となり得ます。したがって、弁護士が悪質な自費(協力)出版商法をしていた出版社から本を出したという事実は公益性があります。

3.依頼人が検事を辞めて弁護士になった事実について
 依頼人が検事を辞めて弁護士になった事実は、依頼人が運営する植田労務管理事務所のホームページ http://ueda-consul.jp/profile.html
 で公表されており、名誉毀損には該当しません。

4.貴社から示された「懲戒処分については事実ですが、改めて公にされたり、掲載され続ける必要はない」という論拠の法的根拠について
A判例①平成25年9月6日東京高裁の判決 記事の転載者が名誉棄損にあたるかが争われた裁判で、オリジナルの記事(中傷記事)を転載した者に対しても名誉棄損を肯定した事案について。
 この事案は中傷による名誉毀損です。リンク元の「弁護士自治を考える会」の記事は中傷記事ではありません。また、今回の削除要請にあたり依頼人が「侵害情報の通知書 兼 送信防止措置に関する照会書」に記載しているのは中傷による名誉毀損ではなく、事実の記載を理由とした名誉毀損です。したがって、発信人の事例と同一に論じられる事案ではありません。

B判例②平成6年2月8日最高裁判決 ノンフィクション小説の中で過去の犯罪事実が明らかにされたとして権利侵害と認められた事案について。
 この事案については、もはや知る人もいなくなっていた犯罪事実が当該著作物で再び知れ渡ったというものですから、現在でも複数のサイトで公開されている発信人の事例とは全く異なります。

C「懲戒処分は行政処分であって刑事処分のような犯罪に対する刑罰ではないことや、懲戒処分がされたのは2011年12月のことで、その内容である暴力行為に至っては2008年のことであり、また業務停止期間は1か月で、それらから数年を経ており、現在弁護士をしていることがおかしいことではないことも考えれば、今なお掲載し続けることに公共利害性は乏しく、権利侵害にあたる可能性は十分にあると考えられます」との見解について。
 弁護士の懲戒処分による業務停止は短期間であってもその期間は顧客との契約ができなくなりますし、顧問契約や法テラスは3年間の契約解除になりますので、弁護士業の存続にも影響しかねない重い処分です。また、弁護士が信頼関係のもとに依頼人と契約し法律の専門家として職務を遂行する立場であることからも、過去の非行事実の公表は公益性があり、一般人の犯罪の事例と同列に扱うことはできません。
 なお、「現在弁護士をしていることがおかしいことではないことも考えれば」との文面から、貴社は依頼人が現在も弁護士業務を継続しているとの認識と読みとれますが、依頼人が運営する植田労務管理事務所のホームページ http://ueda-consul.jp/profile.html
 には、平成24年(2011年)5月に弁護士業務を引退したと記されています。現在も弁護士登録されているのは事実ですが、弁護士としての業務は行っていないことを自ら明らかにしています。懲戒処分を受けて半年足らずで引退していますが、引退は懲戒処分に起因している可能性が高いと推察されます。

5.「あずかり知らぬ情報を記載」との記述について
 「侵害情報の表示」の「掲載されている情報」の欄に「あずかり知らぬ情報を記載」と書かれております。しかし、懲戒処分の事実が依頼人にとって「あずかり知らぬ情報」ではないことは言うまでもありません。また文芸社から本を出版した事実および検事を辞めた事実についても「一般社団法人 環アジア地域戦没者慰霊協会」の植田弁護士のプロフィールのページ http://www011.upp.so-net.ne.jp/senbotsu-irei/goaisatsu-ueda-c.htm で公表されており、「あずかり知らぬ情報」ではありません。
 したがって、「あずかり知らぬ情報」など存在せず、照会書の記述は事実ではないことを指摘させていただきます。

 以上の理由により、不当な削除要請と考えています。ジェイ・ライン株式会社が、賢明な判断をされることを望みます。

        ********************

 なお、この件に関しては、クンちゃんも記事にして紹介してくださっている。

植田忠司弁護士、鬼蜘蛛ブログの古い過去記事削除を要求!! 詳細は追記 

植田忠司弁護士、鬼蜘蛛ブログの古い過去記事削除を要求!! その2 

植田忠司弁護士、鬼蜘蛛ブログの古い過去記事削除を要求!! その3 

植田忠司弁護士、鬼蜘蛛ブログの古い過去記事削除を要求!! その4


【12月10日追記】
 クンちゃんの新しい記事

植田忠司弁護士、鬼蜘蛛ブログの古い過去記事削除を要求!! その5

【12月13日追記】
 12日にさぽろぐ運営事務局から「現時点で、名誉棄損にあたるという判断ができませんので、弊社としましても記事の削除には応じない考えです」との回答があった。

 この回答を受けての、クンちゃんの新しい記事は以下。
至急報、鬼蜘蛛の勝ち~! 植田忠司弁護士、鬼蜘蛛ブログの古~い過去記事削除を要求!! その6 

 なお、関連記事をアップした。
ブログ記事の削除要請を受けたらどうすべきか

【12月16日追記】
植田忠司弁護士、鬼蜘蛛ブログの古~い過去記事削除を要求!! その7(おわり)

2016/12/01

怒りが止まらない

 怒ったところで、不平不満を言ったところで何も解決しないのは百も承知だ。でも、やはりこのところずっと怒りの気持ちが収まらない。もちろん安倍政権の暴政に、だ。

 秘密保護法や安保法制の強行採決で安倍政権が何をしようとしているのかは一目瞭然だ。公文書の情報開示をしても黒塗りだらけ。そして、つい先日は南スーダンでの自衛隊の駆けつけ警護で平和憲法をないがしろにした。権力に都合の悪いことは国民に知らせず、戦争をする国づくりに血道を上げている。そして事態は安倍首相の思うように進んでいる。

 マイナンバーカードの導入は国家権力が国民を監視し、管理することにある。国民がマイナンバーカードを持つかどうかは自由だとしていたのに、一年そこそこで健康保険証と兼用にして強制的に持たせようとか、図書館の利用カードとして使えるようにしようと画策している。個人の資産や思想まで国が監視するというのがマイナンバー制度。ゆくゆくは徴兵に利用しようと考えているのかもしれない。

 今や、労働者の4割が非正規雇用となり、子どもの6人に1人が貧困だというのだから、ただごとではない。こうしたことを改善するどころか、さらに残業代ゼロ法案やら年金カット法案という国民の不利になる法案ばかりを強行に推し進める。そして今度は医療費の負担増。年金だけでは生活が苦しい高齢者が大勢いるというのに、支給額が減らされた上に医療費が増えたらどんなことになるのかは想像に難くない。

 非正規雇用でカツカツの生活を強いられている若者は結婚どころではないし、厚生年金に加入できない人も多い。一方で国民年金の保険料は増え続けてきた。国民年金の未納率は4割を超えるという。今の若い人たちが高齢者になったときには年金をもらえない人が続出するだろうけれど、生活保護等で十分な対応がなされるとは思えない。こんな状態なのに、国民から集めた年金をアベノミクスのために株に投資して大損をしているとのだから目も当てられない。明らかに国の失策であるにも関わらず、すべて国民に背負わせるというのだから、どれほど国民を馬鹿にしているのかと怒りがこみ上げてくる。

 正社員であっても残業やパワハラが常態化し、過労死や自殺が後を絶たない。大企業は内部留保を溜めこむ一方で労基法違反が蔓延し、働くことが命がけになってきている。どうみても異常だ。

 福祉政策も改悪の一方で、特養は申し込んでも何年も待たされる。親の介護のために仕事を辞めざるを得ず、貧困や鬱に陥る人もいる。共働きであっても保育園に子どもを預けることすらままならない。

 「いじめ」があっても学校が積極的に解決に取り組むことをほとんどせず、発覚したら学校や教育委員会は責任逃ればかり。だから子ども達は自分が標的にされないよう空気を読み、波風を立てないことに必死になる。授業は相変わらず詰め込み教育で、自ら考える力をつけさせようとはしない。自民党政権はこうして「抗わない人間」「考えない人間」をつくりだしてきた。日本人はただでさえ協調性を重視する傾向が強いから、教育を利用して主体性のない人間をつくるのはたやすいに違いない。

 今年は熊本に続いて鳥取で大地震があり、つい先日も福島沖で大きな地震があった。火山活動も活発化している。日本は再び大地震や火山噴火に襲われることは間違いないのに、原発再稼働に躍起になっている。さんざん原発の安全神話を吹聴しておきながら、ひとたび福島のような大事故が起きれば、その処理費用や賠償費用は国民に押しつける。詐欺師同然だ。

 公約など全く守らず、数の論理で庶民を苦しめる悪法をどんどん成立させている。こうして庶民にばかり負担を押しつけながら、オリンピックや海外へのばら撒き、米国への思いやり予算などには湯水のごとくお金を使う。これのどこが先進国なのか。

 もはや自分たちの生存が脅かされている状態なのに、日本人は驚くほどおとなしい。なぜ黙っているのか、なぜ選挙にも行かず無関心でいられる人がそれなりにいるのか、私は不思議でならない。

 世論調査によると内閣支持率が60パーセントになったそうだ。安倍首相とトランプ氏との会談が支持率上昇につながったのだろう。私はテレビを見ていないが、どうやらテレビではあの会談で安倍首相をかなり持ちあげていたらしい。トランプ氏にとっては、どこまでも米国追従の安倍首相の訪問は「カモがネギをしょってきた」としか見ていないだろうに、マスコミを通すと逆の評価になるらしい。危機感のない人は簡単にマスコミに操られてしまう。

 日本人は意思表示をせず行動力がないのかといえば、必ずしもそうではない。政治とは関係のないこと、たとえばアイドルグループSMAPの存続を求める署名活動では、1カ月ちょっとで37万筆が集まったという。よさこいソーランのようなお祭り騒ぎは大好きな人も多い。しかし、こと政治に係ることになると途端に白けてしまう。要は、自分が楽しいことに対しては関わるが、自分が不利になるかもしれないような面倒なことには関わりたくないのだ。政治や社会問題に対しては主体性が著しく欠けている。

 もうずいぶん前から、ひたすら米国の顔色をうかがい従うだけの日本政府に心底嫌気がさしていたが、3.11の後にはそれが明瞭な怒りや危機感になりずっと気持ちが晴れない。自民党は、表現の自由をも制約したいという意向だ。今はこうやって書きたいことを書けるが、それができなくなる日もそう遠い将来のことではないのかもしれない。

 今ほど「抗う」「変える」という決意が必要なときはないだろう。しかし、日本人は極めて従順で変化を嫌う国民のように見える。「やっぱり政権を任せられるのは自民党しかない」という人がそうだ。3年間の民主党政権に絶望したという人は多い。しかし、国の無策を棚に上げ、そのツケをすべて国民に押しつける自民党政権がより良いとでも思っているのだろうか? 結局のところ、現政権に不満を抱きながらもあの政党もダメ、この政党もダメと悪いところばかりあげつらうことで、反逆や変化を避けているのではないか?

 辺見庸氏が2002年刊の「永遠の不服従のために」のあとがきにこんなことを書いている。

人間(とその意識)の集団化、服従、沈黙、傍観、無関心(その集積と連なり)こそが、人間個体がときに発現する個体の残虐性より、言葉の心の意味で数十万倍も非人間的であることは、過去のいくつもの戦争と大量殺戮が証明している。暗愚に満ちたこの時代の流れに唯々諾々と従うのは、おそらく、非人間的な組織犯罪に等しいのだ。戦争の時代には大いに反逆するにしくはない。その行動がときに穏当を欠くのもやむをえないだろう。必要ならば、物理的にも国家に抵抗すべきである。たがしかし、もしそうした勇気がなければ、次善の策として、日常的な服従のプロセスから離脱することだ。つまり、ああでもないこうでもないと異議や愚痴を並べて、いつまでものらりくらりと服従を拒むことである。弱虫は弱虫なりに、小心者は小心者なりに、根源の問いをぶつぶつと発し、権力の指示にだらだらとどこまでも従わないこと。激越な反逆だけではなく、いわば「だらしのない抵抗」の方法だってあるはずではないか。

 この本が書かれて十数年が経過した今、更に事態は悪化した。日本はもう平時ではなく、戦争へと片足を踏み出している。辺見氏の言う「異議や愚痴を並べて、いつまでものらりくらりと服従を拒む」というだらしのない抵抗すらしなかった結果、今では暴政のなすがままだ。

 政治に無関心な人たち、あるいはマスコミに踊らされてしまう人たちが、日本の危機的状況を察知して本気で抗わない限り、この国はどこまでも堕ちていくのだろう。そして騙されたと気づいたときは、いくらあがいてもどうにもならない状況になっている。こんな国にしてしまった責任は今の私たち大人にあるのだけれど、そう思うとあまりに切なく虚しく、やるせない。

 それでも私は口を塞がれるまで言いたいことを言い、暴政を批判しようと思う。

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