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2016/03/17

5年前に関東を襲った放射能プルームを忘れてはならない

 忘れもしない。5年前の3月15日に私は東京に行く予定で飛行機を予約していた。帰りの飛行機は3月22日に予約。しかし3月11日の震災によって急きょ予定を変更し、実際に東京に行ったのは3月29日の夜だった。

 当初、米国から来日するというある方と3月21日に東京でお会いする約束をしていたのだが、予定変更を伝えてやむなくキャンセルをした。もっとも、その方も出発の少し前に米政府から出国を止められて日本に来れなくなったのだが。米政府が日本への渡航を禁止したということは、当時東京に行くことがどれほど危険なのかを知っていたからに他ならない。

 私が東京に行ったときは東京の汚染がどの程度のものなのか正直いってよく分からなかった。しかしフクイチが爆発してからは原子力資料情報室の動画を頻繁にチェックしていたので、格納容器が破損して大量の放射性物質が放出されたことは知っていた。また東京でも一時的に放射線量が上がったことも知っていたし、乳幼児には水道水を飲ませないようにとの報道があったので、健康被害が懸念される汚染があったという認識はあった。

 しかし3月15日と20~21日に放射能プルームが東京を襲い、それによってかなり土壌が汚染されたことを知ったのは帰ってきてからである。予定を変更していなかったら、私も相当の被ばくをしていただろう。

 5年前の恐るべき放射能汚染を忘れないためにも、2回にわたって関東地方を襲った放射能プルームのことを再度とりあげておきたい。

 1回目、3月15日の大量放出に関しては、広く知られている。このとき東京にいた人たちが浴びた放射線量は一日でおよそ700マイクロシーベルト(0.7ミリシーベルト)と見積もっている方がいる。これだけでも健康に影響がないといえるレベルではない。

3月15日 東京を襲った「見えない雲」 (Stop ザ もんじゅ)

 そして3月20日から21日にかけて再び放射能プルームが東京を襲った。15日のフォールアウトは希ガスが主体だったのに対し、20~21日のフォールアウトはヨウ素、セシウム、ストロンチウムなどが主体と考えられている。いずれにしても、この2回のフォールアウトによって関東地方の人たちは大量の被ばくをしてしまったのは間違いない。20~21日のフォールアウトに関してはishitaristさんが詳しく報じているが、この2日間だけで大気圏核実験が頻繁に行われていた過去50年間の降下量とほぼ同量のセシウム137が降り積もり、関東地方の人たちはそれを吸い込んでしまったことになる。

2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発(Space of ishtarist)

 5年前の3月だけで、東北から関東地方に住む人たちはかなりの被ばくをしたのであり、どう考えても「健康に影響がない」というレベルではない。現に、福島の子ども達に甲状腺がんが多発している。上記、ishtaristさんは、グーグルトレンドを使って3.11以降の健康被害について考察しているが、東京でも健康被害が広がっていることが読み取れる。

東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編(Space of ishtarist)

 私が東京に行った3月末、テレビでは学者を名乗る者が何度も出てきて「格納容器は健全です」と繰り返していたのをよく覚えている。つまり、放射能漏れはないから安心してよいといっていたに等しい。原発が4機も爆発して建屋は吹き飛び、3号機の爆発のときにはキノコ雲も発生したし、東京の水道水に放射性ヨウ素が含まれていたのだから、そんな学者の話しなど端から信じてはいなかったが、テレビではこんなことが平気で垂れ流されていた。

 後に知ったことだが、震災で騒然としていた中、東電社員の家族は早々に避難していたと言われている。東電も政府も米国も、フクイチでメルトダウンがはじまっていたことや大量の放射性物質がまき散らされたことをもちろん知っていたのだ。5年前の今ごろ、東電も国も大量の放射能漏れを知りながら、パニックを理由に国民に何もしらせなかった。マスコミは御用学者をつかって虚偽の情報を流し、安全論を振りまいた。5年前の今ごろ、原子力ムラの人たちは国民の命などこれっぽっちも考えずに保身に走った。日本国民は5年前のあのとき、見捨てられたのだ。

 3月11日の震災を風化させてはいけないとマスコミは口をそろえる。しかし、なぜか福島の原発事故を風化させてはいけないとは言わない。原発事故のことは早く忘れさってほしいと思っているのだろうか。5年前の今ごろ、政府とマスコミ、御用学者たちが国民の命に関わる重大な情報を隠蔽して被ばくをさせ、健康被害を拡大させたことを私は決して忘れない。今でも、福島の原発事故程度では健康被害は生じないなどとねぼけたことを言っている科学者がいるが、いったい何を根拠にそんな無責任なことが言えるのだろう。

 もちろん責任者を批判したり、彼らが謝罪したところで被ばくが消えるわけではない。しかし、この重大な責任を黙認するということは、この国にはびこる無責任体質を容認することに他ならない。

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コメント

5年前の3月12日わたしは白内障の手術の予定だったが余震で停電などが危惧されたので、延期となった。よせばいいのに一週間後病院から予約が詰まっているから明日手術日としたいと言われ承諾。ぶどうまく炎も完治しないでの白内障手術をしても意味がないことを後で知った。

私は311後一滴の雨の雫で肌にケロイドのような物が出来、その時多大なる被曝を悟りました。マスクはしていました。
同時期都内各地で全身雨に濡れたんだろうなと思われる若者を多数見掛け、恐怖心を抱きました。彼らは、全身赤黒いケロイド状態でした。とても怖かったです。
雨には絶対に濡れない様に今でも気をつけていますが、水道から出てくる水、特に風呂が怖くて仕方がないです。風呂トイレ洗濯以外は全て海外からの輸入の水とRO膜を通した水で賄っていますが、それももはや気休めとしか思っていません。
311の年はずっと、鼻血血尿口の中指先が血だらけな日々でした。
今も雨が降る時湿度の高い時強い風が吹いてる時など、家の中に居ても全身が凄くヒリヒリと痛み危険を感じます。
東京神奈川界隈ではまるで原発事故なんか無かったかの様にマスクをしている人を見かけません。
特に若者のマスク率が皆無です。
今更マスクしても遅いと思っているのかもしれないし、そもそもマスクだけしても食べ物飲み物にも気を付けないと意味がないし逃げない時点でアレなんでしょうが、気休めでしか無いかもだけど、マスクだけでもして欲しいです。風邪や様々なちょっと嘘臭い伝染病等々の予防にもなるんだし、被曝で確実に免疫力は落ちてるので。
各地で異常な事件が増えてたり、市内や町内にも様々な異変が増加していて恐怖です。
初めましてなのに、とても支離滅裂な長文で申し訳ありません。

私は津波被災で避難所に2ヶ月いたので殆ど福一事故の情報は有りませんでした。河北新聞で,たてやが爆発をした程度の情報,格納容器が爆発したと考えていませんでしたが、外に出ない様指示が有りました。きおくでは3/20日過ぎてからです。仮設住宅に入ってからPCができる様になってはじめて事の重大を知りました。ずーっと不安です、格納容器の底が落ち地中に既に落ちた燃料が再臨界を起こし今でも放射性物質を出していると言ってたブログが有りました。この5年10ヶ月,福一事故の関連記事を書き続けているブログ主さんがいます。逝きし世の面影、宗純さんです。4年Facebookでスピーディーの記録が偶然流れてきた時は,驚きました。もう関東も東北の殆ど二放射能が降り落ちた。幸いと言うか、爆発時の風向きが太平洋に向かってた。だけど関東地方を襲った事は間違い有りません。栃木,茨木,埼玉,千葉,静岡まで流れた様です。あの時情報があった人たちは関西に逃げたそうです。東京駅はごった返し、高速は関西に向かう黒い高級車の列だったとかと言う怪情報も来ました。それが本当なら,確実日本はおかしく成っていますね。事実福島では、ヨウ素剤を配布ぃされたのは,福島県立大病院の学生,職員とその家族だけ。秘密裏に。内部告発であとでわかったということです。現在福島の検討委員会発表、小児甲状腺癌174人(疑いも含め)、未だ原発事故由来とは考えにくいと,検討委で言う異常。

甲状腺がんに関しては、いずれ事故による被ばくとの関連性を認めざるを得なくなると思います。ただ、被ばくによる健康被害は甲状腺がんだけではないし、おそらく表に出てきていないだけで計り知れない健康被害があるでしょう。ただし、日本政府は、チェルノブイリと同じように甲状腺がんだけを認め、それ以外の疾患は因果関係が不明として葬ってしまうことが懸念されます。

汚染地に住む人に「避難の権利」を補償するならともかく、日本でやっているのは汚染地に帰還させるという正反対のことです。日本政府は、チェルノブイリ事故によって被ばくの恐ろしさや被ばくを避ける方法を学んだのではなく、被ばくをいかに隠蔽し責任逃れをするのかを学んだということでしょう。福島の原発事故によって、原子力ムラの支配するおそるべき世界が露わになり、無責任体質が露わになりました。

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