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2016/02/01

戦争は人間の本性か?

 人間の最も愚かな側面は、戦争と環境破壊だと思う。同じヒトという種でありながら、憎み合って殺し合い、しかも大量殺戮を続けている生物種は地球上にはヒト1種しかいないだろう。環境破壊は、生物の生存基盤そのものを壊したり汚染することで自ら首を絞める行為だ。戦争は同種の殺戮と同時に環境破壊ももたらす。ともに理性のある者がとる行動ではなかろう。

 放射能汚染も同じで、お金に目がくらんだ人たちが危険きわまりない原子力の利用を促進してきたことが、人類はもとより地球上の生物の生存を脅かしている。21世紀における人類の選択は、地球上の生物の存続を左右することになるだろう。

 しかし、これだけ科学技術が発達した社会でありながら、ヒトはどうして戦争が止められないのだろうか。「戦争はヒトの本性」とか「戦争があるから人口増加が抑えられる」などといったことを口にする人がいるが、本当にそうなのだろうか? やや古い記事だが、以下からもやはり戦いは人間の本性ではないと考えざるを得ない。

「戦いは人間の本質ではなかった」:研究結果 

 アイヌの人たちはチャランケという弁論よってもめごとの解決を図ったという。アイヌ民族がまったく闘いをしなかったということではないにしても、話し合いで争いごとを解決するというのが彼らの基本的なやり方だったのだろう。

 狩猟採取生活をしている少数民族は、自然の中でひっそりと暮らしていて集団で殺し合いをするという話しはまずきかない。以前、NHKのテレビ番組で、狩猟採取生活をしているある民族にはストレスがないと報じていた。彼らは協力して獲物を捉え、食糧を集団の中で平等に分け与える生活をしているが、こうした集団内の協力や平等意識が武力闘争のない平和な生活を維持しているのだろう。狩りに非協力的な自己中な人は、集団内で生きていけないことになる。

 だいたい、同種同士で殺し合いをする動物はほとんどいない。チンパンジーなどには子殺しもあるが、これとて憎しみによる集団での殺し合いではない。ところが、人類はあるときから殺し合いをするようになってしまった。人間がいつまでたっても戦争という殺戮を止められないのは、欲を制御できないからとしか思えない。富を溜めこむようになった社会には富の分配の偏りという不平等が生じ、より多くの富を得ようとする競争があり、こうした社会では不平等と闘争心によって自ずとストレスが蓄積する。

 富の配分が公平で、支配や競争がない社会であればストレスは生じにくいだろうし、ストレスや競争がなく人と人が協力しあう社会であれば、人が憎み合うことも少ないだろう。ならば、人々が平和な暮らしを続けるために必要なのは、富をできる限り均等に配分して格差をなくし、人々が協力しあう社会を構築することだ。

 そして、地球上の資源は限りがあることを自覚し、自然改変をできる限り慎む努力をしつつ再生可能エネルギーを利用していくしかないのではなかろうか。もちろん、だからといって昔のような生活に戻れというつもりはない。自分たちの生存基盤である自然環境の保全を前提にしなければ、どこかで綻びが生じ持続可能な社会は続かない。戦いが人間の本性ではないのなら、意識と努力次第で平和な社会は築けるはずだ。

 しかし、日本は正反対の方向に向かっている。格差は拡大するばかりだし、福祉は切り捨て。今や働けど働けど搾取される非正規の労働者と、年金だけで生活できない高齢者が溢れている。あれだけ大きな事故を起こし放射能をばら撒きながら、原発をやめる気配がない。これでは人々の間に不満やストレスがたまり、攻撃的になるのも当たり前だろう。安倍首相は人々を攻撃的にしておいて、戦争に駆り出そうというつもりなのだろうか。

 これに気づき、理性を働かせていかないと、ストレスをため感情的、攻撃的になった人間は簡単に騙され誘導されてしまう。はたしてヒトは理性をとりもどし、戦争のない社会を構築することができるのだろうか?

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コメント

「弱肉強食」という言葉あります。これを自然界の真理のよう見持ち上げるのが、市場経済です。
弱肉強食は異種間のことで、それは単に食物連鎖を表現しているにすぎません。下のブログは比較的アクセスの多い記事です。
http://blog.goo.ne.jp/okai1179/e/c1bb0cf5128c15896b944d18cb81734b

獣医さん、コメントありがとうございました。

「弱肉強食」の記事、読ませていただきました。生物の世界を見渡せば、生物が同種同士で争い殺し合いをするように進化してきたとはとても思えません。それは自滅の道です。たしかに野生動物の場合、弱い個体は子孫を残せないということはありますが、それは同種同士の殺し合いとは意味が異なります。

やはり、富を巡っての欲が争いを生みだし、戦争を生みだしたのでしょう。

戦争原因が富の集積にあり、動物とちがって歯止めがない、というのは賛成です。
ただだから平等にすれば皆さん戦争しなくなるだろ(18世紀ごろの啓蒙思想家などにもあった考え)というのは、共産主義の例をみていてもそうじゃあるまいと思います。
「あれは平等でない」というのはトートロジーというか、もしそうでないと確信されるなら、ご自分が政治家になってそういう国をつくっていただければと思います(なったとたん、モラルハザードや既得権益のひどさにおどろかれるかと)。

うーんさん

平等というのは単に富の偏りをなくすというだけではなく、人が人を支配しない対等な関係の社会だと私は考えていますし、そのような社会は人々の不断の努力なしには構築も存続もできないだろうと思います。しかし、人々の意志と努力で戦争や環境破壊は回避可能だろうというのがこの記事の主旨です。個人の主体性に関わることを言っているのであり、政治家云々、共産主義云々の話しをしている訳ではありません。また、日本共産党がそういう社会を構築できるとも思っていません(もしかしたら勘違いされているかもしれませんが、私は共産党の積極的な支持者ではありません)。

なお、あなたから政治家になるよう指図される謂れはありません。

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