温暖化の脅威
昨年(2015年)の世界の平均気温は過去最高を更新したそうだ。
2015年の世界平均気温 過去最高を大幅更新 (BBC)
世界の年平均気温の編差の経年変化(0891~2015:速報値) (気象庁)
世界の平均気温は2000年ころから10年ほど横ばいだったため、温暖化は嘘だとか寒冷化が始まっていると主張する人もいたが、どう見ても温暖化は止まるどころか加速しているとしか思えない。
昔と比べて暖かくなった、というのは私自身も実感している。
私の生まれ故郷は長野県の上諏訪だが、上諏訪はとても寒いところだった。冬の朝、玄関前に配達された牛乳が凍って紙のふたを押し上げて盛り上がるほど冷えるのが日常だった。とはいっても私が住んでいたのは幼児期なので、寒さの記憶自体はほとんどない。暖房といえば炬燵があったことしか覚えていないが、今になって考えるとよくあの寒いところでストーブも使わず過ごしていたものだと思う。今はたぶんそこまで冷えないのだろう。
母が子どもの頃、諏訪湖は毎年全面結氷してスケートをしたそうだが、近年では全面結氷の頻度が減り、氷の厚さも薄くなっているという。
私が北海道に来た35年ほど前も、今と比べると冬はずいぶん寒かった。当時住んでいた住宅は、ストーブを焚いている昼間でも長時間水道を使わないと凍結してしまうこともあったくらいだ。半日ほど外出しただけで、家の中はたちまち氷点下になる。帰宅してもしばらく防寒着が脱げない。夜はストーブを消すが、寒いときは寝室がマイナス8度くらいまで下がったこともあった。
寝る前はストーブの上で沸騰していた薬缶の湯が、朝には凍っている。水道はもちろん水抜きをするが、冷えた日は蛇口が凍って回らなくなってしまう。目覚めたらまずストーブのスイッチを入れて、部屋が暖まるまでまた布団に潜り込む。部屋が多少暖まってから起き出して着替え、薬缶の湯を蛇口にかけて回るようにしてから止水栓を開く。だから、ストーブには必ず水を入れた薬缶や湯沸かしを乗せておかねばならない。これが冬の日課だった。
数日間家を開けて帰ってきたときには、何もかもが凍ってしまって大変だった。北海道の場合、冷蔵庫は、冬に食べ物を凍らせないという役目もあるのだが(冗談のようだけれどホントの話し)、もちろん冷蔵庫の中のものまで凍っている。花瓶の水が凍って花瓶が割れていたり、調味料まで凍ってビンが割れていたり・・・。
真冬はマイナス20度以下になるのは当たり前で、25度以下になることもしばしばあった。最低気温がマイナス15度くらいだと「今日は暖かいね」という感じだった。狭い家なのに、厳冬期はストーブだけで一日10リットルほどの灯油を燃やした。
今こそ断熱性・機密性のいい住宅なのでこんなことはあり得ないのだけれど、それにしても3、40年の間にずいぶん暖かくなった。最近ではマイナス25度以下になる日は滅多になく、20度以下になってようやく「今日は冷えたね」となる。冬暖かいのは暖房費の節約になるが、もちろん喜んでなどいられない。
地球温暖化の危機が叫ばれるようになってから久しいが、これを止めるのは本当に厳しい状況になってきている。地球上の生物は戦争、放射能や化学物質による環境汚染、そして地球温暖化(含異常気象)と、いくつもの脅威にさらされているのに、この国を見渡してもなぜか危機感が感じられない。
人間は「ゆでガエル」のように、自分の身に危機が降りかからないと気づかないのだろうか? その時はすでに遅しなのだけれど。
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