「高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ?」で見えてきたもの
国会前で安保法制反対を訴えてきた学生組織SEALDsは、デモの盛り上がりとともにこの国に知れ渡った。私はSEALDsの前身であるSASPLの頃から彼らのような学生たちが突如出現し、あれだけの運動を繰り広げた事実に驚きをもって注目していた。
ところが、ツイッターでは安保法制に賛成の立場の人のみならず反対する人たちの中にも、彼らを懐疑的にみたり批判する者が多数出てきた。以前の記事「SEALDs批判に思うこと」にも書いたが、例えば人工芝運動であるとか、官製デモだとか、「反原連」や「しばき隊」あるいは共産党と同一視する意見、国民投票に誘導との指摘、資金源への疑惑、ロゴやホームページのデザインに対する疑惑、キリスト教との関わり、はたまた奥田愛基さんの出身高校の偏差値まで持ち出して中傷や批判する始末だ。しかし、それらの主張には明確な裏付けはない。不確かな推測による読むに耐えない暴言の数々に私は戸惑いとともにネットの恐ろしさ感じざるを得なかった。
そんな時に出版されたのが「高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ?」(河出書房新社)だった。ネットで紹介されていた本書の目次を見て、私は迷わず購入した。
本書は「1 SEALDsってなんだ?」「2 民主主義ってなんだ?」という2章で構成されている。前者はコアメンバーである牛田悦正さん、奥田愛基さん、芝田万奈さんの自己紹介からはじまって、SEALDs結成までの経緯やSEALDsの理念、運営などが語られている。後者は高橋さんがリードする形で民主主義について歴史をたどって理解を深めていくのだが、どちらも高橋源一郎氏とSEALDsのメンバーとの対談形式になっているのでとても読みやすい。
三人の経歴の中でも、奥田さんの生い立ちと進路の選択に私は大きな衝撃を受けた。彼の父親は北九州で貧困支援をしている著名な牧師だ。そして家には父親が連れてくる知らない人がしょっちゅう泊まるという環境。彼はそんな家庭を「マザー・テレサがいる家なんてウザい」と言ってのける。
北九州で不登校になった彼は、自分で中学校を探し、何と八重山諸島の鳩間島にある小中学生合わせて10人程度の学校へと飛び出していく。島の外からきた同い年の子と小学生の子の三人で小屋みたいな所に住んでいたというのだからそれだけで驚きなのだが、南国の自然の中で逞しく成長したのは間違いないだろう。
高校も自分で島根県の全寮制の高校を選んだのだが、三学年で50人、一クラス5人程度という極めて特異な高校だ。そこの教育は受験教育ではなく、校則は生徒が話しあって決め、食事も当番でつくるなど、とにかく生徒の自由や主体性を重んじている。この学校の偏差値を持ち出して中傷をする人が見受けられるが、偏差値だけで判断してしまうことこそ偏見だろう。なお、国立大学に進学している人がいることも書き添えておく。
ここまで読んで、奥田さんがSEALDsを立ちあげたことがストンと胸に落ちた。彼は、小学生の頃から人間愛に溢れた家庭に反発をしたが、その一方で世俗にも馴染めなかった。そんな環境から抜け出すために、自分の意思でまったく新しい環境での生活を選びとった。つまり自由を選んだのだが、それは必然的に選択の責任を自分でとるということでもあったはずだ。
恐らく彼の選択した世界には、一般の学校のような競争も、同調圧力による息苦しさもほとんどなかったのではなかろうか。彼は自分の選んだ進路の中で、主体性や民主主義の理念を育み、自然の中で強い精神力や逞しさを身につけ、また自律した生活で責任感を身につけていったに違いない。それともう一つ、子どもに何の指示もせず、彼の選択を見守った父親の存在も大きかったのだろう。これについては、以下を参照していただきたい。
殺害予告を受けたSEALDs奥田愛基氏の父親が語った!「僕は黙らない」「親の影響だと語るのは愛基に失礼だ」 (LITERA)
私は、奥田さんが高橋源一郎さんのゼミ生だと知ったとき、もしかしたら高橋さんが奥田さんたち学生に運動をけしかけたのではないかと思ったのだが、本書を読んでそんな邪推は吹っ飛んだ。SEALDsは奥田さんや牛田さんたちが自分たちの理念と意思と行動力で立ちあげたのだ。奥田さんの行動力や思想、信念は自ら培ってきたものであるからこそ強く揺るぎない。そしてSEALDsが政治に無関心と言われる若者達をひきつけたのは、デモに牛田さんの得意とするラップを取り入れたことも大いに関係している。
SASPLやSEALDsの理念は民主主義と立憲主義だ。だから、これらを壊す秘密保護法や安保法制は何としてでも阻止しなければならない。つまり、基盤に民主主義や立憲主義があっての秘密保護法反対であり安保法制反対である。そして非常に重要なのは、何よりも個人の発言を重視するということだ。民主主義の理念の重要な部分である。これは以下に引用するSEALDsのツイッターの固定ツイートにそのまま示されている。
https://twitter.com/SEALDs_jpn/status/529000757547130880
作られた言葉ではなく、刷り込まれた意味でもなく、他人の声ではない私の意思を、私の言葉で、私の声で主張することにこそ、意味があると思っています。私は私の自由と権利を守るために、意思表示することを恥じません。そして、そのことこそが私の〈不断の努力〉であることを信じます
こうした基本理念ゆえにSEALDsという組織そのものが極めて民主的であり、代表も司令官も置いていない。あえていうなら、メンバーそれぞれが司令官である。メンバー獲得のためのオルグもしない。安保法制反対ということだけを目的としたゆるい連帯組織であり、メンバー個人の考えは非常に多様だ。そして、メンバー個人が自由と権利を守るために発言することを重んじる。個人の発言には責任が伴うのでメンバーはその責任を背負うことになる。
この多様さゆえに、「改憲派もいる」「国民投票への誘導」「人工芝団体だ」などという憶測も飛び交っているが、いずれもSEALDsの理念やシステムを理解しないことからくる浅薄な発想としか思えない。
ネットではSEALDsを共産党や民青と同一視したり、下部組織などと言っている者もいるが、上意下達のはっきりした共産党とSEALDsは、組織運営に関しては正反対である。
また、彼らの対談を読むと民主主義や立憲主義について実によく勉強していることが分かる。
第1章を読み、私はネットで流されている中傷や陰謀説のほとんどが誤解や妄想によるデマであると確信した。安倍政権を支持する人たちのみならず、SEALDsを理解しようとしない人たちのネットによる非難や中傷は凄まじい。そんな攻撃にもひるまずに名前も顔も所属大学も明らかにして活動を続ける彼らの強さは、彼ら自身の内から湧き出る信念によるものだ。他人にコントロールされてやっているものでは決してない。
SEALDsを否定するということは民主主義の否定である。そして、それは独裁的な安倍政権を支持することでもある。しかし、そのような人たちが少なからずいることに背筋が寒くなる思いだ。こんな状態ではこの国は破滅に向かうしかないだろう。
さて、第2章こそこの本のタイトルにある「民主主義ってなんだ?」という問いに迫っている。
まず高橋さんの2500年前のギリシャの民主主義についての説明から始まるのだが、これは大変興味深い。古代ギリシャの民主主義は有権者全員(とは言っても成人男性のみなのだが)が丘の上で開かれる民会という会議に参加し、自分たちの属する社会をどうするのかを決めていくという直接民主主義制だ。だから戦争をするという決定がなされたら、みんなが兵士になって闘うことになる。では、行政は誰が行うのかといえば、くじ引きである。癒着を防ぐために任期は1年。すなわちみんなが戦争に行くリスクを負い、役人になるリスクも負う。だからきわめて平等だし、一人ひとりが責任を負う社会だ。こう考えるとものすごく理想的だ。
こういう直接民主主義のようなやり方をSEALDsは採用している。高橋さんは「SEALDsの諸君が組織をつくって今やっているのは、ベ平連がやっていたことのある種の発展系だと思う」と言っているのだけど、その通りだろう。
私はベ平連のことは詳しくは知らなかったのだが、ベ平連は「ベトナム戦争に反対する」ということのみで連帯し、それ以外は一切問わない組織だった。だからスパイも入り込んでいたらしい。ベ平連は組織そのものがきわめて民主的なのだが、SEALDsの組織形態もほぼそれと同じといっていいだろう。だから、共産党の人がいようと、民青の人がいようと、国民投票を支持する人がいようと排除はしない。メンバーは「安保法制反対」という目的のみでゆるやかに繋がっており、それさえ外れなければ誰もが自由に意見を言える組織だ。
ところで、今は民主主義といえば議会制民主主義を指すといっても過言ではない。しかし、こういうやり方を古代アテナイは明確に否定しているという。つまり、選挙で選ばれた一部の者に政治を任せることで民主主義は死んでしまうという考えだ。
直接民主主義では共同体の成員全員が当事者であるし、構成員には責任が発生する。ところが議会制(代議制)民主主義は選ばれた議員に任されるので、それ以外の人は政治の当事者ではなくなってしまう。だから政治に対して無関心になり責任感も薄れがちだ。安倍総理はこれを実にうまく利用していて「民主的に選ばれた総理だ」という理屈で強行採決も平気でやってしまう。安倍総理のようなやり方をしたなら、議会制民主主義のもとで独裁政治が可能になってしまう。
SEALDsのメンバーたちはこういうことに疑問を投げかけているのだ。SASPLやSEALDsの活動とは、今の議会制民主主義の矛盾への抗議であり、より民意を反映する成熟した民主主義を目指しているということに他ならない。
SEALDsに疑問を持つ人ほど、本書を手に取ってほしいと願ってやまない。
【10月9日追記】
奥田さんの不登校に関わる記述に間違いがあったので一部修正した。
なお、東京新聞の記事で、お父様は愛基さんについて以下のように語っていたとのお知らせをいただいた。
「長男は、小学生のころからまじめ。中学校入学後、いじめで不登校になりました。精神的に追い詰められ、二年生の夏ごろには目を離せなくなった。隣で寝ることにしましたが、私の方が体調を崩して入院するということもありました。その年の秋の終わりごろ、長男は家を出ることを決めました。沖縄県の孤島の学校に転校したいと言い出したのです。息子の面倒を見てくれる「島のお父さん」に、私は手をついて「助けてください」とお願いしました。」
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