ここ数日、ツイッターのタイムラインには国会前で行われている安保法制への抗議行動に関する情報が次々に流れてくる。ただ、その中にときどきSEALDsや国会前での抗議行動を批判する意見が見受けられる。もちろんいろいろな意見はあるだろう。しかし、どうしても違和感を持たざるを得ない批判があるのも事実だ。
たとえば、体制側による仕組まれた集会であるとか、国民投票に持っていくための運動であり参加している人は騙されているとか、被ばくするから行くべきではないとか・・・。もちろん、個人がそう考えるのは自由だが、私は物事はそう単純ではないと思っている。
タイムラインにはSEALDsが「人工芝運動」であるというツイートも流れてきた。ウィキペディアによると、人工芝運動とは「団体・組織が背後に隠れ、自発的な草の根運動に見せかけて行う意見主張・説得・アドボカシーの手法である」とある。つまり、SEALDsは特定の主張を広めるために、一般市民による自発的組織に見せかけているという主張だ。
たしかに、似非市民団体というものは存在する。たとえば環境保護団体の看板を掲げてはいるが、その実態は環境に対する配慮を条件に、環境破壊ないしは環境汚染をするような事業にお墨付きを与えるようなことをしている団体もある。これなどはまさに人工芝運動といっても過言ではないだろう。
実は、私が関わっている十勝自然保護協会は、権力と結びついた人たちによって乗っ取られかけた過去がある。士幌高原道路(道々士幌然別湖線)の建設をめぐり、会の役員が容認派(柔軟派)と反対派に真っ二つに分かれて紛糾し、闘争ともいえる状況になったのである。
士幌町から然別湖に抜ける士幌高原道路は、自然環境に大きな影響が懸念されるということで計画が凍結されていた。それが工事再開へと舵をきったのは1983年に横路孝弘氏が北海道知事になってからである。そして、横路知事は、士幌高原道路について「地元自然保護団体のコンセンサスを得ながら取り組む」と発言し、地元自然保護団体、すなわち十勝自然保護協会の意向が大きく注目されることになった。
知事がこのような発言をしたのは裏があった。十勝自然保護協会の役員には横路知事を支持する地区労関係者が複数存在していた。そして彼らは労組関係者を密かに入会させていた。また当時の会長が、地元の士幌町民に対し「道路をつける」と言っていたという情報がもたらされたのだ。つまりは横路知事の支援者である労組が、水面下で地元自然保護団体を乗っ取ることで道路建設を認める方向で密かに動いていたのだ。
しかし、当時の役員の約半数はこのような政治的関わりのない純粋な市民であり、道路建設による自然破壊を危惧していた。当然、労組関係者と会長の不穏な動きが役員会で追及されることになり、答えに窮した会長と労組関係の役員たちが役員会を退席して職務を放棄してしまった。こうして、水面下で道路容認に動いた役員たちは会から出ていったのである。彼らはその後もしばらくは十勝自然保護協会を名乗っていたが、やがて消滅した。
知事を支援する労組が市民団体に介入して企てた乗っ取りは、こうして失敗に終わった。もし、この乗っ取りが成功していたなら、十勝自然保護協会は、人工芝運動と揶揄されることになったのかもしれない。また、そうなっていたら、知事と利害関係がないメンバーたちはさっさと退会し、新たな組織を立ちあげて闘っていただろう。
なお、町と農協が一体となってこの道路を推進していた士幌町では、「士幌町開発と自然保護の会」という不可解な団体が結成された。名称に自然保護を掲げてはいるが、それが似非であることは言うまでもない。こちらは、純粋な人工芝運動体であった。
この士幌高原道路をめぐる十勝自然保護協会内部の動きは、外部の人にはおそらくほとんど分からなかったと思う。単純に、会の内部での意見の違いとか、仲間割れと見られていたかもしれない。
さて、ではSEALDsはどうなのだろう? 彼らの抗議行動の目的は安保法制を成立させないという一点だ。だからメンバー個人は支持政党などもさまざまなようだ。もちろん無党派やこれまで政治に関心がなかった人たちも多数いるだろう。そして、彼らはスピーチにおいて個人の責任で自分の意見を主張している。だから、個々のスピーチは「安保法制反対」ということを除いて、ひとつの方向に集約されるわけではない。
今の時代、たとえマスコミが報じなくても、国会前の抗議行動はツイッターなどで知れ渡ってしまう。彼らが否が応でも目に着く存在になっている以上、いろいろな意味で彼らを潰そうとしたり利用しようと虎視眈々と狙っている人たちがいるに違いない。反対運動をしていれば、必ずそれを潰そうとしたり利用しようとする人が現れる。それはマスコミであったり、特定の団体や政党かもしれない。自然保護団体も同じで、開発行為をしている事業者やその関係者が、自然保護団体のメンバー個人を手懐け引き込もうとすることもある。
だから、もしかしたらSEALDsにおいても一部のメンバーは利用されたり影響を受けたりするかもしれない。そういうことがあったとしても、それはSEALDsという団体の責任というよりメンバー個人の問題だろうし、そのような人はいずれ組織から離れることになるのではなかろうか。いずれにしても、個人個人が不純な目的で近づいてくる人たちに対し、毅然とした態度をとれるかどうかの問題だと思う。
組織の内部のことは、外部の人にはなかなか分からないものである。そしてSEALDsがはじめから仕組まれた運動体だという説は、あくまでも外側から彼らを見ている者によるひとつの見方でしかないし、まして真実であるかどうかなど分からない。少なくとも、私には特定の団体や個人の影響を受けているメンバーがいるとしても、SEALDsそのものが体制側によって仕組まれた団体だとは思えない。
今大事なのは、SEALDsという組織云々のことではない。もしSEALDsが真の草の根の学生組織でなければ、いつかは駆逐されるか自然消滅するだろう。SEALDsがどうこうということより、憲法違反の戦争法案を国民の意見も聞こうとせずに強引に成立させようとしている安倍政権が大問題なのだ。真実かどうかも定かではないことでSEALDsを目の敵にして何になるというのだろう。
頑張っているのはSEALDsだけではないし、彼らばかりをちやほやして持ちあげすぎるのはどうかと思う。しかし、自分の心の内を公の場で発言することをはばかられる環境で育った若者たちが、名前も顔も晒して堂々と意志表示しているのである。そして、ネットでは酷い中傷を受けている。私はSEALDsを特別視するつもりはないが、彼らの決意と行動力は支持するし、彼らこそ今の日本の局面に向き合って「嫌われる勇気」を持つことを自分で選びとったのだと思う。
今の日本人の多くに欠けているのは「嫌われる勇気」を持って、自分の主義主張を述べることだ。自己保身に必死になり「嫌われる勇気」を持てない人たちは、権力者に簡単に操られてしまう。権力者にとっては実に都合のいい存在だ。国会前で、あるいは全国各地で自民党政権の暴挙に抗議する人々は、ようやくその危険性に気づき始めたのではなかろうか。
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