原始が原 五反沼探訪記
7月17日、一度は行ってみたいと思いつつもそのままになっていた原始が原に行ってきた。
原始が原は富良野岳の登山コースの途中にある広大な湿原だ。富良野岳に登る登山道はニングルの森の登山口から原始が原を経由するコースと十勝岳温泉から登るコースがあるのだが、前者は後者より長いため登山者はそれほど多くはないようだ。ニングルの森登山口から原始が原へは林間コースと滝コースがあるのだが、現在は滝コースは閉鎖されていて通れない。
17日は朝から快晴で、さわやかな登山日和だ。いつものことだが、野鳥を見たりクモの姿を探したりしながらのんびりと登った。途中、「天使の泉」と名付けられた水場がある。登山道の脇に伏流水が顔を覗かせているのだ。冷たい水がお腹までしみとおる。
沢を渡って急な斜面を登り切ると視界がいっきに開け、台地になった原始が原の湿原に出る。原始が原は高層湿原だが、池塘はとても少なく、大小さまざまな鏡のような池塘が点在する「沼の平」や「沼の原」とは雰囲気がだいぶ違う。一見、草原にアカエゾマツの矮性木が点在するシンプルな光景だが、やはり湿原だけあって足元から水がしみ出てくる。
湿原の入口で富良野岳に登るコースと原始が原の一番奥にある五反沼に行くコースに分かれる。ここで登山靴から長靴にはきかえ、湿原の奥を目指した。原始が原は大雪山国立公園の中でもかなり広い湿原で、東端にある五反沼までは2.8kmほどある。せっかくなので五反沼を目指すことにした。ただし、湿原がずっと広がっているわけではなく、森林帯が何本か横切っている。
湿原にはワタスゲやモウセンゴケが見られるが、色とりどりの花が咲き乱れるような湿原ではない。しかし、前富良野岳、富良野岳、上富良野岳などの山々と明るい緑の湿原の織りなす光景は、格別な趣がある。松浦武四郎もここを通って十勝に抜けたという。
五反沼コースはかつては整備されていて道もはっきりとついていたらしい。今も「五反沼コース」の看板はあるものの、道はかすかに踏み跡がある程度だ。ところどころに目印となるピンクのテープが付けられているので、それを頼りに沼を目指すことにした。しかし、歩き始めて程なくして樹林帯にさしかかると、背丈を越すチシマザサの藪が道を塞いている。目印のピンクテープもササに隠れて見えない始末だ。途中で踏み跡もほとんど分からなくなり、藪こぎで進むしかなくなった。この初めの樹林帯の藪こぎが一番長いことが後から分かった。
藪をこいでまた湿原に出ると、ふたたびピンクテープが見つかった。しかし湿原を少し歩くと再び樹林帯の藪こぎに突入する。二つ目の藪こぎから脱出して湿原を横切ると、また藪こぎが待ち受けている。樹林帯の中はササ刈りが行われておらず、どこも廃道同然になっている。ときどきGPSの地図でコースを確認しないと方向を誤りかねない。さすがに三つめの藪こぎあたりで嫌になってきた。地図に目を落とすとまだまだ先が長いのだ。
しかし、せっかくここまで来たのだからと気を取り直し、もう少し先まで進んでみることにした。幸いなことに、そのあとの樹林帯は幅が狭く、それほど難儀せずに通過できた。湿原から流れ出る布部川を渡りさらに湿原を行くのだが、ここまでくるともうピンクテープも見当たらない。南側のトウヤウスベ山からナキウサギの声が聞こえる。足元にはトキソウやミヤマリンドウの花も控えめに咲いている。
こんな廃道状態では沼まで行く人はもういないのかと思いきや、良く見ると泥地にまだ新しい踏み跡がある。つい最近、あの藪をこいで来ている人がいることに驚くやら安心するやら・・・。
最後の樹林帯を抜け、広い湿原をつっきると五反沼は目と鼻の先だ。「ああ、やっとたどり着いた」と安堵感がひろがったところで、なんと目の前に三途の川のごとく水路が立ちはだかった。その向こうに五反沼の看板が見える。何ということか!
三途の川は飛び越えられるほど狭くはない。底に杖をつきたててみると、水深はけっこう深くしかも底は軟らかい。ここで帰るしかないのかと諦めかけたが、五反沼のほとりに看板がある以上、行けるはずだ。水路左手に沿って渡れそうなところを探し、川底が硬く水深もそれほど深くないところを見つけた。
原始が原は池塘の少ない湿原だが、五反沼のあたりは池塘が広がっている。かつては湿原全体に池塘が点在していたのかもしれない。ところどころに「やちまなこ」のような窪みがあるので要注意だ。
ようやくたどり着いた湿原最奥の五反沼は、それはそれは静かにひっそりと佇んでいた。踏み跡すらなく我々(といっても二人)のほか誰もいない湿原はまさに秘境そのものだ。人工的なものといえば、「五反沼」と書かれた看板しかない。再びここを訪れることはたぶんもうないだろう。原始の光景を脳裏に焼き付けて沼を後にした。
*この記事を読んで五反沼に行きたいと思う人がいるかもしれないが、樹林帯で方向を見失う可能性がある。藪こぎの覚悟と長靴、地図表示のできるGPSなどの十分な装備が必要だ。安易な気持ちでの探訪は危険であることを記しておく。
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