上高地散策
先日、母の一周忌の法要で信州に行ってきた。そして法要の後、上高地と乗鞍高原にも足を伸ばした。
山が大好きだった私の両親にとって、上高地は何度も足を運んだ懐かしい場所だろう。とりわけ少年時代から山をほっつき歩き、上高地を舞台にした戯曲まで書いている父にとって、上高地や穂高への思い入れは人一倍に強かったに違いない。もちろん穂高などへの登山が目的であり、上高地そのものは登山のための通過点でしかない。
私はと言えば、上高地には過去に4回か5回行っている。学生時代に奥日光でアルバイトをした仲間と燕岳・大天井岳(おてんしょうだけ)・常念岳と縦走し上高地に下ったとき、一人でのんびりと晩秋の上高地の散策に出かけたとき、紅葉の季節に単独行で涸沢から奥穂高岳に登り、前穂高岳を経て岳沢に下ったとき、そして父亡きあとに母と一緒に歩いたとき・・・。
上高地から眺める穂高の山稜は険しくも清々しく、この光景を見るだけで心を洗われる。とりわけカールに囲まれた涸沢からの穂高連峰の眺めは言葉では言い表せない。できることならもう一度あの光景を目にしてみたいと思う。
今回も、計画段階では涸沢まで行こうかと考えた。しかしいろいろ調べてみると、涸沢周辺は6月にはまだ雪があるらしい。となると軽アイゼンを持っていったほうがよさそうだ。2年ほど前、狩場山の登山道のほんの小さな残雪で転んで打撲したことを思い出した(この時は稜線に出たら雪渓があることは知っていたので軽アイゼンを持参したが、稜線に出たあたりで雨になり下山した)。
それに、涸沢まで行くとなると早朝に松本を発ち涸沢で1泊しなければならない。防寒具も必要だろうし梅雨の時期だから天気も心配だ。そんなわけで、残念だが涸沢は諦めて上高地散策に留めることにした。
大正池から田代池を経て梓川の左岸を辿り、河童橋を渡って右岸を辿って明神池に行き、明神橋を渡って右岸の歩道を辿ってバスターミナルまで、およそ10キロほど歩いた。
大正池からの焼岳の眺め。おなじみの光景。焼岳は1962年の水蒸気爆発以降、噴火をしていない。再び噴火すれば、この光景もすっかり変わってしまうのかもしれない。
湖岸で休む人慣れしたオシドリ。近づいても逃げない。
河童橋から梓川上流を望む。奥穂高岳、前穂高岳の山頂は雲に隠れてとうとう姿を見せなかった。この写真では分からないが、川岸にニホンザルがいた。
明神橋下流左岸のケショウヤナギ。梓川にはあちこちにケショウヤナギが見られる。
明神館の前のカンボク。ちょうど花が美しい季節だ。
河童橋とケショウヤナギ(上流から下流を望む)。
上高地はすっかり観光地と化しスカート姿の人まで歩いている。しかし、今や涸沢とてシーズンになるとテントと登山者に埋め尽くされるらしい。私が穂高に登った40年ほど前も登山者は多かったが、今ほどではなかった。父が愛した静かな上高地も涸沢も今はない。しかし、上高地から仰ぎ見る穂高の山々の気高さは昔とちっとも変わっていないに違いない。
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