« 更別村の十勝坊主とその保全 | トップページ | 地裁差し戻し審が始まった「えりもの森裁判」 »

2015/05/11

シャーロットの名付け問題に見る日本人の幼児性

 先日、大分市の高崎山自然動物園が、誕生して間もない英国の王女の名前にちなんで赤ちゃんザルにシャーロットと名付けたところ批判が殺到した、というニュースがあった。英国の王室に失礼などというのがその批判の理由らしい。私は、そういう考えなどまったく思い浮かばなかったので批判が殺到するということに驚いたのだが、これは日本人のお節介に起因するのだろう。

 サルにどんな名前をつけるかは動物園が決めることであり、他者がとやかく言うことではない。ところが第三者が勝手な想像にもとづいて反対し、それがニュースにまでなってしまうとは・・・。抗議をした人たちはアドラー心理学でいうところの「課題の分離」ができていないということだ。「課題の分離」に関しては以下を参照していただきたい。

第2回 他者の期待を満たすために生きてはいけない 

 さらに驚いたのは、高崎市が英国大使館に意見を聞くという対応をとったことだ。英王室広報担当者は「(公式的には)あくまでもノーコメントだが、名前の付け方は所有者の自由だ」と述べたそうだ。しごく当然の答えだろう。というか、こんな当たり前のことを認識せずにいちいち問い合わせる日本人に驚いたのではなかろうか。

 私などは、そもそもサルに王女と同じ名前をつけることがどうして失礼なのかというところで疑問に思う。

 たとえばバラにはプリンセス・ミチコとかプリンセス・アイコなど皇族の名前がつけられた品種がいろいろある。これに文句を言う人はまずいないだろう。人間の目から見て美しいバラなら皇族の名をつけるのはいいが、サルに同じ名前をつけるのはダメというのなら、生物に対する偏見ではなかろうか。

 それにシャーロットという名前の女性は大勢いるのであり、英王室が王女にシャーロットという名前を付けたからといって「特別な名前」というわけでも何でもない。私はテレビを見ていないが、NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」のエリー役を演じた女優もシャーロット・ケイト・フォックスさんだ。

 私はシャーロットという名前を聞いて「シャーロットのおくりもの」という児童文学作品が頭に浮かんだ。ここに出てくるシャーロットは円網を張る灰色のクモ、つまりはオニグモの仲間だ。軒下などに大きな円網を張るオニグモに好感を持っている人は少ないだろう。クモが大嫌いな人はたくさんいるが、英王女は児童文学に出てくるオニグモと同じ名前でもある。

 今回のサルの名前問題に限らず、とかく日本人は課題の分離ができずに「あなたのため」などという理由をふりかざして余計な口出しをする人が多い。嫁と姑のいさかいなどは大半が余計なお節介から生じているのではないかと思うが、余計な口出しや強要が相手から敬遠される原因になっても「相手のため」になることはない。

 家事や育児など、人によってやり方や考え方は千差万別だ。それにも関わらず、他者に自分のやり方を押しつけたなら、人間関係がうまくいくはずがない。良好な人間関係を保ちたいなら、やり方や考え方が違うことで口出しをしてはならない。どうしても気になるなら、相手を尊重したうえでアドバイスをする程度に留めるべきだ。相手を自分の思い通りにさせようとするから関係がこじれてしまう。

 自分とは考えが違うというだけで、あるいは自分の言う通りにしないからといって怒ったり陰口を言う人は、課題の分離ができずに相手を支配したがる人なので要注意だ。つまりこのような人は精神的に自立できておらず幼稚なのだ。こういう人とは関わらないのがベストだが、関わってしまったら毅然とした態度をとるしかない。

 日頃から「課題の分離」を意識し、自分の意見は言うべきときにきちんと言うが、他者に押しつけはしないという習慣をつけないと、日本人はいつまでも幼児性から抜け出せないように思う。

« 更別村の十勝坊主とその保全 | トップページ | 地裁差し戻し審が始まった「えりもの森裁判」 »

雑記帳」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
2015年5月21日 (木)「シャーロットのおくりもの」が伝えるもの
で、「おお!」と思い、そこから飛んできました。
「それはそれこれはこれ」の分離化(区別化)ができない、というのはとてもわかります。そして今の日本人には、それに加えて「人を操作したい」という欲求が非常に高いように見えます。
自己の他者との比較においての自己確立、とでもいのでしょうか?自分が無いから人を基準に、人を自分の下にすれば自分が上になった気になる。

以前私は他国(中興国)に居たのですが、日本に帰ってきてから数年で私の子供がひとめばかり気にするようになってしまって、そのときに初めてこの子の中にものさしが出来て居ないことに気づきました。読書を薦めていますが、日本を出なければこのままなのかもしれない気も、、、

なんか愚痴になってしまいましたが、良いエントリを沢山ありがとうございます。とても楽しんで読ませてもらっています。
合理的、論理的、客観的、そして、それらがしっかりした基準を元に行われている、ということがわかる文は、読んでいてとても気持ちが良い物です。
ありがとうございます。

unimaroさん

こんにちは。コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、日本では他人を操作しようとされる方がとても多いと思います。特に、夫が妻を支配したり操作したがる方が多いのではないでしょうか。あるいは上司が部下を支配しようとしたりします。他者を尊重できないわけですが、これはモラルハラスメントに繋がります。

そして、簡単に支配されてしまう人もいますね。承認欲求が強く、他者に良く見られたいと思っている人などは、特に支配されやすいでしょう。

どちらのタイプも幸福感や充足感が得られない人生だと思います。一人ひとりが「課題の分離」をはっきりさせて主体性を持つことで、今の日本の抱えている問題の多くが解決できるのではないかと私は思っています。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シャーロットの名付け問題に見る日本人の幼児性:

« 更別村の十勝坊主とその保全 | トップページ | 地裁差し戻し審が始まった「えりもの森裁判」 »

フォト

twitter

2025年4月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ