人証に持ち込まれたフェロニッケルスラグ裁判
昨日4月24日は、(株)日向製錬所と(有)サンアイが黒木睦子さんを訴えた裁判の第4回口頭弁論が開かれた。この口頭弁論の様子は大谷憲史氏とイワシ氏のお二人が報告されている。
第4回口頭弁論レポート (市民メディアみやざきCMMブロマガ)
第4回口頭弁論レポート追記「地権者のことが書かれていない!」 (市民メディアみやざきCMMブロマガ)
4月24日(ワ)86号・89号第4回心理(宮崎地方裁判所延岡支部) (鰯の独白)
これらの報告から、今回出された被告の書面に原告として反論があれば次回6月12日までに提出し、次々回7月15日には人証を行うという裁判所の方針が明らかになった。
民事訴訟では原告、被告それぞれの書面と証拠による主張のあと必要に応じて人証、結審、判決となる。つまり、今回の黒木さんの書面で被告の主張と証拠はほぼ出されたと判断したのだろう。そして、あとは証言、とりわけ黒木さんの本人尋問を重視して判断したいという考えのように思われる。
イワシさんの報告によると、この人証について原告側の弁護士はやや戸惑ったようだ。日向製錬所の新井弁護士は「えーと、何と答えればよいか」、「あとで検討します」という返事をし、サンアイの富永弁護士は「妨害関係で陳述を出します」と答えたそうだ。どうやら証人について準備をしていなかったようだ。裁判長が尋問の判断をするとは思っていなかったのかもしれない。
そして、黒木さんは地権者を証人として申請したいと回答した。
黒木さんのブログによると、3人の地権者のうち2人は、サンアイがダストを埋めさせてくれと言ったので埋めさせてやったのでありお金は払っていないと言っており、1人はグリーンサンドを買ってサンアイに施工を頼んだと言っている(それぞれの地権者の言い分)。本来なら地権者が工事費用を支払うのは当然のことだが、支払っていないのなら逆有償取引の疑惑がもたれる。地権者の証言は埋めたフェロニッケルスラグが産廃であるか否かを判断するための重要なポイントになるだろう。
ただし、民事訴訟では証人を求められても断ることはできる。証人は証言の前に嘘を言わないと宣誓しなければならないし、嘘の証言をしたら偽証罪に問われかねない。だから地権者が証人として出廷するかどうかは分からない。
地権者が事実をきちんと証言したいと思うのであれば証人を了解するだろうし、そういう勇気がなければ断る可能性が高いのではなかろうか。ここは地権者の良心が大きく関わってくるだろう。 さて、市民メディアみやざきの大谷憲史氏は、相変わらずこの裁判は名誉毀損、営業妨害であり環境問題、産廃問題ではないと第4回口頭弁論レポート追記で主張している。
この裁判が名誉毀損・営業妨害として提訴されたことは間違いない。しかし、日向製錬所が名誉毀損だと指摘しているのは、グリーンサンド(埋めたフェロニッケルスラグが有害、ゴミ(=産廃)という記述であり、有害であり産廃であることが事実ならまさしく環境問題、産廃問題だ。つまり実質的には有害か否か、産廃か否かが問われているのだ。
また、営業妨害についても、黒木さんは有害で産廃だと考えているからこそ工事を行ったサンアイに対して利害関係者として抗議をしたのであり、環境問題、産廃問題が抗議行動の根底にある。
そうしたことを無視して、環境問題でも産廃問題でもないと断定することに、恣意的なものを感じざるを得ない。
大規模な工事を行う以上、利害関係者に十分な説明をして合意を得ることは企業としての社会的責任である。日向市長からの「土地開発行為届出書の受理について(通知)」という書面においても「地元(西川内地区)への説明会の機会を設けるなど、開発に対する地元の理解を得るよう努めること。また、申請者と周辺土地所有者の施工中・施工後のトラブルについては、当事者間で解決すること」とされている。営業妨害に関しては、サンアイが黒木さんの合意を取りつけずに工事を強行したことも考慮したうえで判断すべきだろう。
民事裁判のクライマックスは人証だ。裁判長は黒木さんの本人尋問を実施することで書面だけでははっきりとは分からない真実を探ろうとしているように思える。
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