東日本大震災、原発事故から4年に思う
今日で東日本大震災から4年になる。地震と大津波、そして原発事故で多くの方が亡くなられた。亡くなられた方たちのご冥福をお祈りしたい。
4年の歳月がたった今も不便な避難生活をつづけている方、あるいは原発事故による被ばくで苦しんでいる方たちが大勢いる。地震と津波による被災も、原発事故による被災も現在進行形だ。
海水が山のようにせり上がって押し寄せ、砂防林も家屋も田畑もまたたくまに飲み込んでいった大津波の映像は今も生々しく脳裏に焼き付いている。その巨大な力には人間のつくった防波堤など玩具に等しく、人々はただただ逃げるしかなす術がなかった。今までの人生で、自然の脅威をこれほどまで感じたことはなかった。私たち日本人は、常に地震や津波と隣り合わせで生きているのだ。いつ誰がこうした災害に巻き込まれてもおかしくない。
東日本大震災の被災地は比較的人口密度の低い東北地方だったが、大都市が大地震や大津波に襲われたなら、被害はとてつもなく甚大なものになるだろう。考えただけでも恐ろしいが、そういう時がいつか必ず来ると心していなければならない。
日本は過去にもあんな大津波に何度も襲われてきたのだが、世代を重ねるたびにそんな記憶はどんどん風化してしまう。そしてほとんど忘れ去ったころにまた災難に襲われるのだ。それがあの東日本大震災だった。
しかし、それに追い打ちをかけるように恐るべき原発事故のニュースが飛び込んできた。悪夢に悪夢が重なり、その惨事に数日間は呆然とした日々を過ごした。
自然災害は天災であり、どんなに大きな被害が生じても、そう遠からぬ将来必ず復興が遂げられる。関東大震災の焼け野原も、阪神淡路大震災も復興したように。しかし、東日本大震災の教訓として決して忘れてはならないのが、今も放射性物質ダダ漏れの原発事故だ。あの恐るべきチェルノブイリの原発事故では石棺によって放射性物質の大量放出を止めることができた。しかし、福島の原発事故は今なお収束の目途すらついておらず、放射性物質が拡散されつづけているのだ。
あの事故以来、多くの子ども達が甲状腺がんを発症して苦しんでいる。もちろん因果関係が証明できないだけで、被ばくがもとで亡くなった人は相当数になるのだろう。そして、今後、健康被害がさらに広がっていくことは想像に難くない。原発事故は紛れもない人災だし、加害者や責任者がいる。それにも関わらず4年たった今でも誰も責任をとっていない。何という国なのだろう。
農作物が汚染され、海産物も汚染されたが、そんな汚染された食べ物が日本中に流通している。除染によって出た汚染廃棄物も山積みのまま放置され、物によってはリサイクル処理されて全国に拡散されようとしている。放射性物質に限らず、環境を汚染させる物質は封じ込めるのが鉄則であるにも関わらず、まったく逆のことが平然と行われているのだ。
あのおそるべき災害から4年、マスコミは大地震・大津波の被害やそれからの復興ばかり報じている。もちろん復興や防災を報じることに異論はない。しかし、人災である原発事故も同じくらい目を向けるべきではないか。御用マスコミの報道は恣意的に人災である原発事故から目を逸らすように誘導しているかのようだ。
日本は必ず大地震・大津波に襲われる。この事実と福島の惨事に目を向ければ、日本では決して原発を建設してはならなかったことは自明である。それなのに、この国の首相は原発再稼働にまっしぐらだ。そして、そんな政権を支持する人が一定程度いる。目の前にぶら下がった利権、自己保身がそうさせているのだろう。
しかし、思い返してもらいたい。たった4年前、多くの日本人は原発などこりごりだと思ったのではなかったのか? 溜まる一方で処理もできない核廃棄物のことだって知れ渡ったはずだ。あんな大事故を起こし、国民総被ばくという状況に置かれていても、なお経済成長やエネルギーの大量消費を望むことが私には理解しがたい。福島の事故をきっかけにドイツでは脱原発を決めたが、当事国の日本はそんな決断すらできないでいる。この国の劣化は著しい。
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