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2014/12/11

誰のための部活なのか?

 「異常としか思えない日本の中学、高校の部活動」という記事(ココログ版)にYYさんからコメントが寄せられた。以下がそのコメント。

初コメント失礼いたします。

私自身とても熱の入った文化部に入っていました。中学2年の頃に顧問が変わり、ただ楽しくやっていた部活の方針は180度変わりました。新しい顧問は全国大会にも何度か出場経験のある、県内でも顔の知れた先生でした。
はじめは部員と顧問お互いに慣れるため、それまでと変わらなかったのですが、だんだんと練習量が増えていきました。やはりその過程では何度も部員と顧問、親と顧問がぶつかることがあり、退部する子もいました。その中でも、顧問の先生は本物の愛情を持ったかたで情熱があるからこそ凄く厳しいこともあったのですが、確かに心から慕い付いていく部員もいました。私もその一人でした。3年になってからは(顧問2年目)練習は基本日曜休みでしたが部員の方から「練習を入れてほしい」「他校の練習見学をしたい」「講習会に行こう」というようになっていました。休みは月に一度もないほどで朝練昼練もありました。もちろん実績もできました。結局引退までやりきった3年生は入部したときの半分以下でした。ただ、最後までやりきった仲間は心から信頼でき今でも繋がっています。
とても厳しかった顧問の先生には、当時の私は死にたいほど追い詰められたこともありましたが、だからこそ見えたこともありましたし、今私自身が生きているのは顧問の先生と出会ったからだと言えるほどです。

長々と私の話をしてしまい申し訳ありません。私が言いたいのは、鬼のように厳しくても良い教師はいるということです。もちろんおっしゃるように最低な教師がいるのも事実です。
ですが部活は同じ志を持つものが集まり上へ上へと目指す場であると思います。厳しいようですが、ついていけない、自分には無理、嫌だ!と感じれば退部の道があります。何かしらの部活に入らなければならない学校は大抵てい甘い部活があります。
体罰はあってはならないことですが、それが原因で自殺したりしてしまうのは家庭環境や相談できる大人が周りにいないことが問題です。

今の学校教育を激しく批判するかたもいますが、基本的に部活顧問はボランティアです。やらされることもあります。それでも情熱を持って22:00、23:00までサービス残業し、朝練のため7:00には学校に出勤し、とやっています。そういった教師と最低な教師をひとまとめにしてめったうちに批判するのはおかしいです。本物の現状をもっと知ろうとしてください。

 YYさんは「顧問の先生は本物の愛情を持ったかたで情熱があるからこそ凄く厳しいこともあった」と、顧問の厳しい長時間の指導を本物の愛情があり情熱があったと高く評価している。私は正直いって、この発言にとても違和感を覚えた。

 文化部で全国大会もあるということから、吹奏楽とか合唱などの音楽系の部活ではないかと思われる。長時間の厳しい練習はたしかにレベルの向上につながり成績は上がるだろう。厳しい特訓に耐えた仲間に連帯意識が生じるのも分かる。しかし、教師がそこまで特訓をする目的は何なのだろう?

 YYさんの文章に以下の記述がある。
・新しい顧問は全国大会にも何度か出場経験のある、県内でも顔の知れた先生でした。
・何度も部員と顧問、親と顧問がぶつかることがあり、退部する子もいました。
・結局引退までやりきった3年生は入部したときの半分以下でした。
・とても厳しかった顧問の先生には、当時の私は死にたいほど追い詰められたこともありました

 これらの文章から、この顧問の目的が私の頭に浮かんできた。それは顧問として部活を率い全国大会で良い成績をおさめたいという功名心である。良い成績をとれば顧問の評判や名声につながる。その目的を果たすために練習量を増やせば、部員や親ともぶつかることになる。そして、最終的にはそのやり方に納得できない部員が辞めていく・・・。

 ここから見えてくる光景は、顧問のための部活動だ。全国大会で良い成績をおさめたいと野心を燃やす顧問が、自分の目的に従うように部員を誘導していく姿としか私には映らない。

 部活動というのは基本的には生徒が自主的に取り組む課外活動ではなかったのか。一時は「死にたい」と思うほどに生徒を追い詰めたこの教師に、生徒の主体性を重んじ民主的な部活動を支援するという姿勢が果たしてあったのだろうか?

 学校においては、どうしても教師と生徒は支配従属関係に置かれてしまう。学校という閉鎖空間で立場が上の者が下の者をマインドコントロールするのはたやすい。多くの生徒は教師に評価されたいと思うし期待に応えようとする。支配的な教師が、生徒を自分の目的のために誘導することはそれほど難しくはない。

 生徒は教師になかなか反論ができないし、たとえ反論しても言葉巧みに生徒のせいにしてしまうのだ。「やる気がない」「努力が足りない」「頑張れないのはわがまま」・・・と。マインドコントロールによって生徒はあたかも自分の意思で全国大会での活躍や猛練習を選択したかのように思わされてしまったとしても何も不思議ではない。

 生徒が辞めていったのは、厳しい練習に耐えられなかったためだけだろうか? 休日もろくにない厳しい練習や大会への出場は、ほんとうに生徒が望んでいた部活なのだろうか? 生徒が主体であるべき部活で、なぜ半数以上もの生徒が辞めなければならなかったのだろう? 私には問題は顧問の姿勢にある、としか思えない。

 いわゆるモラハラ(モラルハラスメント)と同じことが部活では容易に起き得る。モラハラをする人間は実に巧妙で、どうしたら相手が自分に従うのか分かっている。たとえば褒めたり叱ったり、とアメとムチを使い分けるのだ。相手を支配する方法は、おそらく自身の経験から自然に身につけるのだろう。もし支配的なタイプの教師が部活の顧問になれば、学校という教育現場でとんでもないモラハラが生じかねない。そして問題なのは、「支配されている」ということに被害者はなかなか気づかないことだ。なぜなら良い成績が取れないのは自分の努力が足りないからだと思って(思わされて)しまうからだ。

 YYさんは厳しい練習は顧問の愛情であり情熱だというが、私にはそうは思えない。本当に愛情があるのなら、何よりも生徒の自主性を尊重するのではないか? 大会に出場するか否かも、練習時間をどのようにするかも。部活動は生徒のために存在するのであり顧問のために存在するのではないのだから。顧問というのはあくまでも生徒の自主的活動のアドバイザーであり脇役に徹すべきだ。

 文化部においても運動部においても、それは変わらない。顧問は自分の希望や目標を生徒に押し付けて支配してはならない。生徒も顧問の期待に応える必要などないし、支配されてはいけない。私はそう思う。

 これは家庭でも同じだ。「あなたのため」とあたかも愛情であるかのような言い方をして子どもに塾や習い事を半ば強制し、良い大学、良い会社へと追い立てる親がいる。しかし本当は「あなたのため」ではなく「自分自身のため」に夢の押しつけをしているのだ。本当の愛情とは子どもが自分で考え選択し行動するように見守り、必要があれば手助けすることではなかろうか。

 競争だらけの社会で、せめて部活動くらいは競争から解き放たれた楽しい時間であってほしいと思う。何もコンクールや大会で競争することだけが活動ではない。音楽系の部活であれば施設や被災地などを慰問して演奏会をするのもよし、地域の学校が集まって優劣を問わない演奏会をするのもよし。生徒が他者を感動させるような演奏をしたいと思えば、なにも顧問が厳しい指導をしなくても自ら練習に励むだろう。

 運動系の部活にしても同じで、部活は選手を育成する場ではない。試合をすれば必ず勝者と敗者が出る。ゲームには敗者も必ずいるのだ。プロ選手のように生活がかかっているわけではないし、力を出せれば勝っても負けてもいいではないか。自分たちも観客も楽しめればそれでいいと私は思う。

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コメント

学校でも競争、社会に出ても競争、競争で疲れる今の日本です。これらの学校の部活動先生は青春根性シリーズのテレビで育った世代でしょう。でも、根底に忠君愛国の思想が根強く、呪縛のように覆っているいる気がします。もっと、のんびり競争もしないでも人間は生きて行けると思うのですが、競争にまけるとホームレスの現実社会が待っています。みんな一生懸命生きているのだから、がんばらなきゃだめだと天の声がき聞こえてきます・・・

飯嶋さん

以前は大学も自分が学びたい学部、学科を選んだものですが、昨今は自分の実力で入れる大学を受けるという学生も多いようですね。これも競争社会の影響でしょう。自分の目標のために頑張るのはいいのですが、目標が競争に勝つことであれば本末転倒です。

しかし非正規や貧困がここまで拡大するとは、大変な世の中になりました。大学を卒業したからといって決して安定した生活ができるわけではありません。奨学金で借金地獄に陥る若者もいます。政府は貧困層の若者を兵士にでもしようと考えているのでしょうか。

ほんとです。しかもあっという間にあれよあれよよいう間に、総中流社会から超格差社会に変わってしまうのですね。貧困層が兵士になるのはアメリカでも言われていることですね。日本もそのようになっていくのでしょうね・・・今の流れでは。

YYさん、おそらく吹奏楽部に所属しておられたんだろうと思います。
ですが、YYさん、ご自身が顧問の食い物にされたことも、まったく自覚がないのですね。
愛されていたと思っているなんてかわいそうです。
当時の仲間とつながりがあることも、まるで友情であるかのように書いておいでですが、それは単なる被害者同士の傷のなめあいのように思えます。
いま、私の娘は吹奏楽部に所属していますが、顧問からパワハラを受け、本業である勉学に一切時間を割けない状態になっています。
部活はカルト集団化し、受験できる学校もないほど学力のレベルが下がっていても「部活で頑張った私たちの将来は大丈夫!」と子供たちは口々にそう言うそうです。
娘は違和感を感じつつも、その集団のなかで異論を唱える勇気が出せません。

顧問、顧問といいますが、顧問は学校の教師ですよね。教師は部活動だけではなく、生徒の勉強面のことにも、身体面、精神面での発達と健康のことにも、よく目配りできる人材でなくてはならないと思います。
それが、慈善的な思いからかどうかは知りませんが、子供たちを締め上げ、自由な感受性の育成を妨げ、支配し、コントロールして、それを子供たちに愛だとすりこむなんて、本当に恐ろしいことです。

娘は大変おびえて、自分からは動き出せなくなっています。
そんな娘のためになにかできないかと思い、調べていたところ、この記事にたどり着きました。
自分の思いを代弁してもらっているようで、心が少し軽くなりました。
理解してもらえなくても、行政の教育相談にかけあったり、娘に害が及ばないところから、少しずつできることをしてみようと思います。

モラハラの怖いのは、従順な人ほどコントロールされているという自覚が持てないことです。また加害者も自分のハラスメントを棚に上げ、努力が足りないと相手(被害者)のせいにしてしまうところです。モラハラをする人を変えることはまずできないと思いますので、基本的には離れるしかないと私は思います。娘さんがパワハラ教師の犠牲にならず、勇気をもった判断ができることを願っています。もちろん、行政等に相談するほか、場合によっては弁護士など法の専門家に相談するという方法もあるかと思いますが。

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