嫌われるのは大いに結構
***秘密保護法は廃止しよう!***
学生の頃、「和」とか「協調性」を重んじる日本の風習は、いさかいを起こすことなく秩序を保つことにつながり、素晴らしいことだと言っている友人がいた。しかし、私はその意見にはとうてい賛同できなかった。もちろん協調性のすべてを否定するつもりはない。しかし、協調性を重んじるばかりに自分の主張を引っ込めて周りに従ってしまうというのは納得できない。しかも「和」を重んじて誰とでも仲良くするなどというのは、気持ちが悪くてとてもじゃないが無理。自分を殺して八方美人にふるまうなんて絶対にできない。
誰だって、どうしても好きになれないタイプの人はいるのではなかろうか? 私は高校生くらいまではとても大人しく、学校でも無口で目立たない存在だった。そんな性格ゆえ友だちも限られていたが、友人が少なくても一向に構わなかった。どうしても好きになれないようなタイプの人たちと仲良くするなんてまっぴらだ。気が合わない人と仲違いする必要もないが、仲良くする必要もない。そして、口には出さなくても、心の中で「おかしい」と思うことはずっとおかしいと思い続けていた。
私自身どうしても好きになれないタイプの人がいるのだから、自分も他人から嫌われるのは当たり前のことだし、そんなことは何とも思わない。だから、「和」とか「協調性」を理由に誰とでも仲良くするのが素晴らしいと思ったこともないし、「人から嫌われたくない」「他人から良く見られたい」などと思ったこともない。子どもの頃からマイペースだったのだろう。
ところが、世の中には他人から嫌われることをとても恐れる人がそれなりにいるらしい。そういう人は、常に「他人から嫌われないようにしなければ・・・」「良く見られたい・・・」という意識が働いてしまうようだ。だから、すぐに他人に意見を合わせて、自分の本音をあまり言わない。そういう人にとっては、自分の本音を言うより他人に合わせているほうが楽ということにもなるのだろう。
たしかに周りの空気を読んでみんなに合わせていないといじめのターゲットになってしまう環境では、そんな風にして身を守るようになってしまうのは致し方ないのかもしれない。しかし、自分を殺して他人に合わせているというのは、実はちっとも楽ではないはずだ。常に他人を意識して緊張していなければならないし、自分に嘘をつくことにもなる。それでは精神的に疲れきってしまう。
「他人から嫌われたくない」と意識してしまう人は、何がそんなに怖いのだろうか? いじめられること? 仲間はずれにされること? 陰口を言われたり批判されること?
小学校から高校までは学校という外部から隔てられた教室という密室で過ごさなければならないので、いじめや仲間はずれを意識してしまうのは無理もないが、学校から解放されたならそんなに他人の目を恐れる必要はなかろう・・・。
「陰口を言われたくない」「批判されたくない」という感覚も私には理解しがたい。私はブログでときどき他者を批判することがある。もちろんインターネットというメディアで個人を批判する以上、公共の利益が目的だ。嘘ばかり吹聴していたり、どう考えても不適切としか思えない発言や行動をしている人を看過すべきではないと思うからだ。
私が最も嫌いなのは、自分の利益(お金であったり、名声であったり、権力であったりする)のために他人を利用するような人物。このような者の多くは平然と嘘をつくし、他人を騙すこともしばしばある。また、支配欲がとても強く、自分を信用している従順な人を囲い込み、自分と異なる意見を尊重しようとしない。そして、たいていは仮面をかぶって善人面をしている。いってみれば詐欺師、あるいはそれに近いような人たちだ。
福島の原発事故のあと、原発御用文化人が話題になった。彼らは電力会社の意向を受け、お金のために原発の安全神話を喧伝していたのだが、そもそも文化人を利用していたのが原子力ムラの人たちだ。原発の問題点について調べもせずお金のために協力した文化人も情けないが、彼らを利用した原子力ムラの人たちはまさに詐欺師同然だ。「積極的平和主義」という怪しげな主張を持ち出して国民を騙そうとしている安倍首相もまさに詐欺師同然だ。ほかにも似たような人たちはいくらでもいる。私が批判するのは、たいていこのようなタイプの人だ。
「他人から嫌われたくない」とばかりに自己主張を慎んだり、健全な懐疑を持てずに他者を信用してしまうようなタイプの人は、こうした詐欺師的な人物に騙されたり利用されやすいのではなかと思えてならない。もちろん、自己主張の強い人の中にも騙されてしまう人はいる。
私も、詐欺師といえるような人物を信用してしまったことが何回もある。多くの人が、人生で一度や二度は騙された経験を持つのではなかろうか。彼らは実に巧みでなかなか本心を出さないのだから、騙されてしまうのもやむを得ない。しかし、詐欺師がいつまでも人を騙しつづけることは難しい。そのうち「なんだかおかしい」と思うことがきっかけで、嘘がバレてしまうこともある。福島の原発事故では原子力ムラの嘘が一気にバレた。
人を騙そうという人に限って、批判をすると論点を逸らせたり、沈黙したり脅したり攻撃したりする。嘘を認めて謝罪や訂正をするということをしない。詐欺師というのは論理性がないので、本性を見破られてしまうとそうするしかないのだろう。それが詐欺師の特徴だと私は思っている。安倍首相が秘密保護法を強引に成立させたのも、「違法行為」「厳罰」でうるさい国民を縛り付けて支配したいからに他ならないだろう。
話しがちょっと逸れてしまった。私は、「和」や「協調性」を重んじ、「他人から嫌われたくない」と八方美人にふるまう人に欠けているのは自己主張であり健全な懐疑心ではないかと思っている。だから、安倍首相のような詐欺師まがいの嘘つきにも簡単に騙されてしまう人が多いのではなかろうか。
いつも「他人から嫌われたくない」と意識してしまう人は、思い切って一度そういう気持ちを捨ててみたらどうだろう。「私は私」、「批判したいなら勝手にどうぞ」と開き直れたなら、緊張して精神的に疲弊することも少なくなるのではなかろうか。相手が誠実で利己的ではない人なら、異なる意見の人も認めてくれるはずだし、そういう人を友人にすればいい。自己中心的な人なら無理して付き合う必要はない。また詐欺師的な人なら、客観的、論理的に見ることで、相手に論理性がないことが分かるだろうし、論理性がない者を恐れる必要もない。
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