内部被曝の影響を軽視するべきではない
「福島程度の汚染では健康被害は生じない」、「福島の人たちの不安を煽る」、「差別につながる」といった理由で、放射線の影響はたいしたことがないと言ったり、「ストレスの方が問題」と言う人たちがいる。「ぬまゆ」さんのように原因不明の体調不良を訴える人を、嘘つきだと誹謗中傷する人もいる。しかし、チェルノブイリの事故でもはっきりしているように、内部被曝による健康被害が顕著になるのはこれからだ。そして、それはもちろん癌や心臓疾患だけではない。
日本の場合はウクライナやベラルーシと違って野生のきのこやベリーを大量に食べている人は少ない。しかし多くの人が爆発による大量放出で初期被曝してしまったことは事実だし、爆発は数度にわたる(これについては、こちらの記事でも言及した)。しかも7カ月後に石棺が完成したチェルノブイリと違って、福一では今も放射性物質の放出は続いているし、現時点では汚染水の海への流出を食い止める術もない状況だ。低線量内部被曝による影響はまだ分からないことが多く、チェルノブイリのようにはならないなどとは誰も言えないだろう。もちろん被ばくの影響が少ないならそれに越したことはないが、果たして「安心感」ばかり植え付けることがいいことなのか? それが人道的なのか?
コメントで「ひで」さんが、いわゆる放射線安全派の方に読んでいいただきたいと以下のサイトを示された。重要なことなので、ここで紹介しておきたい。「原爆ぶらぶら病」と言われている被ばく症状の原因について言及している。
第80回「内部被曝⑭「ミトコンドリア・イブ」もびっくり-語られない細胞内小器官の損傷と慢性障害」
この件については以下の記事も参照していただきたい。
第634回「内部被曝①放射線のミトコンドリア攻撃が原因か 慢性疲労症候群」
放射性物質が長期間にわたって体内に留まれば、さまざまな悪影響を与える。人工放射能は天然のそれと違って粒子(ホットパーティクル)を形成するから、カリウムによる被ばくなどと同列には扱えない。これについては以下の記事で「さつき」さんが詳しく解説している。
天然放射能と人工放射能は違う(その1:単体の物理・科学的性質)
天然放射能と人工放射能は違う(その2:ホットパーティクルの放射能)
天然放射能と人工放射能は違う(その3:まとめ)
原発事故によって放出された人工放射性核種は粒子を形成するゆえに、体内の一か所から多量のアルファ線やベータ線が四方八方に放出され続けることになり、その周囲の細胞は大きなダメージを受ける。では、粒子というのはどれ位の数の原子からなるのか? 矢ヶ崎克馬さんは以下のように説明している。
空中を浮遊する放射性物質の塊は、一番大きなものでも直径が1000分の1ミリメートルです。ここにだいたい、一兆個ほどの原子が含まれています。そのためにこれを飲み込むと、体内に、一兆個ほどの原子が集中して一点に入ってきて、このなかから放射線が出されるわけですから深刻です。そうした点からも、内部被曝は徹底して避けなければならないのです。(矢ヶ崎克馬・守田敏也著「内部被曝」岩波ブックレット、29ページ)
塊となった放射性原子によって、DNAが損傷するだけではなく、ミトコンドリアなどの細胞内小器官も集中的に損傷を受け、それによってさまざまな健康被害が生じる。これが原発事故による内部被曝の恐ろしさだろう。
それでは福島の事故ではアルファ線やベータ線を出す核種がどれほど拡散されたのだろう? これについては分からないことが多い。ただし、以下の記事によると原発事故の場合、セシウム137とストロンチウム90はほぼ同量生成するとある。
第64回「内部被曝② 外部被曝と決定的に異なる-セシウムあらば必ずストロンチウム(検出困難)あり」
福島の事故でもセシウム137とほぼ同量のストロンチウムが放出されていたとしたなら、それも呼吸や食べ物などから体内に取り込むことになるだろう。海の汚染が深刻だが、今後は海産物からの被曝も懸念される。しかしホールボディカウンターで計測できるのはガンマ線だけで、アルファ線やベータ線は計測できない。
福島の原発事故から2年半近くが経つが、マスコミは内部被曝に関わる報道をほとんどしない。これまでに報道されているのは子どもの甲状腺検査の結果と、早野龍五氏らによる内部被曝調査の論文(以前の記事にも書いたように、これは問題が多々ある)くらいだろうか。しかし、内部被曝による影響が顕著になるのがこれからであれば、決して油断はできない。
マスコミが内部被曝について報じないのはたぶん意図的であり、タブーになっているのだろう。しかし、私たち日本人は否が応でも放射線による健康被害のことをずっと気にしていかなければならない状況に置かれている。「ストレスになるから」といって被ばくを隠蔽するのは、薬害があることを知っていながらその薬の販売を中止せずに放置するのと同じだ。それが結果的に福島の人たちのためになるとは到底思えない。
チェルノブイリの原発事故が起きたあと、ベラルーシでは汚染地域の子ども達をサナトリウムで保養させた。また健康被害が顕著になった時、内部被曝を低減させるための研究が行われた。日本でも、子ども達を少しでも汚染の少ないところに避難させたり、できるだけ放射性物質を体内に取り込まないような工夫をしたり、あるいは取り込まれた放射性物質を体内から排除することが可能であればそうした対策をとるべきではなかろうか。もちろん可能なことと不可能なことがあるが、可能なことはやるべきだ。
こちらのサイトでも、「被ばく影響を隠ぺいし続けても、放射線による多様な生物影響は奇形や死という形で必ず表面に出てしまう。従って、被ばく影響を隠すことでなく、正確に把握し、有効な対策を立てることが我々に残された道だろう。」と指摘している。
今、福島や関東地方で生じている原因不明の健康被害や動植物の奇形が、被ばくに由来するものであるかどうかの証明は極めて困難だろう。しかし、因果関係が特定できないからといって被ばくの影響を否定したり軽視することは軽々しくすべきではない。
何よりも原発事故による被ばくは人災だ。安易な安心論は被害を増大させるだけではなく、加害者を擁護することにもつながる。
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