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2013/07/19

差別を理由に奇形をタブー視するのは論点のすり替え

 木村ゆういち氏の、福島で頭が二つある子どもや無脳症の子ども、奇形の子どもが生まれているという話しが出てくる街頭演説の動画はブログやツイッターでかなり広まったようだ。

7月4日、木村ゆういち 福岡・九電本店前での第一声
http://youtu.be/TId2blLTL3c 

 ところが、奇形を話題にすると、必ずといっていいほど「差別」を理由に批判する人がいる。被ばくした福島の人の差別につながる、障害者の差別につながる、福島の方たちを傷つける・・・と。だからこのような発言をすべきではないなどと不可解なことを言う人がいる。

 チェルノブイリの原発事故のあとに奇形児が生まれたことは知られているし、原爆が落とされた広島でも奇形の子どもが生まれている。劣化ウラン弾によって奇形児が生まれて癌や白血病などの健康被害が生じていることも周知の事実だ。

劣化ウラン弾が降り注いだイラクで私が見た光景。の巻(マガジン9 雨宮処凛がゆく!)

 福島の原発事故による被ばくによって病気になったり、奇形の子どもが生まれることは何ら不思議なことではない。因果関係が立証できないとしても、複数の事例があるのなら被ばくの疑いは否定できないし、事実として受け止めなければならないことだ。

 被ばくによって病気になったり障害者となることが、望ましいことであるはずがない。誰だって病気になどなりたくないし、できれば五体満足な子どもを産みたい。これは障害者を差別するという問題ではなく、生物である人としてごく当たり前の感覚だ。DNAが損傷されることが問題ないと思う人はいるだろうか?

 しかも、被ばくによる病気や奇形というのは原発事故という人災によって引き起こされるのだ。その加害者は事故を起こした電力会社であり、国策として原発を進めてきた国にある。「差別」になるから奇形について発言すべきではないなどと言うのは、加害者の責任を曖昧にすることに繋がる。また、被ばくによる奇形と差別とはまったく別のことであり、分けて考えなければならない。

 原発事故による被ばくで、あるいは戦争による劣化ウラン弾で罪のない人達が病気で苦しんだり、奇形児が生まれることがあっていいのか? 差別につながるから、劣化ウラン弾で被害を受けた人たちのことは話題にしてはいけないのか? 差別になるからチェルノブイリの事故による被ばくで奇形の子ども達が生まれたことは隠しておかなければならないのか? そうではない。事実は事実として知らされなければならない。事実をきちんと受け止め記録することがなされない限り、加害者の責任はうやむやにされてしまう。被ばくによる奇形や病気を指摘する人たちは、それを生じさせた加害者ではない。

 もちろん被ばくした人たちを差別したり、病気になったり障害を持って生まれてきた人たちを差別することはあってはならない。言うまでもないが、人種、性、職業、身分の違いなどで人を差別すべきでもない。人として生まれてきた以上、一人ひとりの人権、生を尊重するのは当然だし、差別はなくしていかなければならない。これは多くの人が認めることだろう。

 「福島の人たちを傷つける」「差別を助長する」という大義名分のもとに、奇形の話しを批判するのは明らかに論点のすり替えである。そのようなことで差別があるなら、差別の原因となるものを排除するのではなく、人々の心の中にある差別意識そのものをなくす努力こそしていかねばならない。

 原発事故を起こした日本人に必要なのは、まずは事故によって起こされた被害をうやむやにしないよう事実を記録すること。原爆による健康被害はABCC(原爆障害調査委員会)によって隠蔽されたが、福島の事故による被害も国は隠蔽しようとするだろう。だから、当事者にとってはつらいことであっても、被害者自身が記録していくことに意味がある。日本では、これから何世代にもわたって被ばくの影響が生じる可能性が高い。私たちは否応にもそれと向き合っていかなければならないのだ。このこと自体はまったく差別とは関係がない。

 マスコミはほとんど報道しないが、海外メディアは福島で生じている奇形植物を取り上げている。もちろん放射線だけが奇形の原因ではないが、これだけの奇形が生じている以上、被ばくとの関係を否定することの方が不自然だ。

海外メディアが福島の奇形植物や奇形野菜をまとめて取り上げる! 日本のマスコミは報道しない福島の奇形! (真実を探すブログ)

 決してふたたび原発事故が起きないよう、核のない社会をつくっていくことこそ、私たちの責任だろう。

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コメント

いつも学ばせていただいております。木村ゆういちさんの演説を目の前で聞きました。木村さんは九電本社に向かって、汗と涙をボタボタ落としながら、生まれたばかりの娘さんを守るために原発を無くしたいという思いを必死で訴えておられました。福島から九州に避難されて農業を始め、今でも福島に野菜を送っておられます。私は、信用信頼に値する人だと思っています。

小原さん

コメントありがとうございます。
私も木村さんの演説の動画を見て、彼は本物だろうと感じました。ネット上では奇形の話しも情報源を言わないから嘘だなどという批判があったようですが、嘘を言っているとは思えません。当選できなかったのは残念ですが、木村さんは彼なりにずっと脱原発、脱被ばくの活動を続けていかれると思います。

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