業界関係者も公述した十勝川水系河川整備計画公聴会
昨日2月28日は、北海道開発局帯広開発建設部による「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に関する公聴会」が帯広市で開催された。私は公述人として参加したので、その様子を報告したい。
今回は1月22日から2月20日までの1カ月間、原案の縦覧および意見募集が行われた。この間に24人が意見を寄せたそうだ。このうち、公聴会での公述を希望した人は7人だった。7人のうち、変更案の具体的問題点を指摘したのは十勝自然保護協会と私の2人だけである。十勝自然保護協会の意見は以下を参照していただきたい。
十勝川水系河川整備計画変更原案に意見公述(十勝自然保護協会 活動速報)
あとの5人は基本的には開発局の提示した変更案に賛意を示す内容だった。たとえば、洪水や地震・津波などに対する防災対策を評価する意見、ケショウヤナギの幼木の生育地をつくるために砂礫川原再生は望ましいという意見、子供たちの野外活動を行っているボランティア団体として砂礫川原の再生は喜ばしいという意見、地域特性に配慮した変更案を評価するとともに河川敷の樹林化を抑制するための湿地造成の提案など、変更案に対する具体的意見というより抽象的な賛成論が大部分といった感じだった。
傍聴した知人は、傍聴席は女性の姿がほとんど見られず、地域住民というより関係者中心に感じられ異様な気がしたし、公述人にも違和感を覚えたとの感想を漏らしていた。河川整備や道路関係の公聴会、説明会などではしばしば声高に賛成意見を述べる人がいるのだが、一般の傍聴人がほとんどいない中、抽象的賛成意見の目立つ公聴会は明らかに不自然だ。提示された案に賛意を示すためにわざわざ公述するという行為の裏に、どうしても恣意的なものを感じてしまう。
事実、意見を述べる人の中に業界関係者も混じっている。今回公述したT氏がそうである。T氏は前回の「十勝川水系河川整備計画(原案)」に対する公聴会(2009年10月29日)でも意見を述べている。以下の15ページ参照。
ここでT氏は公述の始めにNPO法人十勝多自然ネットに携わっていると述べているのだが、「NPO法人十勝多自然ネット」とは土木建設業界の人たちでつくっている団体である。つまり、日頃帯広開発建設部から仕事を請け負っている業界団体の一員だ。例えて言うなら、原発に関する意見交換会の場に原子炉メーカーである日立や東芝などの社員が出向いて賛成意見を述べるのと似た構図だ。利害関係者が意見書を出し公述を申し込むという厚かましさには呆れてしまう。
また、今回の意見募集は変更部分に対するものだ。つまり「地震・津波対策」と「札内川の樹林化防止策(礫川原再生)」についての意見に限って受け付けていた。ところが、T氏は何を勘違いしたのか、十勝川について「健全な河川をそこなわない治水が大事」だとか「多様な自然環境が重要」だとか「サケが自然産卵できる川にしてほしい」とか、さらには開発行政を天まで持ち上げるかのような発言までし、意見募集の趣旨からずれた意見をとうとうと述べた。
公述人は事前に意見書を提出しており、公述はその意見の範囲でしかできないことになっている。事前に意見を把握しておきながら、このような人物を公述人として選出した帯広開発建設部の見識が問われる。
蛇足だが、T氏は「札内川の起源は1000万年前」とか「十勝川のサケは固有種」などという主張もしていた。「十勝の自然を歩く」(十勝の自然史研究会編、北海道大学図書刊行会)によると、1000万年前というのは日高造山運動が始まって日高山脈が海底から顔を出した頃である。札内川はまだ影も形もない。また、十勝平野は第四紀のはじめ(170万年前から100万年前:なお現在は第四紀の始まりを258万年前としている)は巨大な沼や湿原だった。更新世中期(50万年前)頃から日高山脈はふたたび激しく上昇しはじめ、この頃に十勝川が今の流路になったと言われている。こうした経緯から考えると、札内川の誕生は更新世中期以降と考えられるのではなかろうか。
また「十勝川のサケが固有種」というのは誤りだ。固有種とは、その地域にしか分布していない「種」のことを指す。十勝川に遡上するサケも石狩川に遡上するサケも「サケ(シロザケ)、学名はOncorhnchus keta」という同一の種である。たしかに十勝川で生まれたサケは海を回遊した後に産卵のために十勝川に戻ってくるが、だからといってそれを「十勝川の固有種」とは言わない。
なお、私の公述は提出意見を若干変えたので、以下に掲載しておく。帯広開発建設部は議事録作成のために録音をしていたが、書き起こし作業軽減に寄与したい。
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今回の変更案は地震津波対策と札内川の樹林化に対する取り組みが主な変更点ですが、ここでは札内川の樹林化への対策について意見を述べます。
私は、2010年7月に川と河畔林を考える会、十勝自然保護協会、十勝の自然史研究会が共同で開催した「2010川の講座 in十勝」に参加して、平川一臣北海道大学大学院教授の講義を受けました。なお、平川教授は第四紀学、周氷河地形環境、第四紀地殻変動の専門家です。
平川教授は、講義のなかで次のように述べていました。「河川は、自己制御することによって、可能な限り効率のよい形、すなわち横断形、縦断形を維持しようとする。つまり砂防ダムを始めとして人間の手が加わると、河川は川幅、水深、流送河床物質の粒径などの間で、内部調整、自己制御をやって確実に応答している。人の愚かさを試しているとも言える」、「河床の砂礫を上流のダムが止めてしまうと、それより下流の砂礫供給量・運搬量に見合った川になってしまう。戸蔦別川や札内川はダムの建設前後で別の川になってしまったことを意味する。現在は、その変化への適応・調整、すなわち河床低下の過程にあり、河畔林の繁茂はその一端である」また、「札内川では、従来の堤防の位置などから推測すると、数メートルも河床が低下しており、今では堤防から水が溢れることはまずないだろう」「札内川は札内川ダムや戸蔦別川に造られた多数の砂防ダムによって著しい河床低下を生じ、高水敷はヤナギが繁茂してすっかり姿を変えてしまった」とのことでした。
札内川から砂礫川原が激減したのはダムによって砂礫の流下が止められてしまったことが原因であり、また河川敷にヤナギなどが繁茂したのは札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことも関係しているのです。したがって、ダムを造ってしまった以上、砂礫川原が減少し河畔林が繁茂することは当然の結果と受け止めなければなりません。
十勝川水系河川整備計画変更原案89頁の「(6)札内川における取り組み」を読むと、「近年、河道内の樹林化が著しい札内川では、かつての河道内に広く見られた礫河原が急速に減少しており、氷河期の遺存種であるケショウヤナギの更新地環境の衰退が懸念されている。そのため、ケショウヤナギ生育環境の保全に加え、札内川特有の河川環境・景観を保全するため、礫河原の再生に向けた取り組みを行う」と書いてあるだけで、札内川ダムや戸蔦別川の巨大砂防ダム群の影響に全くふれていません。
「札内川の礫河原再生の取り組みについては、礫河原再生の目標や進め方等について記載した『札内川自然再生計画書』を踏まえ」るということですので、札内川自然再生計画書のほうに目を通しました。6頁に、「昭和47年より直轄砂防事業として札内川上流域において砂防えん堤や床固工群の整備を実施してきた。昭和60年には、治水安全度の向上、高まる水需要に対応した水資源の開発を図るため、洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水の供給、発電を目的とした札内川ダムの建設に着手し、平成10 年に供用を開始した」とあるのですが、これらのダムが札内川にどのように影響したかについては一言も書かれていませんでした。
ダムなどの構造物が河川を大きく変えることは河川学では常識であり、河川技術者も十分知っていると平川教授は言っていました。それにもかかわらず、十勝川水系河川整備計画変更原案にも札内川自然再生計画書にもダムの影響について触れていないのはどうしたことでしょう。
札内川ダムも戸蔦別川砂防ダムも帯広開発建設部が良かれと思い、多額の税金を投じて建設したものです。これらのダムのために札内川の自然再生が提案されたとしても、隠し立てすることではないでしょう。
札内川自然再生計画書では、砂礫川原の再生のために河床撹乱が提案されていますが、ダムによって砂礫の流下が止められて砂礫川原が減少しているのですから、たとえばダムからの放流量を増やして意図的に洪水状態をつくりだし河床の撹乱を促しても砂礫川原は再生されないばかりか、さらに河床の低下が進み、場所によっては基盤が露出するものと思われます。平川教授は、礫がなくなって粘土層が露出している戸蔦別川の写真を提示していました。礫層がなくなり、粒径の小さなものが流されるようになるのは大問題とのことです。また、このような状態になると増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫はさらに流されてしまいます。もちろん、高水敷に生育しているヤナギも根元から浸食を受け、流木となります。
さらに問題なのは、河床低下によって橋脚や堤防の基部が露出してしまうということです。現に、戸蔦別川の上戸蔦橋では橋脚の根元がえぐられてきています。河床低下を放置していれば、橋脚や堤防の基部がえぐられて強度に問題が出てくるでしょう。河川管理者がこのことを知らないはずはありません。
河畔林を伐採し重機などで撹乱して砂礫川原をつくりだしても、上流から砂礫が供給されないのですから、増水のたびに砂礫が流されて減少していきますし、河床低下がさらに進むと考えられます。このような方法は一時的には砂礫川原を生じさせるかもしれませんが、永続的な砂礫川原の再生にはつながらないでしょう。砂礫を人為的にどこからか運んでこない限り砂礫川原は再現されませんし、運んできたとしても増水によって下流に流されてしまうので、砂礫川原を維持するには人によって継続的に砂礫を運んでくるしかありません。しかも、このような手法では、砂礫地を生息・生育地としている動植物に大きな影響を与えます。
砂礫川原を維持するのであれば、ダムで川をせき止めてはいけない、という教訓を十勝川水系河川整備計画変更原案に盛り込まなければなりません。
私は、納税者である国民の前にすべてを明らかにすべきと考えますので、札内川ダムと戸蔦別川の砂防ダムの建設の結果として砂礫川原が激減したこと、またこのような河川における砂礫川原再生の手法は確立されておらず永続的な砂礫川原の再生はきわめて困難であることを十勝川水系河川整備計画変更原案および札内川自然再生計画書に明記するよう求めます。
なお、ダムによる砂礫の流下の抑制は海岸線の後退にもつながっています。海岸線の後退は全国で深刻な状況になっており、人為的に砂の運搬などの対応がなされているところもありますが、いくら運んでも沿岸流や波によって浸食されるので際限なく砂を運ばなくてはなりません。ダムによって自然のバランスを崩してしまうと、人間の力では元の状態に戻すことはできません。
昨今は自然再生事業が行われるようになってきましたが、壊したなら再生すればいいというものではありません。人が構造物によって自然をコントロールしようとすれば、その弊害が必ずどこかに現れるのです。とりわけ河川では平川教授の言うように、人の技術ではどうにもならない取り返しのつかない状態にまでなってしまいます。そうなれば自然再生は不可能です。このことを河川管理者は肝に銘じなければなりません。
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