« 久しぶりに原発記事に情報操作らしきコメントが | トップページ | 環境省による福島県外の甲状腺検査を考察する(追記あり) »

2013/03/07

遺伝子決定論を論破する本「天才を考察する」

 先日、「天才を考察する 『生まれか育ちか』論の嘘と本当」(デイヴィッド・シェンク著、中島由華訳 早川書房)という本を読んだ。厚い本なのだが、後ろの半分は資料編なので、本文は前半分。

 少し前までは、天才は生まれつき備わっている才能であるという考えが普通だった。ところが、いわゆる天才といわれている人たちを調べてみると決してそんなことはなく、子どものころから厳しい訓練をしてきた結果だというのである。本書ではそうした事例をいくつも紹介しながら話しが展開していく。

 冒頭に登場するのが、野球界に名を残すテッド・ウィリアムズ。彼は、子どもの頃から信じがたいような訓練を積み重ねていた。彼の奇跡のような能力について、ウィリアムズ自身が努力を重ねてきた結果だと言っている。「練習、練習、練習。それがああいう能力を引き出した」「ものがよく見えたのは、それだけ真剣だったからだ。・・・・・・並はずれた視力ではなく、[並はずれた]鍛錬のおかげだった」と彼は言う。

 モーツァルトやベートーベンも然り。モーツァルトの場合、誕生直後から音楽漬けであり、家庭で最高の英才教育を受け幼い頃から猛練習してきた結果なのだという。モーツァルト自身も父親宛の手紙の中で「僕ほど作曲のために時間をかけ、熟考を重ねた者はいません」と書いているそうだ。ベートーベンも、チェロの演奏家のヨーヨー・マも同じように幼い頃から音楽に囲まれ、訓練を受けてきた。

 並はずれた才能を開花させるには、10年間で1万時間以上の訓練を続けることがひとつの条件だという。なんだか気の遠くなるような話しだが、天才というのは生まれたときから天才ではないということだ。

 アインシュタインも「私はとくに賢いわけではない」「時間をかけて問題に向きあっただけだ」と言った。粘り強い訓練と努力こそ、才能を目覚めさせる鍵となる。

 それでは、才能や能力に遺伝は関係がないのか? 著者は遺伝が才能に関係がないと言っているわけではない。かといって、「遺伝+環境」でもなく、「遺伝×環境」の相互作用だという。このあたりについては是非本書を読んでいただきたい。

 ところで、この本では最後の方で「エピジェネティクス」についても言及している。今までの生物学では遺伝をつかさどるのはDNAだとされていたが、遺伝子の働きを活性化させる仕組みがあることが分かってきた。つまり遺伝子にスイッチがあるというのだ。こういったメカニズムを解く遺伝学がエピジェネティクスである。

 本書では以下のように説明している。

 遺伝子は、われわれがどんな人間になるかを指図するものではなく、動的プロセスの主体である。遺伝子の発現のしかたは外部からもたらされる力によって調整される。「遺伝形質」はさまざまな形であらわれる。われわれは、ずっと変わらない遺伝子と、変えることができる後成遺伝物質を受け継ぐ。それから、言語、思考、態度をも受け継ぐが、それらはあとから変えることができる。さらに、生態系をも受け継ぐか、それもあとから変えることができるのだ。

 エピジェネティクスについては改めて記事として取り上げたいと思うが、環境によってもたらされた変化が遺伝するという発見は、「目からうろこ」である。

 この本を読んで、自分の子どもを特訓させようと思う親も出てくるかもしれない。しかし、神童ばかり現れたらもはや神童ではないし、むしろ気持ちが悪い。それ以前に、親の押しつけで特訓させて才能を開花させようというのは無理があるのではないか。本人の好奇心や意志、そして粘り強さがなければ天才は生まれないだろうし、子どもがみな親の望むようになるわけではない。それに神童とか天才といわれる人になることが幸せだということでもなかろう。

 昔から「好きこそものの上手なれ」などと言われているが、一つのことにのめり込むことができる人は「天才」とまではいかなくてもその道の達人になれる。一昔前には「虫博士」「鳥博士」などといわれる子ども、独楽やけん玉の名人がいくらでもいたものだ。女の子のお手玉なども、大道芸と変わらない。それだけ子どもたちが遊びの中で練習を積んだということなのだろう。

 しかし昨今の子どもたちを見ていると、夢中になってのめり込むような趣味を持っている子どもはどれほどいるのかと思う。そもそも、お稽古ごとや塾通いで遊びを存分に楽しむ時間もなさそうだ。これはこれで問題なのではなかろうか。

« 久しぶりに原発記事に情報操作らしきコメントが | トップページ | 環境省による福島県外の甲状腺検査を考察する(追記あり) »

生物学」カテゴリの記事

コメント

謹啓、資源小国日本の唯一の資源である人材の育成の為、微力ながら交通遺児育英会に寄付し続けて参りました。ダイヤモンドの原石も磨かねば光り輝く事は御座いません。心臓手術に不可欠な人工心肺装置を発明した天才外科医ギボン医師は研究費に枯渇しフィラデルフィアの街で残飯を餌に野良猫や野良犬を捕獲し動物実験を続け心臓中核欠損症の手術に世界で初めて成功致しました。第二例、第三例で患者さんが死亡され外科医を辞め生涯を人工心肺の改良に奉げました。アィデアだけでは空想、妄想に過ぎず実現してこそ意義があり天才には挫折を乗り越え成功するまで努力し続ける精神力が不可欠です。外科医としての退路を断ち人工心肺に生涯を奉げたギボン医師は犠牲になった実験動物や亡くなった患者さんの慰霊も欠かさなかった人格者でした。人類に幸福を齎した天才の一人としてギボン医師に深甚なる敬意を抱きます。敬具

関さん、ギボン医師のこといろいろ教えてくださりありがとうございました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 遺伝子決定論を論破する本「天才を考察する」:

« 久しぶりに原発記事に情報操作らしきコメントが | トップページ | 環境省による福島県外の甲状腺検査を考察する(追記あり) »

フォト

twitter

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック

無料ブログはココログ