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2012/07/18

「何が何でも原発推進」の狂気

 今日の北海道新聞の一面トップは、「大飯・志賀 断層再調査を」という記事だった。

 石川県の志賀原発(北陸電力)の場合、「S-1断層」という断層が原子炉建屋の直下を走っている。活断層の専門家である東北大教授の今泉俊文氏が「典型的な活断層だ。あきれてものが言えない」と言っているのだ。国の原発耐震指針では、13~12万年前以降に動いた活断層の真上に原子炉などの重要施設を建てることはできない。明らかに指針に反している。

 先日再稼働してしまった福井県の大飯原発(関西電力)も、2号機と3号機の間に「F-6断層(破砕帯)」が走っている。大飯原発は「FO-B断層」および「FOA-断層」と熊川断層に挟まれており、これらの断層が動いた場合、連動して「F-6断層」が動く可能性があるという。

 浜岡原発も活断層の上にある。この国では活断層の直上にいくつもの原発を建て、これまで何食わぬ顔をして運転してきたのだ! 結局、活断層があるらしいと知っていながら、知らんふりをして原発を建てたのだ。もちろん審査を通してしまった原子力安全・保安院もグルになっていたということだ。

 専門家によって断層の危険性が指摘されているさ中に、平然と大飯4号機を再稼働させる。あの原発大国のアメリカでさえ、断層があることが分かって原発の建設を中止したのに・・・。17万人の市民が一堂に集って抗議の声をあげても、野田首相は耳を傾けようとすらしない。これを狂気と言わずに何というのか。

 そもそも日本は世界有数の地震大国であり、いつどこで大地震が起きるか分からないし、大津波に襲われるかもわからない。3.11のような巨大地震がきたなら、断層があるかないかなど関係なく広範囲に激震が襲う。こんな国で原発を稼働させるのは破滅への道を歩むことを意味する。

 また、「原発の安全性が確認されるまでは再稼働させるべきではない」という声が聞かれるが、「どんなに大きな地震がきても絶対に安全」などということはあり得ない。ストレステストなど、再稼働させるための免罪符でしかない。ストレステストをする以前に、これほど揺れまくっている国で原発を稼働させることの是非を議論すべきではないか。

 昨日は、エネルギー・環境政策に関する意見聴取会で電力会社の社員が堂々と原発推進の発言したことが明らかになった。昨年、九電で「やらせメール」が発覚してあれだけ批判されたし、北電でも「やらせ」が発覚した。それなのに、原子力ムラの村民がよく恥ずかしげもなく意見聴取会に出て推進意見を述べられるものだ。意見を述べる者が、主催者の言うように無作為抽出で選ばれたのなら、よほど大勢の電力会社社員が応募したということだろう。これを「やらせ」と言わずして何というのだろう。

 原発推進者の厚顔無恥には言葉もない。こんな国の国民であることが恥ずかしくなる。

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原子力発電」カテゴリの記事

コメント

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

日本語には、時制がない。だから、日本語は、現実を表すための言語である。
日本語は、実況放送・現状報告のための言語であるといえる。

理想は、非現実の内容である。
現実を表す言語を使って非現実の内容を示すことは難しい。
現実構文の中の非現実の内容は、すなわち真っ赤なウソになる。
つまり、話にうつつ (現・現実) を抜かしたことになるのである。
だから、日本人は、非現実を述べることもなければ、考えることもしない。
すなわち、無哲学・能天気の状態になっているのである。

日本語を使って非現実を伝えようとすると、悪意はなくとも、すくなくとも絵空事にはなる。これは、漫画の世界である。
理想にはならずして、空想になる。だから、日本人は、なかなか真面目な態度にはなれない。
理想は常に想定外になる。

金は手段か、目的か。
理想が目的にならないならば、金はその手段にはなりえない。
我が国においては、金は限りなく究極の目的に近い。
これは、人生の間違いである。政治の間違いにもなっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

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