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2012/05/06

幻想の上に成り立っていた原子力発電

 連休最終日の今日、北海道では晴天に恵まれて気持ちのいい朝を迎えたが、何よりも5日夜の泊原発の停止によって国内の全原発が停止したと思うと気分もすがすがしい。もちろん、これで安全になったわけでは全くないが、原発などなくても日常は何も変わらない。

 ニュースによると国内で稼働中の原発がゼロになるのは1970年以来42年ぶりだという。経済成長だ、クリーンエネルギーだとの触れ込みで50基もの商業用原発が次々と建設され稼働されてきたのだが、こうして原発が止まってみると改めて「原発ってなんだったのだろう?」と思う。

 経済成長も限界が見え、原発がクリーンエネルギーだという主張も嘘でしかなかった。原発そのものが幻想の上に成り立っていたのだ。原発の嘘と危険性を知って反対していた人以外の大半の国民は、何十年も騙され続けていたことになる。すべての原発が止まってみると、その騙しの事実が実感できる。

 昨年の3月、首都圏では計画停電というパフォーマンスが繰り広げられ、その時にまことしやかにささやかれたのが「夏に電力が足りなくなる」という話だった。しかし、夏がきてみれば普通に冷房を使っていたし停電にもならなかった。多少の節電努力はあっただろうが、「不便」というようなことは何もなかった。

 北海道では昨年の夏、高橋はるみ知事が電力需要の増える12月に電力が逼迫するとの理由で泊原発3号機の営業運転を認めてしまった。しかし、北電は本州への送電を続けていたし、寒さの厳しかった今年の冬も何も起こらなかった。

 北海道新聞では「原発稼働ゼロ」という連載記事を掲載しているが、最終回の今日の記事にこんな記述がある。  

「切迫した状況じゃない。じっくりやればいい」3月、知事は幹部に言った。北電はこの時、猛暑でなければ8月に大幅な電力不足には陥らないとの試算を、内密に道に示していた。

 今年の3月に、北電自身が夏でも電力が足りることを認めていたのだ。今年の8月に電力不足にならないのだから、冬の電力不足だって嘘だ。北電は道民を騙し、知事もそれに加担していた。

 結局、電力が足りているにも関わらず、原子力ムラの連中が原発の必要性を捏造して地震列島に54基もの原発をつくり続けてきたのがこの国の実態だ。火力発電所をどんどん閉鎖していったのも、原発を造って動かしたかっただけだ。「地球温暖化防止」は名目でしかない。なぜなら、原発は「海あたため装置」であり、燃料を用意するために大量の二酸化炭素を放出するからだ。

 全原発停止はもちろん喜ばしいことだが、「金の亡者」であり「責任逃れに必死」な原子力ムラの住民たちは、これからも国民を騙そうと躍起になるに違いない。今度は「夏の電力不足」「冬の電力不足」、そして「経済の低迷」「電気料金の値上げ」と言って脅すのだろう。

 しかし、チェルノブイリや福島の大事故は、原発の大事故は地球上に住むすべての生物の生存に関わる問題であることを私たちに見せつけた。地球規模の問題である地球温暖化を防がなければならないというのなら、同じ地球規模の問題である原発こそ止めなければならない。原発事故は核戦争と変わらないのであり、人間の経済などといったものは、大事故で簡単に吹っ飛んでしまう。

 人間が原子力を制御できない以上、手を出してはいけない。これがチェルノブイリの教訓であり福島の教訓だ。このことを私たちは決して忘れてはならないし、再稼働を阻止して世界の原子力推進にブレーキをかけることこそ、地球を汚染させた日本人の責任だろう。もし中国の原発が大事故を起こしたならば、風下の日本はひとたまりもなく壊滅する。

 原子力ムラの住民ではないのに、再稼働しないと「経済成長に影響がでる」「産業が成り立たない」と言う市民は多い。しかし現状維持なら原発なしの電力供給で何も問題はない。原子力ムラの連中の言葉を鵜呑みにせず、よく考えてほしいと思う。福島の事故で被ばくをし、故郷を棄てて避難を余議なくさせられた人たちは原発の嘘を思い知ったはずだ。故郷も仕事も失い、自分や家族が被ばくして病気になったり亡くなったりするということがどれほど悲惨で壮絶なのか、想像力を働かせてもらいたい。

 原発ゼロという記念すべき日を迎えたからといって浮かれていてはいられない。何としても再稼働を阻止しなければならないし、そのためにはみんなが節電をして「電気が足りている」ことを示すべきだ。

 私たちは経済成長の名の元に、コマーシャルに踊らされて大量の資源を浪費し、大量のゴミを生みだし、自らの生活基盤である地球を破壊し汚染し続けてきた。考えてみれば、衣食住に必要な物など限られているのであり、買い込んだ大量の物はいずれ処分をしなければならない運命にある。私たちは産業界の騙しによって消費を煽られてきたのだ。

 アレルギーが急増したのも、私たちの生活に農薬や化学物質などが入りこんできたことと無関係ではないだろう。電磁波による健康被害だって起きるようになった。自然界にないものをつくりだした人間は、それによって首を絞められようとしている。

 美しかった日本の山河は破壊されて瀕死状態だし、動植物もどんどん姿を消している。さらには途上国の自然まで壊し搾取し続けている。潤うのはほんの一握りの「金の亡者」だけで、福祉が切り捨てられ貧困が蔓延し、うつ病や自殺者が異常なほど多い社会になってしまった。それが経済成長のなれの果てだ。

 私たちは一握りの「金の亡者」によって操られ、大量消費や利便性が「豊かさ」であり「幸せ」だと思い込まされてきた。しかし本当のところは幻想のために必死に働いてきたのではないか? 何と虚しく馬鹿馬鹿しいことをしているのだろう。

 原発事故をきっかけに、こういう社会自体を見つめ直し変えていく必要がある。それができなければ、人間は地球上でもっとも愚かな生き物ということだ。

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