カシワ林保護のために価値観の転換を
帯広市稲田町にある帯広農業高等学校の東側には12haのカシワの天然林が残されており、北海道が「環境緑地保護地区」に指定している。このあたりは帯広畜産大学や帯広北高等学校など学校が多く、農業高等学校の前を通る道は「学園通り」と呼ばれている。
この学園通りは以前は2車線(片側1車線)の道路だったが、帯広市の都市計画に基づいて幹線道路としての道路整備事業が行われており、4車線へと拡幅が進められている。ところがこのまま4車線にするとカシワ林が引っかかり一部を伐採しなければならなくなる。カシワ林の向かい側は住宅などがあり、そちら側の拡幅に関しては一部の地権者の了解が得られないという。そこでこのカシワ林の保護と4車線化をめぐって調整が難航しているのだ。
ところでカシワ林は普通は海岸に発達し、内陸にはほとんど見られない。しかし十勝平野では内陸にまでカシワ林が広がっていた。これはかつて十勝平野が海であったことの名残りと考えられる。山岳画家であった故坂本直行氏のカシワ林と日高山脈の風景画は有名だが、かつては十勝平野のいたるところにカシワ林が広がっていた。
しかしそのカシワ林も農地の開墾や市街地化によってどんどん伐られ、今では伐採を逃れた小さな林地が点々と残っているにすぎない。かつてどこにでも普通にいたメダカが今では絶滅危惧種であるように、十勝のカシワ天然林も今では希少な存在だ。希少な植物も生育しているという。だからこそ農業高校のカシワ林は環境緑地保護林になっているのである。
伐って道路にしまえば二度と元のカシワ林には戻らないのだから、道路拡幅による伐採を回避したいという声が出るのは当然だ。しかし、このような状況になると必ずといっていいほど「渋滞解消のために拡幅は必要」「多少伐るのはやむを得ない」という声がでる。真っすぐで広い道路はドライバーにとっては確かに快適だ。しかし、たとえばカシワ林の前の数百メートルの区間を4車線にしたところでどれほどの時間が短縮されるのだろうか? とるに足らないほどわずかな時間に違いない。
私は学園通りの交通量のことはよく分からないのだが、聞くところによると、とりわけ雨の日に渋滞が酷くなるという。高校に生徒を送る親の車で渋滞するというのだ。たかが雨が降っただけで親がタクシー代わりをするというのだから、呆れてしまう。
親が高校生の送迎を日常的にするというのは、このあたりの高校に限ったことではない。数年前、所用があって音更高校に行ったことがある。ちょうど下校時刻に重なってしまったのだが、玄関の前に親の迎えの車の列ができていて驚いたことがあった。雨でもないのに下校時刻になると携帯電話で連絡をとりあって家族が迎えにいくのだ。いったいいつ頃からこんな過保護になってしまったのだろう。
2、30年ほど前までは、バスを利用して登下校するのが当たり前であり、親が自家用車で送迎をするなどということ自体考えられなかった。渋滞の陰にはこんな過保護も関係しているのだ。
帯広の郊外にある学園通りは、交通量がある程度あるといっても大都市の混雑した道路とは比べ物にならない。もっと交通量が多いのに、2車線の道路はいくらでもある。帯広市は人口も減っているのだからさらに交通量が増えるとは考えにくい。ほんの数百メートルの区画くらい、車線数が少なくてもいいのではないか?
「保護林」を伐ってまで4車線の直線道路にこだわるのは、人間のエゴでしかないように思えてならない。「保護林」に指定するほど伐りつくされた天然林をこれ以上痛めつけることがないように工夫していくことこそ、ここまで森林を伐りつくした私たちの罪滅ぼしではなかろうか。
部分的に車線数を減らしたり、あるいはカシワ林を迂回して曲がった道路にしたなら、それは「自然に配慮した」証なのである。車を利用する人々は、道幅が狭いことや曲がっていることに文句を言うのではなく、保護林を守ったことに意義を見出して評価する、そういう価値観の転換が必要なのだと思う。
まして帯広市は環境モデル都市なのである。柔軟な対応をしてほしい。
« 幻想の上に成り立っていた原子力発電 | トップページ | 御用学者の深い罪とメディアリテラシー »
「自然保護」カテゴリの記事
- 知床に携帯基地局はいらない(2024.06.05)
- 『日高山脈を含む新国立公園の名称に「十勝」を入れるべきではありません!』のオンライン署名を開始(2024.04.08)
- 日高山脈一帯の国立公園の名称を巡る不可解(2024.03.30)
- 日高山脈一帯の国立公園の名称に「十勝」を入れる愚(2024.03.03)
- 十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見書(2023.02.10)
コメント