高気密・高断熱住宅は省エネ住宅
年に何回か東京に行っているが、その度に思うのは住宅の気密性、断熱性が乏しいということだ。乏しいというより「ほとんどない」に等しいのではないかと思う。
たとえば、家の中にいても外で鳴いているスズメの声がすぐ近くに聞こえる。窓を閉めていても外の音が筒抜けだ。家の中と外の温度がほとんど変わらないのにも驚く。夕方になって外が寒くなってくると、家の中も同じようにすぐに冷えてくる。日中になって外気温が上がると、家の中も暖かくなる。秋や春先など、家の中より外の方が暖かいことすらある。北海道では考えられない。
本州の住宅は夏の暑さを考えて造られているのかもしれないが、夏に暑く、冬に寒い。風雨をしのいでいるだけのように思えてしまう。北海道の人が本州に行くと「家の中が寒い」と言うが、本当にそうなのだ。もっともそういう家が当たり前の人にとっては、何も感じないのだろう。
とは言っても、以前は北海道の住宅ももちろん寒かった。私が北海道にきた30年ほど前は古い借家に住んでいたのだが、夜に沸騰していた薬缶の水が朝にはカチカチに凍っていたし、冷え込みの強い朝は水道の蛇口も凍りついていて回らない。だから、朝はストーブの薬缶の氷がお湯になってから蛇口にかけてとかす必要があった。
ほんとうに寒い日は寝室がマイナス10度くらいになっていたと記憶している。最低気温がマイナス30度近くまで下がったのだから、それも当然だろう。日中でも何時間か外出して帰ってくると家の中は氷点下になっているので、ストーブに火をつけてもしばらくジャケットは脱げない。ストーブのダイアルを「大」にし、しばらくその前に座り込んでいた。本州と同じような造りの家はこんな感じだった。数日間家を空けるときは、凍ってしまいそうなビン入りの調味料などは冷蔵庫に入れるという具合だ。こういう住宅に10年ほど住んだ。
こんな状態だったから、家を建てるときには気密性・断熱性にもっともこだわった。そのころは北海道でも高気密・高断熱の住宅が普及してきていたので、住宅雑誌を買い込んだりモデルハウスなどに通って工法など時間をかけて調べた。
そうやって建てた住宅は、床面積では以前の借家の3倍以上あったが、灯油使用料は逆に少なくなったのだ。2階建ての住宅だが、暖房は居間のストーブひとつで家中を温めている。建築費は高くはなるが、寒い部屋がなく、きわめて快適な家になった。わが家の場合、壁と天井(外断熱)には20センチのグラスウールが入っている。窓は高断熱ペアガラス。本当はトリプルガラスが理想なのだろう。
以前は筒抜けだった屋外の音がほとんど聞こえなくなった。それまで悩まされていた結露による押入れや壁のカビからも解放された。以前はストーブが必要ないのは7、8月の2カ月くらいしかなかったが、今は6~9月の4カ月は必要ないし、5月と10月も寒い日だけしか焚かない。難点は、気密性が高いために台所の換気扇を回すとストーブが不完全燃焼を起こしてしまうことで、炒め物や揚げ物をするときにはストーブを消さなければならない。
北海道では今でこそ暖かい住宅が普及したが、北欧やカナダなどでは以前から高気密・高断熱住宅は当たり前だったようだ。
北海道で普及している高気密・高断熱住宅を本州でも取り入れたなら、暖房費も冷房費もかなり減らせるし快適になると思うのだが、これがちっとも普及しない。北海道では当たり前の高断熱ペアガラスなども本州では入手が大変なようだ。
本州の人は、壁に厚い断熱材を入れたなら夏には暑くてどうしようもなくなると考えているのだろうか。イメージとしては夏に分厚いセーターを着るのと同じように思うのかもしれない。しかし、冷房の普及した昨今では、断熱材によって室内の涼しさが保たれるのだ。
本州の住宅では冷房のスイッチを切るとたちまち暑くなり、暖房のスイッチを切ればたちまち寒くなるが、高断熱・高気密の住宅は室内の適温が外気温に左右されずかなり長時間保たれる。
夏は冷房のために原発の再稼働が必要だと主張する人がいるが、高断熱・高気密住宅なら冷房のための電力もずっと節約できるに違いない。要するに省エネ住宅なのだ。本州にも北海道のような住宅をどんどん取り入れるべきだと思う。
« 御用学者のカリウム被ばく論に騙されてはいけない | トップページ | さぽろぐの不具合? »
「環境問題」カテゴリの記事
- 生物多様性の消失と人類の未来(2024.07.26)
- 香害という公害(2024.07.03)
- 人間活動による地球温暖化の何が問題なのか(2023.09.14)
- グレート・リセットと地球温暖化否定論(2023.04.30)
- 小規模流水発電の普及を(2022.08.12)
コメント