原発はそれ自体が無責任の極み
5月5日に泊原発3号機の運転が止まり、日本の原発がすべてストップする。泊がストップしたところで、私たちの生活は何も変わらないだろう。つまり電気は足りている。福島第一原発の事故のあとの東電の計画停電が、原発を維持するためのパフォーマンスであったことは間違いない。それどころか、原子力の平和利用などというのがそもそも偽善であり、人類の手に負えない原子力には決して手をつけてはならなかったのだ。
福島第一原発の事故が起きる前、狭い日本でどうしてこんなに原発ばかり増えていくのか不思議だったが、何のことはない、すべて原子力ムラの人たちの利益のためだったのだ。なんだかんだ理屈をつけ、必要もない公共事業を生みだす構図と何も変わらない。しかし、他の公共事業と決定的に違うのは、原発の場合ひとたび大事故を起こせば世界が汚染され、人類を含めた地球上の生物が危険にさらされるということだ。
とりあえずこの国のすべての原発が止まるのは喜ばしい。地震による事故のリスクが少し減るし、使用済み核燃料も増えないからだ。しかし、使用済み核燃料が原発の建屋にある限り、地震によってまた悪夢のような事故がおきる危険性はまったく変わっていない。この国は非常に危うい状態に置かれていることに変わりはない。
たとえば4号機の燃料プールに関しては、日本より海外からその危険性への警告が発せられている。もし4号機が倒壊したなら日本は終わりだし、世界への影響も計り知れない。もはや世界中の人が黙ってみていられない状況なのだ。
カタストロフィー回避のためにアメリカの議員が動き出した(カレイドスコープ)
東電はあの状態で「補強した」というが、傍目に見てもとても大きな地震や大津波に耐えるとは思えない。もっと全体をコンクリートで固めるなどの対策はできないのだろうか。いったい東電は何を考えているのだろう。この期に及んで、保身しか考えていないのだろうか。
問題となっている瓦礫も、今後福一を石棺にするために使うのが合理的ではないか。あれを封じ込めるにはとんでもない量のコンクリートが必要だろう。しかし瓦礫利権によって全国を汚染させようというのがこの国なのである。
そして、大飯原発を再稼働させようという人たち。彼らは表向きには「夏の電気が足りなくなる」ことを理由にしているが、それが嘘であることくらいよく分かっているはずだ。結局は原子力ムラの存続のためであり、お金なのだ。
福島の事故が原因で一体何人の方が亡くなったのだろう。そしてこれから何人の方が亡くなるのだろう? 考えただけでも身の毛がよだつ。因果関係を証明できないだけで、すでに多くの方が亡くなっているに違いない。そんな状況なのに、これほどまでにお金に固執して原発を続けようとしたがる原子力ムラの住民たちにはほとほと呆れる。彼らは恥を知らないのだろう。
そして彼らの無責任体質の極みは、使用済み核燃料の問題の先送りだ。今、地震大国の日本列島の原発には、おびただしい量の使用済み核燃料が行き場もないまま貯蔵されている。再処理も高速増殖炉も頓挫したままだ。大地震がきても使用済み核燃料を安全な状態で保管することが何よりも重要なのだが、いったい燃料プールからすべての燃料を取り出すのにどれくらいかかるのだろう。取り出したところで、頻繁に地震、火山噴火、洪水などの自然災害に見舞われる日本列島でそれを10万年も管理していかねばならない。想像すらできないことをしなければならない。それが原発というものなのだ。
日本人はこの先ずっと危険と背中合わせに生きていかねばならない。人類はなんととんでもないものに手を出してしまったのかとつくづく思う。目の前の利益に目がくらんだ人は未来へのつけのことなど考えたくないのだろうが、それこそが無責任の極みだ。
核燃料については以下の説明が分かりやすい。
小出裕章の「使用済み核燃料の再処理」の説明が、ウナるぐらいにわかりやすい! (ざまあみやがれい!)
こういうことを考えたのなら、原発をつぎつぎと建て、湯水のように電気を使うことがいかに無責任であり罪なことであるかが分かる。いまだに原発にしがみつこうとしている人たちには率先して使用済み核燃料のお守をしてもらわねばならないだろう。
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