震災、原発事故一年に思う
今日はあの悪夢のような大地震、大津波から1年を迎えた。まずは犠牲者の方たちのご冥福を祈るとともに、今も避難生活を余儀なくされている方たちに一日も早く平穏な日常が戻ることを願いたい。
昨年3月11日、決して大きくはないもののいつまでも続く長い揺れに嫌な予感がした。東北地方はしばしば大地震に襲われていたので、まさか私の生きている時代にこれほどまで大きな地震が襲ってくるとは思ってもいなかった。大津波警報が出された頃にはテレビに見入っていたが、あれほどの大津波が押し寄せるとも思っていなかった。
そして、テレビ画面に映し出されたあの大津波の映像に震撼とし、流されていく家や車に人がいないことを願った。釜石の巨大な防波堤すらあっけなく壊れ、自然の力の前に人の力などどれほど小さいものかと思い知った。自然の力とはいえ、やはりこの悲劇の半分は人災といっても過言ではないだろう。地震大国である以上、地震や津波に備えた防災は欠かせないし、それが活かされたとは思えない。そう思うと身震いがする。
しかし、最大の人災はなんといってもその地震によって起きた原発事故だ。あの一号機の爆発の映像を見たときには、体中から力が抜け「とうとうやってしまった!」という痛恨の思いと、これからこの国はどうなるのかという不安がよぎった。あれから私のブログは原発ブログのようになり、原発事故のことが頭に浮かばない日はない。ライフワークとしているクモの調査研究にも力が入らない。
あの事故から一年たって分かったことは何だったのか。「安全神話」の崩壊。福島第一原発の事故は起こるべくして起こったということ。過酷事故に対して何の備えもなかった事実。東電と政府の情報隠蔽や虚偽説明。国民の命より自分たちの利益を優先させる恐るべき原子力ムラの実態。大半の原発が止まっているにも関わらず深刻な電力不足は起きていないという事実。
福島第一原発の事故は大変な放射能汚染を引き起こしたが、4号機は偶然によってさらなる惨事から免れたことも分かってきた。つまり、冷却機能を失った燃料プールの水が蒸発して燃料がむき出しになる寸前に、たまたま原子炉ウェルに貯めてあった水が地震でプールに流れこんだためにその悲劇を免れたのだ。危機一髪だった。そして福島第一原発の危機的状態は今も続いている。
4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある(秋場龍一のねごと)
わたしたち日本人、というより人類は、今も綱渡りをしているに等しい。4号機が倒壊したり、プールにヒビが入って水漏れが生じたなら人類が経験したことのない猛烈な放射能汚染が始まる。日本は人が住めるようなところではなくなり、北半球にとんでもない汚染を拡散させると言われている。原発事故はまさに核戦争に等しいのだ。そして、その危険は今も去ってはいない。
政府は最悪の事態になった場合、首都圏3000万人の避難も想定したという。そうならずに済んだのは、ひとえに偶然でしかない。しかし、これほど恐ろしい事態を目前にしても、未だに原発を続けたがっている人がいる。再稼働を認めるという人もいる。私には狂気としか思えない。
昨日届いた「週刊金曜日」にストレステストのことが書かれていた。それを見て、ただただ愕然とした。何と、原発が耐えられる地震動(ガル)は、机上の計算だけでどんどん大きくなっているのだという。阪神・淡路大震災の後の計算で跳ね上がり、さらに東日本大震災の後のストレステストでは、それまでの1.29~2倍の揺れにも余裕があるとしているという。
たとえば四国の伊方原発では、3号炉の当初の設計地震動はS1(起こりそうな最も影響の大きい地震による地震動)が330ガルで、S2(起こりそうにないが万一を考えて想定する地震による地震動)が450ガルだったのだが、東日本大震災を受けてのストレステストでは1060ガルまで余裕があるとしているのだ。こんな数字を信じられる人はまずいないだろう。ここまで国民を馬鹿にしてでも原発を稼働させたい人がいるという現実に、この国の利権病の深刻さが現れている。そしてこうしたことを大きく報じないマスコミの病も重い。
原発事故一年目にして、この国の病の重さに気持ちが沈む。明るい未来が描けない。しかし、絶望してしまったらそれこそ終わりだとも思う。日本は世界に対して放射能汚染の責任を負っているのであり、諦めてはならない。身を削って事故処理にあたっている作業員の方たちに感謝せねばならないし、彼らの努力を無駄にしてはならない。
私の住む十勝地方は、今日も何ごともなかったかのように穏やかで、雪景色の中にヒガラの囀りが響いている。しかし、いつ地球に「沈黙の春」が訪れてもおかしくないというのが現実だ。あの震災、原発事故から一年目の今日、私たちが肝に銘じなければならないのは核戦争と同じ結果をもたらす原発との決別でしかないと思う。
チェルノブイリの事故でセシウムによる人体への影響を調べて投獄されたバンダジェフスキー博士は、日本に来て「福島第一原発時オは、チェルノブイリを上回る危機になることを日本の皆さんは覚悟して欲しい」と語ったという。
http://twitter.com/#!/KinositaKouta/status/178190816559374336
また、震災がれきの広域処理についても懸念を示した。
チェルノブイリの事故研究者が初来日 きょう那覇で講演会(琉球新報)
それにしても、当事国である日本では危機感のない人が多すぎるのではなかろうか。「絆」を持ち出したがれき拡散の動きは、さらなる国民の騙し行為だ。危機を感じていない人に、いったいどうやって伝えていったらいいのだろう。あるいは「心配したってしょうがない」「なるようにしかならない」と諦めている人も多いのかもしれないが、それでいいのだろうか?
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