手作りという豊かさ
先日、娘にブラウスを縫って欲しいと頼まれ、久々に洋裁をした。若い頃はブラウスやスカートなど時々縫ったものだが、最近はさっぱりやらなくなった。ミシンを出したついでに、ポケットティッシュ―のケースも縫ってみた。ハンカチなども入れられるポケットが付いているもので、簡単にできる。
そんなわけで、生地などを入れてある箱を物色していたら、作りかけのバテンレースが出てきた。バテンレースというのは、図案を書いた台紙にリボン状のテープを糸で留めて固定させ、テープの間の空間を糸でかがる手芸だ。私のおぼろげな記憶では、中学生の頃にクラブ活動でつくりかけたものの、何らかの理由で中断したままになっていたものだ。
とすると、40年以上も前のものということになる。さて、どうしようかと迷った。私はバテンレースを仕上げたことがない。しかもテープは古びて黄ばんでいるし、たいていの人は捨ててしまうと思える代物だ。でも、今までとっておいたものを捨ててしまうのも忍びない。そこで、頭を悩ませながら何とか完成させたのが以下の作品。漂白して黄ばみをとってから糊づけしてアイロンをかけた。
服を縫ったり手芸をしたりなど、何年ぶりだろうか。そういえば以前はセーターやベスト、靴下などの編み物もときどきしたものだ。考えてみれば、洋裁や手芸に限らず、生活の中から「手作り」がめっきり減った。
その理由のひとつは、なんでも買える時代になったということだろう。たとえば子供が保育園や幼稚園、あるいは小学校などで使うような袋物、座布団など、かつては母親が手作りしたようなものまでお店で売っている。
洋服だって、既製品を買ったほうが材料代より安いことも少なくない。もっとも、衣類などの大量生産は国外での低賃金の労働によって支えられていることを肝に銘じなければならない。
それと同時に、買えるものを手作りするための時間がもったいない、というような気持ちが心のどこかにあったのだとも思う。たとえば読書はお金で買うことができない。調査・研究も、また社会活動などもそうだ。そういうものの方が、買えるものより価値があるのではないかという思いに捉われて優先させるうちに、手作りから遠のいてしまったように思う。
しかし、久しぶりに洋裁や手芸をやってみて、手作りの時間が持てるというのは豊かさではないかという気がしてきた。そして思いだしたのが、ミヒャエル・エンデの「モモ」という少女の物語だ。円形劇場あとに住みついたずぼらしい身なりのモモは、人の話を聞くことのできる素質をもち、人々から慕われていた。ところがモモの住む街に灰色の男たちが現れ、人々から時間を盗んでいく。灰色の男たちの言葉巧みな誘いによって、人々の生活から余裕が消えていく。灰色の男たちが時間泥棒であることを知ったモモは、灰色の男たちと立ち向かって時間を取り返すという物語だ。
灰色の男たちに時間を盗まれて余裕のなくなった人々は、「時間がない」「時間がもったいない」といってせかせかとし、何でもお金で手に入れようとする現代人に重なってくる。私たちは、知らず知らずのうちに「時間泥棒」に時間を盗まれているのではないかと思えてくる。
もちろん、時間を無駄にしまいと何かに一生懸命取り組むことを否定するつもりはない。仕事に追われて手作りなどとてもやっている暇がないという人も多いだろう。でも、時間に追われ、手作りも楽しめない今の社会はあまりに歪んではいないか。手作りする生活は、無駄なことなのだろうか? 手作りして出来上がった物も、それをつくる過程もお金で買えるものではないし、自分で作ったものは愛着があって粗末にできない。
ウィキペディアでは「モモ」について以下のように説明している。
このモモという物語の中では灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの人々はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であるとされている。しかし、エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったという事が、のちに発行された『エンデの遺言』という書籍に記載されている。
私の子供の頃は、家庭でいろいろな物を手作りするのは当たり前だった。男性も日曜大工などをする人が多かったのではなかろうか。売っている物は少なかったし人々の生活は今よりずっと貧しかったが、時間は今よりゆっくりと流れていたと思う。ひたすら経済成長を目指す資本主義という経済システムは溢れるほど物を生みだしたが、それと同時に時間泥棒を生みだし生活から余裕を奪っていったのではないか。
だからといって、昔のように女性が専業主婦でいるべきとはもちろん思わない。男性であれ女性であれ、今一度立ち止まって真の豊かさ、時間やお金のこと、大量生産や大量消費のこと、資本主義の未来について考えてみるべきではないかと思う。手作りはそんなことを問いなおすきっかけになるだろう。
資本主義社会は搾取、差別、格差を生みだし、私たちの生活から手作りというゆとりも奪ってしまった。今のような資本主義社会からは真の豊かさは決して生まれないだろう。
いつまでも経済成長の幻想に捉われ、際限なくお金や物を欲しがる人間は、この先どこに行くのだろうか。私には殺伐とした未来しか想像できない。
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