犯罪者を責めずに避難した人を責める異様な福島
原発事故から11カ月たった今、福島は信じがたい異様な雰囲気になっているようだ。以下のサイトに福島と山形をたびたび往復している方の感想が紹介されている。転送・転載・拡散大歓迎とのことなので、転載させていただく。
ある福島市民の報告(ちきゅう座)
現在福島市から山形に夏から避難し、現在福島と山形をたびたび往復している者です。
最近、福島に流れる異様な雰囲気に恐怖を感じます。これは最近益々強くなったと感じています。医者や病院、役所や学校あらゆるところで福島は安全だとのメッセージが流れ、同じ方向に進まないと生きていけない空気を感じます。
放射能を気にする発言をすると、放射能を気にし過ぎることで子供の健全な成長が阻害される、母子避難することで家族崩壊が招かれる、との情報で「もう子供の心の健康と家族を思い、放射能の事はもう考えません」と言い出す方達があちこちででてくるようになりました。
国や自治体からの発表に疑問を持つと過激な反体制と疑われ、避難を口にしようものなら、地元を見捨てるエゴの塊と見なされる。狭い狭い偏狭な方向へと導かれているように感じるのです。
今この場がどんな状況で、何が起こっているかを何の偏りもなく、ただ冷静に知りたい、過去の事実から学んで活かしたいとの思いは、危険と見なされる不思議さ。肌で感じ取り、目で見て、情報を分析して考えること、異なった考えを議論することその全てを一切禁止されているような感覚があります。
福島を襲った災難を県民一致団結して乗り越えようとの思いは分かるのですが、ただその方法が正しいのか?との疑問の声を上げられない空気を感じます。
私はこの異常な雰囲気に対し、放射能汚染以上に恐怖を感じます。ある人々はこの恐怖に屈して、これに同調しているか、または全く疑問を感ずることなく、これと一体となり生活しているように思われます。
場所によって汚染状況が違うとはいえ、福島は人が安心して暮らせるような状況では到底ない。ところが、その福島では異常な雰囲気が漂っているのだという。御用学者は安全をアピールし、放射能を気にすることによるストレスのほうが健康に悪いとしきりに言っていたが、福島に留まっている方たちは、まさにこうした御用学者にマインドコントロールされてしまったかのようだ。
似たようなことが以下の記事にも書かれている。
こんな「絆」はいらない(JB Press)
避難することが裏切りだと白い目で見られるから避難しない・・・。危険かどうかで避難するか否かを判断するのではなく、裏切りだと言われるから避難しないとは、一体どういう感覚をしているのだろう。まさに「空気を読んで」避難しないということなのだ。自分の身は自分で守るという意識が全くないし、危機管理ができないということだ。生死にかかわることであっても自分の意思より他人の目を判断基準にするとは、もう溜め息しか出てこない。
みんな被ばくによる健康被害の不安を抱えているのだ。ならば「避難したくてもできない」といって諦めたり、避難した人たちを責めるのではなく、移住をさせようとしない東電や政府に詰め寄り補償を求めるのが筋だろう。一揆も起こさず大人しくしていることが私には不思議で仕方ない。
今は戦前ではないのだ。自分で情報収集しようと思えばいくらでもできるし、東電や政府、御用学者がどれほど嘘をついてきたかは誰しもが思い知ったはずだ。最近はNHKですら低線量被曝の危険性に言及するようになった。チェルノブイリで何が起きたのかも、あちこちで報じられている。結局、事実を直視したくないがために、避難する人を責めることで自分を誤魔化しているとしか思えない。
国が責任をもって汚染地域から住民を移住させることこそチェルノブイリの教訓だ。移住どころか除染して住民を戻そうなどというのはどう考えても狂気だし犯罪だろう。その犯罪にも気づかず避難した人たちをなじる住民に、ただただ愕然としてしまう。政府の作戦は大成功ということなのだろうが、見るに堪えない状況だ。
最後に、ドイツ研究家の「ドイツから学ぼう」というブログ記事を紹介しておきたい。
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