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2011/12/02

吉田昌郎所長の功罪と東電の責任

 28日、東京電力は福一の吉田昌郎所長が入院したことを明らかにした。病名はプライバシーを理由に公表しないという。ただし、細野豪志原発担当相は放射線の影響ではないと記者会見で発言している。もっとも作業員が亡くなった際にもいつも同じことを言ってきたし、これを真に受ける人はいないだろう。

 このニュースを聞いて、私はとうとう来るものが来たと思った。免震棟であってもかなりの線量のはずだ。そこに毎日のように詰めていたなら、トータルの線量は相当になるだろう。どんな健康被害が出てもおかしくはない。だから、先が見えない状況のなかで長期間現場に張りついていたなら、いつかはこういうことになるのではないかとずっと気になっていた。大爆発して放射能飛散が短期間で終わったチェルノブイリの事故とはこの点で根本的に異なる。東電だって、このまま所長に任務を続けさせたなら倒れることは予測できただろう。メルトスルーした福一で長期間働くことは命がけを意味するのだ。

 ところで、このニュースが流れた直後に流れてきたのが、事故後の海水注入の際、吉田所長が東電本店からの注水停止命令を「形だけの注水停止命令」にして、実際には注水を継続していたというニュースだ。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111130k0000e040016000c.html 

 しかし、思い出してほしい。このことは以前も吉田所長が認めていたはずだ。そのときはこんなに大々的に報じられなかった。なぜ、今頃このタイミングで改めてセンセーショナルに報じたのだろうか。おそらく吉田所長の英断を称えるためだろう。東電にとって、所長が病気で倒れた今となっては、英雄にしておくことこそ大事なのだ。一般社員の入院なら隠せても、所長の入院はいつまでも隠しているわけにはいかないから、どう幕引きをはかるかが大事なのだ。

 私がこのニュースを読んで思ったのは、現場では本部の命令より彼の独断が通るということだ。吉田所長は独断で注水を続けた。注水を続けなければ危険だという認識があったからこそ、本部の命令を無視してでも独断を貫いたし、職員や作業員が自分の命令を尊重することを分かっていたのだ。その吉田所長こそ、福一が地震によって放射能漏れを起こし、爆発によって致死レベルの放射能が放出されたことを誰よりもしっかりと認識していたはずだ。

 所長はもとより、現場にいた社員や関連会社の人たちは、福一がどれほど危機的な状態であるかを知っていた。だからこそ、彼らはいち早く家族を避難させたのだ。それは以下の池田香代子さんの記事からも分かる。

「原発てんでんこ」? 

 吉田所長はプラントの状況を逐一本部に報告し、大量のファックスを送信していたという。所長としての任務は誠実にこなしていた。しかし、所長が周辺の自治体や住民に避難を呼びかけたとの情報はない。危機的状況を国民に知らせ避難を呼びかけることの最終的な責任は、東電本部や政府にあるのかもしれない。しかし、政府は現場の危機的状況を知りながら、パニックを理由に国民に知らせず、速やかに避難させることもしなかった。ならば所長の独断で何らかの周知ができなかったのだろうか?

 私は、吉田所長が独断で注水を続けさせたように、独断で地元自治体や周辺住民に危険を知らせて欲しかったと思わずにいられない。それが所長の職務ではなかったとしても、良心に基づいて個人の裁量でやってほしかったと思う。せめて福一の東電社員らに「住民みんなに避難を呼び掛けてほしい」と言えなかたのだろうか。何らかの発信ができなかったのだろうか? 現場の責任者として職務に全力を尽くしたのは事実だとしても、私にはやはりすっきりしないものが残る。

 これについては守田敏也さんが以下の記事を書いている。ほぼ同感だ。

吉田所長英雄化戦略による東電の事故隠しと責任隠し

 もちろん、吉田所長は自分自身が相当の被ばくをしていると自覚しながらも所長という責任のもとに陣頭指揮をとってきた。大変な緊張を強いられる中で、肉体的にも精神的にも本当に大変だったと思う。しかし、それによって吉田所長の過去の過ち(守田さんの記事にあるように、かつて津波対策の進言を握りつぶしていた)が消えるわけではない。また、ご自身が大量の被ばくをしているからといって、作業員に大量の被ばくをさせていいということにもならない。

 忘れてはならないのは、東電の隠蔽体質と吉田所長の英雄化の裏に隠されているものだ。吉田所長は事故前に津波対策について誤った判断をしていた。また事故後には作業員に被ばくをさせ、複数の怪我人や死者を出しているという負い目があった。だから彼は自分の被ばく線量や疲労も口にできない立場にあったのだろう。東電は吉田所長の責任や立場を利用し、彼が大量被ばくすることを承知で長期間にわたって陣頭指揮をとらせ、いよいよダメとなったときに英雄に仕立て上げたのだ。

 現場のいい加減な被ばく管理に目をつむっていた責任は、所長だけにあるわけではないだろう。所長の被ばく管理・健康管理を含め、東電には大きな責任がある。危機的状況を一番よく知りながら、住民に速やかに危険を知らせて避難させなかった責任もある。所長に責任と過酷な任務を押し付け、挙句の果て英雄化するのは、すべて東電の自己保身のためだ。

 東電がプライバシーを理由に吉田所長の病名を非公開にするのは疑惑と不信感を深めるだけだ。今さら東電の説明を全面的に信用する人などいないだろう。本当に被ばくと関係がないのなら、それこそきちんと公開すべきではないか。

 東電の発表とマスコミ報道こそ、そのまま信じてはいけない。

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