« 群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(1) | トップページ | 危機感の薄い日本人 »

2011/12/10

群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(2)

(前回の記事は以下)
群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(1) 

言論の自由と訓告の正当性

 早川氏が深刻な汚染について意見を言うことの真意が、真摯な警告であり、「配慮を欠いた不適切な発言」という群馬大の指摘が当たっていないことについては、前回の記事で書いた。また「不安を煽る」というのが配慮を欠く理由であるというのなら、それは単なる意見の相違であり、訓告の理由にするのはおかしな話だ。だから、「配慮を欠いた不適切な発言」と考えられるのは、過激な表現だけだろう。

 たしかに、早川氏のツイートは過激だ。「死ぬぞ」などという言葉は何度も見かけた。でも、それは大げさではなく事実だ。あれだけの汚染があったのだから、被ばくによって亡くなる人は必ず出る。こんなことを言うと不謹慎だと言われそうだが、因果関係が特定できない人もいれたら恐らくきっとすごい数になるだろう。

 また、早川氏のツイートを日頃から読んでいる人なら、表現の仕方の評価は別として、彼がどういう理由であのような過激な表現をつかうのか理解できると思う。それくらいはっきり言わないと、伝わらないという強い思いがあるのだ。私だったらあのような書き方はしないが、「殺す」という言葉ひとつとっても、被ばくで人が死ぬのは事実だし、それは放射能によって殺されるということだから間違っているわけではない。また、相手を特定しているわけでもなければ脅迫というわけでもない。強い口調で可能性を指摘しただけだ。これはほとんど個性の問題ではなかろうか。言論の自由の範疇であり、大騒ぎするようなことではないと私は思う。

 どうしてもあのような過激な発言が嫌なら彼のツイートを見なければいいわけだし、批判したいのならブログなりツイッターで批判すればいいのだ。ただし、いつも思うのだが、実名で発言している人に対して、匿名で批判攻撃をするべきではない。言論に対して言論で対抗するのはもっともだが、匿名はあまりに無責任で卑劣だ。

 私が呆れたのは、自治体が大学にクレームをつけてきたということだ。早川氏の言論に問題があるというのなら、自治体は早川氏の言論に対し具体的に理由を述べて意見表明をすればよいだろう。大学に対してクレームをつけるなど、まるで子どもの告げ口ではないか。

 早川氏によると、一関と岩手県は酷いクレーマーだという。この背景には、早川マップが一関の汚染を指摘しているからだろう。ならば、事実を認めたくない自治体による嫌がらせだと受け取られても仕方ない。そして、その子どもの告げ口のようなクレームをまともに受け止めて処分をする大学もどうかと思う。その背景には以下のようなことも関係しているのかもしれない。

国立大学法人群馬大学と独立行政法人日本原子力研究開発機構との連携協力に関する協定」の締結について

 群馬大自身が日本原子力研究開発機構と密接な関係があったわけだ。大学にクレームがくるというのも納得がいく。

 やはり、この問題はどう考えても、言論の自由に関わる問題だ。群馬大が一教員の言論の自由を封殺したいという意図があると思えてならない。由々しき問題だ。

 また、早川氏は7日に大学で記者会見を行うことをツイッターで公表し、その時間帯に休暇をとった。しかし、記者会見を行った早川氏の研究室に学部長が入ってきて記者らに建物の使用を禁止すると言い渡したのだ。そして最終的には電気を使用しないという条件で会見が始まった。規則を盾にして突っ張る学部長の態度は異常としか思えない。これについては以下のブログに東京新聞の記事が掲載されているのでご覧いただきたい。

http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/1210-3f7e.html 

 なお、以下のYouTubeに記者会見が始まる前に学部長が研究室の使用に対してクレームをつけている映像が公開されている。

http://www.youtube.com/watch?v=55inv-XuPXQ 

http://www.youtube.com/watch?v=lYbKBmKSY3M 

 小出裕章さんは、京大のご自分の部屋で取材を受け、それがネット上で公開されていたが、国立大学でも大学によってこれほど対応が違うというのはどういうことだろう。はやり、権力によって言論を封殺したいということではなかろうか。記者会見の妨害は言論の封殺だ。

 早川氏が懲戒処分になれば闘うといっているのはもっともだと思う。

« 群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(1) | トップページ | 危機感の薄い日本人 »

原子力発電」カテゴリの記事

コメント

松田まゆみ様

今回の件は、僕に光市事件での青山学院、瀬尾准教授のブログ炎上事件の一件を思い起こさせました。
あの事件では、大学が瀬尾氏の処分にまで至ったかは、はっきり覚えていませんが、少なくとも大学は瀬尾氏のブログでの発現について謝罪をしました。
基本的に僕は、言論の自由と言うものを大切にしたい方の人間です。ですから、今回の件でも、早川教授擁護のスタンスを取ります。
私の考えでは、大学は人間教育、道徳教育を行うところではありません。学問を追及するところです。“学問”と言う言葉は古臭くて使いたくないのですが、要は、あらゆる思考、理論を限りなく自由に追及すべきところだと思いますし、社会もそれを許容して初めて成熟した社会と言えるのではないでしょうか。(一般社会人としての道徳を教えるのは中学か高校まででしょう。大学は次のステップとしての、個人の考えの多様性を引き出し、個性を与えるべきところでしょう) もちろんその多様性の中身、主張については意見の相違があるのは当然で、そこで議論を戦わせて初めて、何かが生まれる、と言い換えてもいいかもしれません。それが言論の自由と言うものです。
そういうベースにたつべき大学が、ことまあろうに言論を封殺しようとしてる。しかも身内に対して。それが今回の件と瀬尾教授の件だと僕は思います。 そもそも凡人とは違うユニークな思想を持っているのが大学教授、学者という人たちであって、社会的振る舞いよりも、独自の理論や思想に私達は価値を与えるべきではないかと思います。
またもや日本という国の言論文化の未熟さを思い知らされたことで暗澹たる思いがします。

farpostingこと
田森則行

ドイツ放射線防護協会
会長 Dr. セバスティアン・プフルークバイルの
日本国民への警告と勧告:
http://d.hatena.ne.jp/eisberg/20111130/1322642242

早川由紀夫教授へ
放射線被曝情報の秘匿・国民騙しの背任犯罪者ら=売国・亡国の野田内閣・ 都道府県・市町村の権力機関の首長と従者らこと金権奴隷らで知的・精神的障害者らによる国民大量殺人の犯罪と闘っている、貴殿の無私のひたむきな努力を、高く評価しています。有難う!
今後も頑張れ!
311を上回るM9.2の新たな巨大地震+311の2倍超の大津波が12~1月に起る:
http://gold.ap.teacup.com/tatsmaki/88.html

@farposting様

瀬尾さん事件、ありましたね。たしかに瀬尾さんの発言は反論を呼ぶものでした。あちこちから批判があって当然でしょう。しかし、あくまでも個人の意見表明であり、名誉毀損や脅迫などの違法行為などがなければ尊重されなければなりません。大学が口を出すことではないと思います。

瀬尾さんにしても早川さんにしても、過激な表現であっても違法行為に該当しなければ表現の自由の範疇だと思います。また、言論には言論で対抗すべきでしょう。

大学、とりわけ国立大学は社会に開かれているべきです。大学では学会やシンポジウムなども開かれ外部の人も出入りできますし、マスコミが入ることもあります。ところが教員が意見表明のために記者会見をやろうとしたら禁止する、というのは明らかにいき過ぎの対応だと思います。学部長は休暇をとっているのだから研究室を使うのはおかしい、というようなことを言っていましたが休みの日に教員が研究室に行くなどは日常的にやっているはずで、これはもう、いいがかりとしか言いようがありません。

また、早川さんは火山学者として火山灰が風でどのように拡散するかという知識があり、放射能の拡散もそういう視点を活かして地図をつくられました。専門を活かして警告されたのです。公開授業などもされていました。このことをもっと評価すべきだと思います。

田森さんと同様に、社会の未熟さを感じます。

松田まゆみ様

僕も、学部長さん会見中止命令のビデオ見ました。ルールどうのというのは表向きであって、実際は早川教授に対する嫌がらせなんでしょうけどね。「電気を使わなければよい」という意外な展開には思わず笑っちゃいましたが(^_^)
瀬尾氏にしても早川氏にしても、その主張や表現方法に100%賛同できるかというとまた別なのですが、大学側がその権力を行使して、議論することなく安易に、臭いものにふたしようとすることに嫌悪を感じ、誰かが守らなければいけないという気になります。言論を謳歌すべき大学が言論を封じることは、早川氏の言うとおり自殺行為だと思います。
両氏が使っている不特定多数に向けた電子メディアというのは、その匿名性もあって、いわゆる「炎上」の危険性をはらんでいます。発信の主が著名人や、ある程度社会的地位高い人であればよりそのリスクは高くなりますね。
しかしオープンに即時性をもって100%自分の意見が発信できるメディアが、今の日本では、これらの電子メディアしかないという現状があります。本来そういう役割を果たすべきマスメディアが、政府や大企業といった権力側につき、討論会もどきのTV番組でさえ、タブーがあったり、発言に制約を加えたりするのですからね。
早川さんもほかに手段が無いからツイッターを使ったといっていますね。
もし顔の見える対談などで、二人が発言したら、まったく違う結果になっていたような気もします。そういう議論を避けて国民をコントロールしようとするマスメディアの正体を知ると、やはり日本は本当の意味での民主主義国家にたどり着いてないと感じずに入られません。
ところで、松田さんの過去の記事も最近読ませていただいていますが、「光市事件とは何だったのか」のコメント欄での論争の中で、弁護団の書いた本に興味を覚えたので、中古本をネットで注文しました。読んだらまた感想を書かせてもらおうと思っています。
よろしくお願いします。

田森

@farposting様

あとから思ったのですが、早川さんは学部長が抗議にくることを予期していて自分の研究室で記者会見をやったのかもしれません。としたら、学部長はそれにまんまと引っ掛かってしまったのかも・・・。

早川さんもツイッターだからことあのような表現になったのだろうと思います。もし、ネット中継によるインタビューだったら、あのような表現はしないで丁寧に説明するでしょう。記者会見でも誠実な受け答えをして好感が持てました。私は早川さんのツイートをちょこちょこ見ていましたから、彼があのような発言をするのはあまり気にならなかったですね。個性だと思いました。

過去の記事も読んでくださったのですか。ありがとうございます。光市事件についてもご意見をいただけると嬉しく思います。私はあの刑事裁判における弁護団の主張自体は否定しません。弁護団の主張がどの程度正しいかは分かりませんが、検察が事実と異なるストーリーを作り上げたのは確かだと思います。

ただし、安田好弘弁護士による今枝仁弁護士の解任の仕方は賛同できませんし、弁護団が「福田君を殺して何になる」の著者の増田美智子さんや版元の寺澤有さんを訴えたことに対しては、法律家集団による嫌がらせだと思っています。弁護士が自己保身のために嘘を言って裁判を起こし、被告人の福田君を巻き込んで混乱させているとしか思えず、弁護士としてあるまじきことと思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(2):

« 群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(1) | トップページ | 危機感の薄い日本人 »

フォト

twitter

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ