節電を続けない不思議
今年は3月下旬、7月中旬、そして11月初旬に東京に行った。3月の下旬に行ったときは計画停電がようやく取りやめられた頃で、夜の街はネオンが消え、駅のエスカレーターの多くも止まり、電車も間引き運転。スーパーやコンビニ、電車の照明も減らされていた。当然のことだろうと思ったし、その程度の節電では特に不便に思うこともなかった。
7月は冷房をかなり制限しているのではないかと思っていたが、これは予想が外れた。冷房の温度は今までとそれほど変わらず、寒いくらいのビルもあって呆れてしまった。あれほど夏は電力不足になると騒がれていたのに拍子抜けがした。
そして原発事故からおよそ8カ月たった東京は、ほぼ震災前の状態に戻っていた。駅のエスカレーターは人が少なくても運転しているし、照明も一部の場所を除いて大方のところで以前と変わらぬ明るさになっていた。駅の切符の自動販売機の一部が節電のために休止されていたが、スイカなどのICカードが普及した昨今では切符の販売機はガラガラで、並んで切符を買わなければならないようなことはない。節電というより、そもそも必要ないものを止めているにすぎない。
8割の原発が止まっている中で、相変わらず電力不足を口実に原発の再稼働を求める声があるが、「原発がなければ電気が足りなくなる」というのが原発を維持するための口実であったことは明白だ。休止していた火力発電所をフル稼働させているとしても、これほどあっさり節電を止めてしまうというのはどういう感覚をしているのだろう。無駄な電気の使用をできる限り控え、原発のみならず火力発電も減らしていくべきなのに・・・。
節電はやろうと思えばもっともっとできるはずだ。あの街中に林立する自動販売機など、まっさきに撤去していくべきだろう。飲み物など、コンビニや駅の売店でも買えるのだから。数年前に北欧に行ったが、飲み物の自販機などまず見かけなかった。飲み物はお店で売っているのだから必要ないし、自販機は景観も壊してしまう。それに、今は性能のいい携帯用ポットもたくさんあるのだから、自分で好きな飲み物を入れて持ち歩いた方がペットボトルや缶の削減になる。
以下のサイトによると、全国の自販機の年間電力消費量は46kWhで、飲料用自販機だけで原発一基分だそうだ。その自販機を削減できない理由が業界団体の反対だというのだから終わっている。
自動販売機削減はなぜ検討しない(千葉県自然保護連合)
業界ではあくまでも消費電力を抑える対策をして自販機を維持したいようだが、業界より国民の立場で物事を決めるべきだ。そもそも自販機などなくても消費者はそれほど不便ではないし、我慢できないようなことでは決してない。危険な原発と自販機のない生活を天秤にかけたら、原発を選ぶ人などほとんどいないのではないか。
ひるがえって北海道はどうなのか。北海道の場合、電力消費が最大になるのは12月だという。そして泊原発では3基のうち2基が停止している。それなのに原発事故を契機に積極的に節電を実施している気配はまったくといっていいくらいない。節電しなくても電力は足りるということが分かっているからだろう。節電をしたなら泊の全ての原発の運転が止まっても問題ないとしか思えない。
福島の原発事故で多くの日本人が湯水のように電気を使ってきたことを反省したのではなかったのか? ならば、なぜ企業は節電を続けようとしないのか。一人ひとりが節電を心がけることは言うまでもないが、無駄な電気を使いつづけている企業は何なのかと思う。
一昨年に仙台から盛岡まで東北新幹線に乗ったのだが、土曜日だというのにガラガラだった。利便性ばかりを追求した結果、一部の区間でガラガラの電車を走らせつづけているのが新幹線だ。単に日本全国を高速車両で結べばいいというものではないだろう。なぜそこまで早く移動しなければならないのか? 何か発想が狂ってきているとしか思えない。
原発事故や地球温暖化が叫ばれているのに、いまだにエネルギーの無駄づかいを続けたいという人たちの神経を疑いたくなる。利便性の追求の先に人類の幸福があるとはとても思えない。
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