原発事故のことを考えたくない人たち
このところ福島第一原発の4号機からは毎日のように水蒸気が立ち上っている。プールの水の温度がかなり高温になっているのだろう。26日のニュースによると、3号機のプールの水が強いアルカリ性になっており、ホウ酸を入れて中和しているという。使用済み燃料を束ねた燃料集合体を入れているアルミニウムのラックが腐食して集合体が倒れると再臨界の恐れがあるという。なんともゾッとする話だ。
3号機プール水 強アルカリ性示す(NHK)
原子炉は3基ともメルトスルーして手のつけられない状態のようだし、3号機、4号機の燃料プールもかなり危うい状況としか思えない。4号機の原子炉建屋では使用済み燃料プールの補強工事をしているそうだが、マスコミは4号機のことはほとんど報道しない。汚染水の処理も相変わらずうまくいっていない。
さらに、今日になって、都内の清掃工場の焼却灰から基準値を超えるセシウムが検出されたというニュースがあった。
都内の家庭ゴミ焼却灰から放射性物質8000ベクレル超、一時保管へ(産経新聞)
現場の状態はまったく良くなっていないし、原発からかなり離れたところでの放射能汚染も浮き彫りになってきた。まさに戦争状態といってもいいのに、危機感がない人が多すぎると思えてならない。「原発事故に危機感を持って情報収集したり避難などの行動を起こしている少数の人」と、「原発事故のことはあまり深刻に考えていない多くの人」の二つのタイプに分かれ、人間関係がぎくしゃくしてきているのではなかろうか。と思っていたら、香山リカさんが興味深いことを書いていた。
香山リカ:「原発事故報道を見たくない」人が激増! -心の防衛機構「解離」が指導者層にまで浸透している現状は「きわめて危険」(BPnet)
やはり、原発事故について「考えたくない」「考えても仕方ない」という人たちがけっこういるらしい。でも、そんなふうに思考停止状態になっていたら危機管理などできないだろう。どうやら格納容器の爆発は回避されたようだが、燃料プールのほうはまだまだ危機的状況だし、放射法汚染はこれから何十年にもわたって日本人の生活に大きくのしかかってくるはずだ。それに、この大事故が日本の今後を大きく揺るがすことは間違いない。これほど大変な事態が進行しているのに、無関心でいられるということが私には不思議でならない。
しかし、考えてみれば多くの日本人がこれまで原発のことを何となく危険そうだと思いつつも、「考えたくない」「考えても仕方ない」、あるいは「事故が起きても何とかなる」と思ってきたのではなかろうか。自然保護だってそうだ。自然がどんどん壊されていっても何も問題ないなどと思っている人はほとんどいないだろう。山歩きや自然観察が好きな人だって沢山いる。自然は大切だと分かっていても、大半の人は自然保護運動などという面倒なことには関わりたくないのだ。日本では警察だって検察だって、司法だって本当におかしなことになっている。物事が論理的に決められるのではなく、お金や利権で動いていくのだ。そんなおかしな社会であっても、多くの人が見て見ぬふりをしている。あるいは、「なるようにしかならない」「世の中などそんなもんだ」と、はじめから諦めている。
原発だって自然保護だって、あるいは警察や司法の問題だって、本当は自分たちの生活と関わっているのだが、直接的な利害関係でも生じない限り関心を持たないという人がむしろ普通なのだろう。何といってもそのほうが楽だし、安穏としていられる。そういう思考停止状態のツケが原発事故となっていま回ってきたともいえるのではないか。
とすると、今後、日本がなんとか再生できるとしたなら「考えたくない」「考えても仕方ない」という思考を転換しなければならないだろう。日本人にそれができるのかと問われれば何とも心もとないが、しかしそうしなければ本当にこの国は終わってしまうのではなかろうか。残念ながら、私にはどうしても明るい未来が想像できない。
原発事故は、日本人が好む「和」とか「協調性」で乗り越えられるようなものではない。前向きに考えれば何とかなるというものでもない。命がけで事故処理をし、個人個人が放射能に対して危機管理をしなければならないシビアな問題なのだ。
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