厚幌ダムで見えた治水方針の誤り
昨日、民主党政権が見直し対象としていた厚幌ダム(建設主体は北海道で、国の補助事業)について、建設事業地域代表者会議が10日に二回目の会合を開き、コストや事業期間などからダム建設が最善との結論を出したとの報道があった。
この地域代表者会議というのは、学識経験者と地元の関係者17人で構成されているのだが、はじめからダム反対あるいは疑問視をしている人たちを除外している。ダム建設を求める結果になるのは目に見えていた。しかもたった二回の会議で結論を出したのだ。ダム建設を推進することが目的のための会議といっていいだろう。このあと住民説明会やパブリックコメントなどを実施するようだが、パブコメなるものはいつも「聞きおく」だけだ。
民主政権は、本体工事に着工していない全国84のダムを見直しの対象とし、ダムによる治水かダム以外による治水かの検討をするとした。しかし、この時点で問題がある。なぜなら、根拠不明の基本高水流量にもとづき「治水対策が必要」であることを前提とした検討だからだ。
高水流量などといった数値は、ダム建設の利権にまみれた連中が、工事をすることを目的にひねり出したものだ。十勝川の整備計画においても、河川管理者は高水流量の根拠をまったく説明できない。十勝川の上流部では1981年に300年に一度の降雨確率とも言われる集中豪雨に見舞われた。それでも、人口密集地である帯広市に水が溢れることはなかった。十勝川水系では150年に一度の確率の降雨に対応する整備をするとされている。つまり、すでに現在の堤防で十分なのだ。
もしそれを超える降雨があった場合は、堤防から水を溢れさせるしかない。そうでなければ「150年に一度の降雨確率」などというものを定める意味がない。それにも関わらず、根拠不明で過大としか思えない高水流量を持ち出してきて、延々と堤防の強化やら河道の掘削などの工事を続けている。こうしたことからも、高水流量というのは、ダムやら堤防の改修などといった土木工事を延々と続けることを目的に、意図的に過大に設定した数値であることは間違いないだろう。
そもそも大雨のとき、どの地域でどのくらいの量の雨がどのようなパターンで降るのか、などというのは簡単に予測できるものではない。想定外の集中豪雨によって合流点などで部分的に浸水することだって当然あるだろう。ところが浸水のたびに「被害が生じた」といって騒ぐ。その結果として、川は自然の摂理を無視した構造物にがんじがらめにされる。
一回目の代表者会議で配布した資料はインターネットで公開されている。
この資料からもわかるのだが、問題は人間の利用空間が水に浸かることを絶対に許さず、なにがなんでも洪水をダムに貯めたり、堤防の間に閉じ込めようとする治水方針にある。しかも、高水流量の科学的根拠には何もふれられていない。根拠不明の高水流量を受け入れ、「ダムによる治水」か「ダム以外による治水」かの選択をするという前提が間違っている。まずは、高水流量の虚構を暴き、治水の方針を変えることが先決だろう。「工事を目的とした数字操作」の罠にはまってはならない。もちろん、工事のコストだけで治水方法を選択することも誤りだ。
この資料には河川生態系の破壊をはじめとしたダムによる弊害がなに一つ示されていない。ダムという構造物がこれまでどれほどの自然を破壊してきたことか。それは魚類の往来などといった直接的な被害に留まらない。土石の流下を妨げ、河床低下を引き起こし、海岸線を後退させる。自然破壊と海岸の護岸工事という悪循環を生みだしている。自然破壊は取り返しがつかないし、護岸工事には巨額の費用がかかる。ダムには大量の土砂が溜まり、治水効果も減少する。その堆砂処理にも莫大な費用がかかる。こういう弊害を検討しているのだろうか。
これからの治水で必要なのは、かつての日本人の知恵を生かして、洪水を許容し洪水と共存する生活を取り戻すことだろう。河川の周辺はなるべく農耕地にするとか、建物は高床式にするなどだ。堤防から水を溢れさせないことに固執する治水は自然の摂理を無視した発想だ。たとえ堤防から水が溢れても、大きな被害を生じさせないように工夫していくという発想の転換が必要だ。
資料では、農耕地への冠水も否定されている。しかし、洪水は昔から氾濫原に養分をもたらしてきたのだ。現状の堤防で対応できないような大雨が降ったなら、農地などを遊水地として利用し、農作物への被害は国が保障するしかないだろう。
ダム推進派は、ことあるごとに「洪水被害」を強調する。ダムを推進するために洪水被害を受けた人たちの声を利用する。しかし、河川は氾濫するのが当たり前であり、ときには氾濫を受け入れなければならない。その氾濫を「被害」としないようにすることこそ、人間の知恵だ。大雨は自然現象だ。それを人間の力で押さえ込もうということ自体が人間の驕りであり傲慢さだ。
欧米では反省に基づいて方針の転換がはかられている。いまだにダムに固執する日本はなんと遅れた恥ずかしい国だろう。
« 冤罪を救うアメリカの無実プロジェクトの活動 | トップページ | 人情相撲では済まされない大相撲の八百長 »
「河川・ダム」カテゴリの記事
- 十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見書(2023.02.10)
- ダムで壊される戸蔦別川(2022.08.19)
- 集中豪雨による人的被害は防げる(2018.07.11)
- 札内川「礫河原」再生事業を受け売りで正当化する報道への疑問(2015.12.21)
- 異常気象で危険が増大している首都圏(2014.09.17)
コメント