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2011/01/03

年頭にあたって

 あけましておめでとうございます。

 ブログを始めてから早くも3年半が経ちました。この間、多くの方にブログを訪問していただきました。チャンネル北国tvのアクセス数は約38万、そして言論妨害のために並行して開設したココログのアクセス数は約6万5000。拙ブログに訪問してくださった皆様にあらためてお礼を申し上げます。また、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、昨年は私にとっては精神的にかなりしんどい一年でした。一昨年秋からはじめたクモの不明種の検討も中断状態に陥りました。とはいってもいつまでも停滞しているわけにはいきません。新年を機に、気持ちを新たにして歩みたいと考えています。体力と記憶力の衰えを実感するこの頃ですが、マイペースで自然のこと、クモのこと、そして自然保護などに関わっていく所存です。

 ところで、これまでは「ですます調」で書いてきましたが、心機一転ということで、文体も変えてみたいと思います。

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 さて、下の写真は元旦につくったリサイクルの手作りロウソク。これまではなかなかゆっくりとこのようなことを「楽しむ」時間がとれず(というか、そのような気持ちになれなかった言ったほうが正しいかも・・・)にいたので、今まで持ち越していた。一人で作ればこれほどカラフルなものにならなかったと思うが、帰省した娘たちの手伝いもあって、色とりどりのロウソクができあがった。ロウソク作りは簡単そうなのだが、上手につくるには意外とコツがあるようだ。

P10204321

 ところで、できあがったロウソクを灯しながら、夜でも明るい光が得られる生活が楽しめるようになったのは、人類史上でもごく最近のことであることを身にしみて感じた。人が電気を手に入れる前は太陽の光とともに活動し、自然に逆らうことなく謙虚な生活をしていたのである。人は近代においてなんという発展をとげたのだろう。しかし、その陰で失ったものはあまりにも大きい。

 なによりも何億年という進化の歴史がつくりだしてきた大自然を壊しつづけてきた。北海道であれば、昼なお暗い原生林の森が広がり、アイヌのユーカラに出てくるような動物たちの天国であったはずだ。オオカミもシマフクロウもあちこちに棲みついていたのだろう。たかだか100年ほど前に広がっていた雄大な自然を、私たちはもう見ることができない。私たちが目にしている自然の大半は、人によって切り刻まれた無残な姿である。

 また、人類は戦争で悲惨な殺戮を繰り返し、それは今も止まない。これほど科学が発達し生活が便利になったといっても、貧富の差は拡大し収まるところを知らず、精神を病む人が絶えない。こんな生物は地球上には人類しかいない。生物としてあまりに異常な事態だ。政権交代が実現したといっても、明るい未来が見えるどころか暗澹たる状態である。地球の温暖化が叫ばれているのに、欲にとりつかれた人類は自分の利益を優先するばかりに、その対策すらおぼつかない。人間は賢い生物であると同時に、地球上でもっとも愚かしい生物であるとも思う。人間の賢さと愚かしさを天秤にかけるなら、愚かしさのほうが重いに違いない。

 昔の生活に戻ることがいいとは言わない。人は、いちど享受してしまった便利さを簡単に捨てることはできないだろう。しかし、人生において何が必要で、どんなことが無意味であるかを振り返ることは大事だと思う。そこから自ずと見えてくるのは、決して物の豊かさや見栄えの良さは心の豊かさとイコールでではないということだろう。大切なものは目に見えないものである。年を重ねるほどに、そう思えるようになった。

 世の中には支配欲や名声、お金や虚栄心のために理念もモラルも捨ててしまう人がいる。彼らにとっての幸福とは何だろうか。人の欲ほど恐ろしいものはない。50代も半ばを過ぎた今、せめてそんな欲にとらわれず謙虚な気持ちで余生を生きたいと思う。

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