人間関係の希薄化が生んだ鉄道ファン
昨日のNHKクローズアップ現代は、鉄道ファンについてだった。最近、鉄道について関心を持つ人が増えているらしい。「鉄道マニア」ではなく「鉄道ファン」と書いたのには理由がある。なぜなら、テレビに出てきた人たちは、いわゆる「鉄道マニア」と呼ばれる人たちとは明らかに違うという印象だったからだ。
私のいう「鉄道マニア」は、どちらかというと大勢を好むのではなく、一人でマニアックに楽しむという人たちだ。暑かろうが寒かろうが、ローカル線などを尋ねて線路脇でカメラを構え列車が来るのを待っているとか、日本中の列車に乗って乗車券をこつこつと集めるとか、各地の廃線跡を歩くとか・・・。こういうことは大勢でわいわいと楽しむものではない。どちらかというと一人とか数人でひっそりと楽しむ趣味だ。
私が学生だった頃、野鳥を見るために全国を旅行した。ザックを背負い三脚つきの望遠鏡を肩にかついで、海岸の草地や湖沼、干潟など、普通の人が行かないようなところをひたすら野鳥の姿を求めてうろうろしていたのだ。その望遠鏡を望遠カメラと間違えて声をかけてくる人がときどきいた。特に、線路の近くを歩いていると、列車の写真を撮る鉄道マニアと間違えられた。よほど物好きな旅行者に見えたにちがいない。
今ならバードウオッチングといえば誰もが不思議に思わないだろうが、当時は写真を撮るわけでもなくただ野鳥を見るだけという趣味に、いかにも不可解な顔をする人が多かった。野鳥を見て歩くのも特異な人だろうが、列車の写真を撮る人も特異だった。
ところが今回テレビに出てきた人たちは、それとはずいぶん雰囲気が違う。いつもと違う電車に乗ったことがきっかけで車窓からの風景に魅せられ、大学の鉄道関係のサークルに入ったという女子学生。鉄道マニアの社会人と一緒に鉄道の旅をする小学生。鉄道ツアーに嬉々として参加する女性・・・。鉄道そのものに強い関心を求めるというより、鉄道を通じて人と人とのつながりを求めているのだ。
鉄道を通じて人と人との関わりを築こうとする人が増えているということは、とりもなおさず社会での人間関係が希薄になっているということの証だろう。無縁社会になってきているのだ。社会の閉塞感は一向に改善されないし、「空気を読む」という神経をつかう人間関係の中で人々は孤立している。鉄道ファンという旅行を伴った趣味は、そうした孤独から抜け出して新たな人との出会いを求めたり、気持ちをリフレッシュするのにはとてもいいのだろう。
そういえば、昔は旅をするというのはまさに人と人との出会いだった。いっときの出会いと別れであっても、そこには温かい心の交流があった。今の社会にはそれがほとんどない。一人で悩みを抱え込んだり、インターネットのバーチャルな世界にのめりこんだり、ひたすらメールで繋がっていようとしたり・・・。これは人としてとても健全な状態とは思えない。 ここまで書いて、ブログで公表した父のエッセイを思い出した。旅先で心惹かれる女性との出会いを描いた作品と、その女性との別れを綴った作品だ。一昔前はこんな出会いがどこにでもあったのだ。よかったら、是非読んでいただきたい。
「旧き良き時代」とひとくくりにするのは好きではないし、懐古趣味に陥りたくないとも思うが、やはり人との関わりが希薄な時代になり、無縁社会がじわじわと広がってきているのは確かだろう。とはいえ、なにも鉄道ファンにならなくても人と人との交流はできるはずだ。
« 米国追従しか頭にない菅総理への怒り | トップページ | 石川議員の事情聴取で功を奏した佐藤優氏のアドバイス »
「自然・文化」カテゴリの記事
- いくつになっても変わらないこと(2023.11.26)
- 晩夏の浮島湿原(2018.08.22)
- 「お盆休み」をなくして融通性のある「夏休み」に(2018.08.13)
- 原野の水仙(2017.05.11)
- 石城謙吉さんの環境問題講演集「自然は誰のものか」(2017.01.29)
コメント