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2010/10/05

神戸の酒鬼薔薇事件の冤罪問題を封印してはいけない

 先日、渡辺容子さんから送っていただいた神戸の酒鬼薔薇事件に関する3冊の本を読み終えました。「真相 神戸市小学生惨殺遺棄事件」(安部治夫監修・小林紀興編、早稲田出版、1998年)、「神戸事件を読む 酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか」(熊谷英彦著、鹿砦社、2001年)、「神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由 「A少年」は犯人か」(後藤昌次郎著、現代人文社、2005年)です。いずれの本も少年Aは犯人ではなく、警察・検察の筋書きによって自白を強要され、犯人に仕立て上げられたとしか考えられないことを具体的に検証しています。

 A少年を犯人であるとする根拠は、自白調書しかありません。そして、その自白調書の内容には明らかな矛盾や疑惑が驚くほどたくさんあるのですが、裁判でもそれらについてきちんと検証されないまま検察の自白調書を根拠に犯人とされてしまいました。そして、マスコミも自白調書の疑問などを報じることなく、A少年を犯人として報道してきました。このために、今でも大半の人が「少年Aが酒鬼薔薇である」と信じているのです。

 これらの本を読んでいて思い出したのですが、確かに事件が起きた当初は、被害者である土師淳君の頭部が置かれた中学校の校門近くで黒いゴミ袋をもった中年男性や不審な車が目撃され、犯人の可能性が高いと報道されていました。ところが、それが一転し、逮捕されたのは中学生の少年でした。この急展開にはかなり違和感を持ちました。あの怪しい男性はどうなったのかと。そして、中学生があんな犯行声明を書けるものかと。しかし、少年を犯人だと決めつけた報道と裁判によって、そうした当初の疑問はかき消されてしまったのです。しかし、この3冊の本に書かれた疑問点を知れば、私たちがいかにマスコミ報道に騙されていたのかを思い知ることになります。

 これらの本で説明されている矛盾点はあまりにも多くここで詳しく書くことは省略しますが、「真相 神戸市小学生惨殺遺棄事件」の前書きに「ほんの一例」として書かれていることを以下に引用して紹介しておきます。

・A少年を逮捕したときの警察の違法捜査と自白強要に対する疑惑。
・ふたつの挑戦状を書いた酒鬼薔薇聖斗とA少年との筆跡の不一致。
・頭部を切断した凶器を含めて、物的証拠と言えるものが一切ないこと。
・頭部切断現場とされる通称タンク山のアンテナ基地では、地形的にも状況的にもそのような行為は絶対に不可能であること。
・頭部遺棄についての警察の発表は、目撃者の証言と大きく食い違っていること。
・A少年が八月の審判開始から約二カ月間、犯行を認めるのを留保していた事実。
・発表された検事調書が、誘導尋問を駆使した創作であることを露呈していること。
・挑戦状や「懲役13年」という文章は、少年には書きえないレベルにあること。

 これらは疑惑の一例であって、ほかにも多数の疑惑や矛盾があります。詳しく知りたい方は是非、本をお読みいただきたいのですが、A少年が犯人ではないことは明らかです。

 さて、「検察の暴走と三井環氏の告発」にも書いたように、つい先日、村木厚子さんの事件に絡んで、検察官がストーリーを作り上げ、それに合うように自白をとっていくという実態が白日の下にさらされました。検察官のつくったシナリオ通りに自白させるために、検察官が自ら証拠の改ざんまでしていたことが発覚したわけです。もちろん、こうしたことはこれまで冤罪とされてきた事件で常に行われてきたことであり、この国の警察・検察による人権無視の犯罪です。あの日本中を震撼とさせた神戸の酒鬼薔薇事件でも、同じことが行われていたということです。

 弁護士である後藤昌次郎氏は、警察がA少年を巧みに騙して逮捕し、犯人に仕立て上げたことを強く批判しています。警察は任意捜査との名のもとに少年を警察に呼び出し、前日に出された筆跡鑑定の中身を見せずに(筆跡鑑定には、「同一人の筆跡と判定するのは困難である」と書かれていた)、筆跡が同じであるという鑑定が出ていると嘘をつき、騙して無理やり辻褄の合わない自白へと追い込んだのです。これは偽計による自白であり違法捜査です。さらに、警察での取り調べのすぐあとに同じ場所で検察官の取り調べを受けて調書が作成されており、警察と検察の共犯ともいえます。

 後藤昌次郎氏らは、1998年に偽計自白で逮捕・拘留した警察官・検察官を特別公務員職権濫用罪で大阪高検に告発しました。例のフロッピーディスクの改ざん事件を起こした大阪高検です。10年以上も前に、三井環さんの行った告発と同じことをされたわけです。その後、この告発は神戸地検に送致され、神戸地検は理由も示さずに「嫌疑なし」にしました。後藤弁護士らは神戸地裁に付審判請求を申し立てたのですが、神戸地裁はそれを棄却したのです。こうして神戸事件の真相は闇に葬られてしまいました。

 疑問点や矛盾にことごとく蓋をしてしまう姿勢からは、警察も検察も自分たちに都合の悪いことは無視し、裁判所も検察の判断に追随してしまうことがはっきりと見て取れます。  では、なぜここまでして警察と検察はA少年を無理やり犯人に仕立て上げたのでしょうか。この疑問にまで言及しているのは熊谷英彦氏の「神戸事件を読む」です。この本では、警察関係者が事件に関係しているのではないかという疑惑も取り上げ、「グリコ森永事件」との関連も示唆しています。グリコ森永事件の犯行グループの中には警察OBがいるという説があるそうで、彼らが警察を揶揄していた点も酒鬼薔薇と共通するのです。もし真犯人が警察関係者であるとするなら、不都合なことに一切答えず、権力によって組織を守ろうとする警察・検察の姿勢も頷けます。少年に濡れ衣を着せることは少年法を改悪するためにも、ちょうどよいタイミングだったのでしょう。

 しかし、無実の罪を負わされた少年やその家族はどうなるのでしょうか。こんなことが許されるのでしょうか。組織を守るためには他人の人権などどうでもいいというのが、この国の警察や検察の実態なのです。国民の大半は、背筋が寒くなるようなこうした実態を知らされていなかったのです。だからこそ、今回の三井環さんの告発の行方が注目されます。

 今回の大阪高検の証拠改ざん事件は、過去から連綿とつづいている警察・検察の体質そのものが引き起こしているのです。それに加担して国民を騙しているのがマスコミです。しかし、マスコミ報道を見ている限り、腐敗しきった構図を暴くことなくトカゲのしっぽ切りで終わらせてしまう気がしてなりません。そして、何よりもこうした冤罪を見抜けず、というより見抜こうとしないで冤罪をつくりだしてきた裁判所も、とんでもない存在であることを私たちは自覚する必要があります。三権分立などというのは言葉だけでしかありません。

 検察の暴走や冤罪の構図が明らかになってきた今こそ、神戸の酒鬼薔薇事件の真相をつまびらかにしていく必要があります。もちろん、他の冤罪とされる事件も決して封印してはなりません。もっとも検察審査会の小沢氏起訴のことばかり取り上げて騒いでいるマスコミには、到底そんな期待はできません。ネットメディアと市民ブロガ―に期待したいと思います。

 なお、渡辺容子さんの以下の記事も参考にしていただけたらと思います。

神戸酒鬼薔薇事件は冤罪である
神戸酒鬼薔薇事件は冤罪である その2 
神戸酒鬼薔薇事件は冤罪である その3 
後藤昌次郎弁護士の言葉 
神戸酒鬼薔薇事件は冤罪である その4 

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コメント

つい先程、後藤昌次郎さんの本を読破したところで、ネットの声をと思い、ここに目がとまりました。
彼の本は、弁護士としての『いろは』を教授されているものだと思います。テレビでちゃらちゃらしている奴ら、あれを『白い代言屋』と言いたくなりますね。
弁護士法第一条に照らし合わせれば、大阪市長は即資格を剥奪かとも思います。
さて、私は『冤罪』なる新書本で彼のファンになったのですが、ひとつ残念な点があります。
勿論、この件については外野なので限界もあるのはよくわかります。しかし、講演や手紙などを寄せ集めた本なので『入り口論』の繰り返しになっている、これであります。まあ、その入り口こそ、大錯覚なので力説するのは理解できますが、それでも、現行の…敢えて乱暴に書けば…検察のやりたい放題形式の裁判進行方法など、より批判してもよいはず。
これは、現在進行中の秘密保護法案にも相通じるモノ。攻めるのはフリーハンド、証拠なり内容提出となると『拒否権あり』では、いくらでも冤罪なり、強権政治がただされません。
少し話が逸れましたが、後藤さんは謎解きをする立場でも何でもない、法と正義に遵守する立場で、この大掛かりな不正を指弾したわけでしょう。
これだけでも頭が下がりますし、アニメ映画で棒読みやって、ちやほやされていた橘某などの『いい加減さかげん』を再認識できた点も勉強になりました。多分、彼は名ばかり講師で、ろくな採点もしてなかったのでは?すら疑ってしまうほど、事件勃発『ビフォーアフター』の落差には失笑してしまいました。
その笑い、同時にマスメディアに釣られ、酒鬼薔薇は『サカキバラ』だ、そら見たことかと予測が当たったと喜んでいた、私にも当て嵌まるのだと反省しているところです。
『冤罪』を読み、それなりの心掛けをしていると思っても、それでも『ひきづられて』しまう怖さを再認識した、そんな未明です。

理屈屋さん

「冤罪」の感想、ありがとうございました。

おそらく日本では(日本に限らないのでしょうけれど)多くの冤罪があり、罪のない人たちが濡れ衣を着せられているのでしょう。冤罪は許しがたい人権侵害です。酒鬼薔薇事件は今でも少年犯罪としてときどき話題にする人がいますが、多くの人が誤解をしたままであることが残念でなりません。

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